第七十話 地下迷宮へ・2
「な、なんなんだ、こいつらは……」
俺が巨大ゴキブリ軍団の集団自殺アタックに言葉を失くしていると、いつの間にかイーロンとテルマの二人も、エマリィの魔法防壁に重ねるように防壁を展開して補強してくれていた。
「もしかしたら刺激を受けてパニックになると、闇雲に突進する習性でもあるようじゃの……」
と、ハティが呆れた顔で俺の横に並んだ。
「え、そうなの……?」
「妾も初めて見る魔物じゃから断言はできん。しかしそうとしか説明がつかんじゃろ。このアホのような自殺紛いの集団突撃は……」
「まあ、確かに……」
「しかしそうなると厄介じゃな。こいつらに出くわす度に毎回この調子では先が思いやられるぞ」
ハティは、巨大ゴキブリの体液と肉片でグチャグチャの魔法防壁を見てため息をついた。
結局その巨大ゴキブリ軍団の突撃は、その後も延々と数分間続いた。
そしてようやく辺りが静寂に包まれた頃には、通路は肉片混じりのペースト状の緑色の体液が、膝辺りまで溜まっているという有様だった。
この自殺ゴキブリとも言うべき厄介な巨大ゴキブリ軍団に遭遇したことで、俺は急遽陣形を変更することに。
俺が背負い子でエマリィを背負って前衛を、そのすぐ後ろを八号が続いて、殿のハティ共々ユリアナ一行とアルマスを前後からカバーするという形に。
これならばイレギュラーな事態にも、より柔軟に対応できるはず。
やはり出会い頭のゴキブリというだけで怖いのに、それがアホみたいデカい上に、更に集団で突撃してこられたら、俺はいつか本当に脱糞してしまう。
もしそんな事になってしまったら、タフでクールでフレンドリーなヒーロー像を、コツコツと作り上げつつある俺の評判もガタ落ちだ。
下手をしたらエマリィに、「ボク、ウンコ漏らすヤツだけは無理!」と蔑まれる可能性だってある。
そんな最悪の事態だけは、絶対に避けなければならない。
だから俺TUEEEEEEは捨てて皆で対処していく。
そう! だって俺たちチームだもん! マイケルベイ爆裂団だもん! やっぱりチーム一丸となって戦わなきゃ! スタンドプレーなんてもってのほか! もうそう決めたの!(逆ギレ)
そして緩やかな下り坂の直線をしばらく進んでいると、サーチライトの光が届かない暗闇の中から何かが走ってくる音が。
しかもその足元に混ざって、何か硬質なものがぶつかる音も聞こえてくる。
「ここの魔物は突進好きな奴らばかりなのかよ……!?」
俺は半分呆れつつも、二丁持ちのHAR-55の照準を合わせた。
背中のエマリィも緊張しているのが伝わってくる。
「タイガ、気をつけて……!」
「大丈夫。今度はどうやら一匹のようだ。姿が見えた瞬間に蜂の巣にしてやっから……!」
そう啖呵を切った直後、サーチライトの光が一匹の怪鳥の姿を捉えた。
それは全長二メートルくらいの、ハシビロコウに似た巨大な嘴を持つ鳥の魔物だった。
しかもハシビロコウの百倍は極悪な目つきをしていて、嘴も先端が床に触れるほどにでかい。
そして硬質なものがぶつかる音の正体は、その嘴ではなく別にあった。
その極悪ハシビロコウは広げた短い翼の下に二本の細長い腕があり、その先端にある鎌状になった鋭い爪が壁を引っ掻いていたのだ。
見るからに極悪な顔つきと、攻撃的な姿形に俺は一瞬怯んでしまったが、すぐに気を引き締めて引き金に指をかける。
距離はまだ十分にある。
相手は奇妙で大きな怪鳥だが、数は一体。
余裕で仕留められる状況だった。
その筈だったのに、突然極悪ハシビロコウが巨大すぎる嘴を、めいっぱいに広げたと思った次の瞬間――
ギョエエエエエエエエエエエエエエーーーッッッ!!!
