第百三十四話 黄金聖竜vs邪神魔導兵器
ここで時間は少し戻り――
邪神魔導兵器の背中の上で、ヒルダは冷ややかな目でタイガとの戦いを見守っていた。
幾つか効果的な攻撃を撃ちこんではいたものの、例え稀人と言えど、古代文明の叡智の結晶である邪神魔導兵器を前にして苦戦しているようだった。
そんな状況を前にしても、傍らに立つマキナは感情を露に喜んだり興奮したりする訳でもなく、ただじっと冷静に情勢を見守っていた。
ヒルダはマキナの姿を横目で盗み見しつつ、胸に渦巻く得体の知れぬ嫌悪感と向き合っていた。
マキナには切断された片腕を元に戻してもらった恩がある。
たかだか数日だが、一緒に過ごすうちに親愛の情も感じるようになっていた。
しかしあの古代遺跡の地下深くで、邪神魔導兵器と対峙した時に浮かべていた横顔を見た時に、心の温度が急速に下がっていくのを感じた。
実の姉であるロウマによって殺されかけていたのを助けてもらったにも関わらずだ。
――もしかしたら私はマキナに怒りを感じている……? ロウマを魂の抜けた操り人形のような腑抜けに変えてしまったから……? いや、そんなことは決してない。だってロウマは実の姉だろうと、父様を嵌めたことに変わりはないのだから。間接的に父様を死に追いやったのは間違いない。そんなロウマが腑抜けにされたからと言って、私が怒りを感じる筈がない。ならば、この胸に渦巻く嫌悪感に似た感情は何故……? どうして……?
ヒルダが複雑な表情を浮かべて物思いに沈んでいると、頭上に圧力を感じた。
それは風の圧力であり、体積の圧力であり、気配の圧力だった。
見上げれば、視界一面を覆う金色が――
「――黄金聖竜っ……!」
ヒルダは恐怖を感じる間もなく、ただ反射的にその名を口にしていた。
直後、ガキィィィィィィンと、硬質な物体が衝突したような音が周囲に響き渡った。
急降下して急襲を仕掛けて来た黄金聖竜を、邪神魔導兵器が張り巡らせた魔法防壁が食い止めたのだ。
ガリガリガリッ!
と、黄金聖竜の両足の鋭い爪が防壁を引っ掻く。
防壁が薄板のように引き裂かれたのを見た時、ようやくヒルダは恐怖を実感した。
「ひいっ……!」
喉に張り付いた短い悲鳴とともに、思わずヒルダは後退した。
しかし新たな防壁が次々と構築されて、黄金聖竜がそれ以上接近するのを許しはしなかった。
黄金聖竜は巨大な翼をはためかせてその場に滞空すると、再度両足の爪で魔法防壁を引き裂こうと試みる。
だが邪神魔導兵器の両腕が襲い掛かった。
右腕の巨大な鋏が黄金聖竜の金色に煌めく胴体を激しく打ち叩く。
衝撃で姿勢を崩した一瞬の隙をついて、左腕の鋏が黄金聖竜の右翼を捕らえた。
黄金聖竜の動きが少しだけ鈍ると、さらに右腕の鋏が黄金聖竜の左足に食らいついた。
痛みを堪えているのか、それとも怒りからなのか、黄金聖竜が激しい咆哮を上げた。
直後、上空に突如出現した黒雲から巨大な雷撃が放たれた。
一瞬にして邪神魔導兵器の両腕は、二筋の雷撃によって切断された。
しかも黄金聖竜の攻撃はそれだけに止まらない。
上空の黒雲が再度雷撃を放ったのだ。
それも一つや二つではない。
十数本にものぼる数の雷撃が放たれると、邪神魔導兵の頭部から臀部へと駆け抜けて行った。
邪神魔導兵器は、無数の防壁を一瞬に展開すると雷撃に備えた。
しかしそれでも幾つの雷撃は何重にも張り巡らされた防壁を掻い潜って、邪神魔導兵器に直撃を食らわせた。
巨大化したロウマの背後に隠れるようにして立っていたヒルダは、眩いほどの光に視界が染め上げられた後で、ロウマの体の腰から上が溶けた蝋燭のように消えてしまっていることに気がついた。