と、耳障りな鳴き声が、廊下一杯に広がって俺の鼓膜に突き刺さった。
全身を悪寒が駆け抜けて、視界から瞬く間に色が失われて真っ白に染まっていく。
しかも穴が開いた風船みたいに体から力が抜けていき、思考が塵のように霧散していく。
遠くから誰かの声が聞こえたような気がするが、そんなこともうどうでもよくなっていく……
「――タイガ!」
誰かの声。
エマリィだ。
直後、視界に色が戻って来て、体中が温かい感覚に包まれると意識がはっきりとしてくる。
どうやら俺は今、床に倒れていて、エマリィに治癒魔法をかけられているらしい。
その隣には八号も倒れていて、同じようにエマリィが治癒魔法をかけていた。
視界の隅では極悪ハシビロコウをユリアナ一行とハティが四人がかりでボコボコにしている姿が見え、丁度イーロンの振り下ろした剣が首をぶった切ったところだった。
「あれ……俺は一体……?」
記憶が飛んでいて、状況がまったく飲み込めない。
「ごめんタイガ! あいつ精霊魔法の魂飛ばしが使えたの! ボクったらタイガの弱点のことをすっかり忘れてて……! うわーん、もう少しで取り返しのつかないことになるとこだった……本当にごめんなさい……!」
「ああ、そうか。そう言えば、そんなこともあったな。俺もすっかり忘れてた……」
エマリィと出会った当初に、彼女から魔法での戦い方を教えられたことがあった。
その時に、精神攻撃が中心の精霊魔法対策が必要なことを教えられて、一時は青回復薬を優先的に買い揃えたりしていたのだが、そうこうしているうちに突然の王命クエスト発令や、立て続けに起きた魔族襲撃などで、対精霊魔法の魔法具の方はすっかり忘れてしまっていたとは。
しかし魂飛ばしって…なんなの、その不穏なネーミング……
もしかしてさっきのあの奇妙な感覚は、体から魂が抜けかけていたってことか……?
やだ…なにそれ怖すぎ……
「あれ、でもユリアナ姫王子やハティは? それにエマリィもなんで大丈夫なの?」
「ボクはこの王城の宝物庫から貰ってきた賢者のローブのおかげ。どうやら精霊魔法対策がしてあるみたいで、これがなかったらボクも危なかったところ」
そこへ極悪ハシビロコウを倒した、ハティとユリアナ一行が戻ってきて会話に加わった。
「――妾はこのネックレスのお陰じゃ。これは魔法具で、石の中に精霊魔法対策の魔方陣が組み込まれておるのじゃ」
「私はイーロンとテルマが治癒魔法の一つ状態異常反射が使えるので、念のために迷宮へ入る前にかけてもらっていました」
と、ユリアナ。
そしてふと傍らで息を殺して、こちらを気まずそうに見守っていたアルマスと目が合った。
するとアルマスは「わ、私もその時一緒に……」と、ばつが悪そうな顔を浮かべた。
「なんだよ、じゃあ結局醜態を晒したのは、俺と八号だけなの。ああ、なんかかっこ悪すぎるぅ……」
「しかしカピタンほどの手練れにも、苦手なものがあったとはのう。そちらの方が意外じゃ」
ハティは何だか楽しそうに言った。
「もうそう言っていただけるだけで、今の俺は心に染みますです、はい……」
「とりあえず八号さんと一緒に、イーロンとテルマに状態異常反射をかけさせておきましょう。この先もどんな魔物が潜んでいるかわかりませんから」
「はい……ほんとにもう色々とお世話になりっ放しですみません……」
もう俺は恐縮するばかりである。
一体最初の威勢はどこへ行ってしまったのやら。
穴があったら入りたいとは、まさに今のような状況のことを言うのだ。
「タイガ大丈夫? まだどこか気分が悪いの? 顔色がすごく悪いよ?」
エマリィが心配そうに、俺の顔を覗き込んできた。
「ボク地上に戻ったら、テルマから状態異常反射を教えてもらう約束をしたんだ。だからこんな事は二度と起きないようにするからね……!」
そんな風に気遣ってくれるエマリィを見ていると、このままタックルをかまして強制膝枕に持ち込んで、エマリィが優しく歌う子守唄を聴きながら、全てを忘れて眠りこけたい衝動に激しく駆られる。
しかしそれをやったが最後、いろんなものが音を立てて崩れていきそうなので、俺は断腸の思いで唇を噛み締めた。
しかしまあいいさ。
散々かっこ悪いところを披露してしまったが、迷宮探索はまだ始まったばかり。
肝心の死霊にだってまだ遭遇していない。
名誉挽回汚名返上のチャンスは、まだまだたっぷりと残されている。
「そうしてもらえると助かるよ、エマリィ。でも今はとにかく先を急ごう。何故かって? ふっ…男にはどんな理由があろうと、前に進まなければならない時があるってもんさ……!」
俺はそれだけ答えると、またエマリィを背負って歩を進めた。
これ以上言葉はいらない。
あとは背中で語るのみ。
ていうか、いろいろと気まずいので、一ミリも後ろを振り返れません。
今はこのまま何事もなかったように、前を進むのが精一杯です。
そんな俺の必死の努力が報われたのか、しばらく進むと通路は初めての分岐へとぶち当たった。
左へと折れ曲がった通路は方向的に建物の中心部へと続いているらしく、数十メートル伸びる直線の先に部屋らしき空間が広がっているのが見えて、一同のテンションも盛り上がった。
「タ、タイガさん是非寄ってみましょう! 何か古代文明の遺物が見つかるかもしれません!」
と、アルマスが興奮を抑えきれずにまくし立ててくるので、俺は思わず苦笑を浮かべた。
「まだ死霊と遭遇もしてないのに――でも、まあ、いいか」
なにせ依頼主のアルマスが一番乗り気になっているし、それにヨーグル陛下が見返りとして出した遺跡で見つかった古代魔法の情報提供の件もあるので、それらしい場所の探索もしておくべきだろう。
そういう訳で俺が廊下を曲がって部屋に向かって進もうとすると、背後から微かに悲鳴が聞こえてきた。
それも明らかに子供の声だ。
「――ハティ、頼む!」
「任せておくのじゃ!」
殿のハティが脱兎の如く今来た道を戻っていく。
そしてしばらくすると、「問題ない! 珍客じゃ!」という声が暗闇の中から聞こえてきた。
俺たちがその場に留まってハティの帰りを待っていると、やがて一人の子供を連れて戻ってきた。
「ど、どうして君が――!?」
俺を始めとする一同が素っ頓狂な声を上げる。
何を隠そうハティの隣に居たのは、松明を持ったマシューだったからだ。
「マシュー危ないじゃないか……! 何故子供の君がこんなところに一人で……!?」
そう真っ先に詰め寄ったのはアルマスだ。
しかしその顔には怒りと言うよりも、純粋にマシューの身を案じての不安と戸惑いの方が色濃い。
「ご、ごめんなさいアルマスさん。おいら昨日旦那たちを都へ案内した時に、旦那たちが冒険者ギルドへ立ち寄っていたのを見てピンと来たんだ。それで今朝一時撤退で都へ帰る探索隊の人が、村に立ち寄った時にカマをかけて見たら、いろいろと教えてくれてさ。古代迷宮の死霊の話や、どこかの外国から凄腕の冒険者を雇ったらしいとか……」
「ああ、なんてことだ……。緘口令を敷いていたのにも関わらず、ほかの隊の連中にも全て筒抜けじゃないか。しかもベラベラとこんな子供にまで話しているし……でも、それが君とどんな関係が……?」
「おいら、その時に死霊の似顔絵も見せてもらったんだよ……。信じて。死霊は魔物なんかじゃないんだ。少し前にいきなり村へやって来て、しばらくおいら達と一緒に暮らしていた人なんだ。名前はミナセ。そこの旦那と同じ、ここじゃない違う世界からやって来た稀人だと言っていた……」
マシューはそう言って俺を――いや、ABCスーツを真っ直ぐに見た。
「わかった。どうやらいろいろと事情がありそうだから、マシューの知っていることを俺たちに教えてくれないか?」
俺の提案にマシューはどこかホッとしたような、それでいて何か思いつめたような神妙な顔で頷いた。
次回更新は金曜日真夜中、日付が変わってすぐ辺りになります。
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