「な、なんだ、この圧倒的な力は……。これがずっと魔族を撥ね退けて来た、この大陸の守護神の力……。でも……」
ヒルダは腰を抜かして、黄金聖竜の圧倒的存在感を呆然と見上げていた。
しかし全長三百メルテ近い守護神に対して、邪神魔導兵器はそれを凌ぐ全長四百メートル近い巨体の持ち主だ。
しかもこの古代兵器を作り上げたのは、黄金聖竜の前身である神族だ。
つまりこの戦いは、時代は違えど神族が持てる力と技術を結集した結実が、時を超えてぶつかり合っている骨肉の争いと言える。
だからヒルダが予想した通り、黄金聖竜の攻撃力がどれだけ規格外で驚嘆に値しようとも、対する邪神魔導兵器も同じように規格外の産物だった。
ヒルダの目の前で腰から上を失くしていた筈のロウマの肉体が、みるみるうちに再生していくはないか。
それは既にヒルダの知る上位魔法の一つ、神速治癒の範疇を超えていて言葉も出なかった。
そして傍らではタイガとの戦闘では表情を一つも変えなかったマキナが、情けないほどに相好を崩していることに気が付いた。
頬をほんのりと紅潮させた顔で、黄金聖竜の威風をうっとりと見上げている様は、まるで狂信者そのものだった。
敵の象徴でもある相手に、心の底から陶酔しているような横顔を浮かべることが、ヒルダには到底理解できない行為だった。
「マ、マキナ、お前は一体なにを考えている……? もしかしてお前の狙いは最初から黄金聖竜だったのか……?」
ヒルダの問い掛けに気付いたマキナが、嬉々として語りだした。それは悪巧みがバレた悪ガキのように見えなくもない。罪悪感の欠片もない、ただ純粋な欲求のみに従ったことを誇りにすら思っているような表情だ。
「だってママ、黄金聖竜だよ! 僕は連合王国に来てから図書館でこの大陸の、この世界の成り立ちと歴史を調べたんです。古代戦争に失望した神族たちは、自らの命と肉体をヒト族や亜人種、そして守護神黄金聖竜へと作り替えた。それは何故でしょう!? 失望したからですよ。四種族が統治する世界の脆弱さと醜さに! 神族はこの世界を作り替えたかったんです。しかしそれ以外の三種族はそんな神族の我儘に賛同する訳がありません。だから賭けに出た。世界を変えていく、新しい秩序がもたらす新世界への足掛かりとして、まずは地上に新人類だけの世界を作り出そうとした。でも本当の計画はここからなのです! このトネリコール大陸を完全に新人類の支配下に置いた後で、次は魔族の大陸も支配下に置く……。そこでようやく神族が計画した新人類計画は完遂する! しかしその為にはあと一つ力が足りなかった。パズルの最後の一つのピースが埋められなかった。だから私が異世界から呼ばれたんです! 私は異世界で黄金聖竜と同じ『世界を作り変える』という神命を持って生まれた生命です。つまり私は黄金聖竜と同じ! 黄金聖竜は私であり、私が黄金聖竜なのです!」
「そ、そんなの妄想に決まっている……。お前の妄想だよマキナ……。そんな街の図書館に世界の秘密が書かれている訳ないだろ? それに黄金聖竜は私たちを殺す気まんまんじゃないか。私たちの事なんか新人類に害をなす害虫程度にしか思っていない目だぞ、あれは……」
「――黄金聖竜は照れ屋ですからね!」
そう自信満々に答えたマキナを見た時に、ヒルダは胸に渦巻く嫌悪感の正体を垣間見た気がした。
同じ魔族であれ、稀人であれ、新人類であれ、文化や習慣や歴史の背景の違いはあれど、どこか同じ生物として意思疎通ができる感触はあった。
だからこそ、古代遺跡の地下でタイガ達を監視していた時に、運命に翻弄されるタイガとミナセの姿に思わず感情移入してしまったのだ。
しかしマキナには同じ異世界から来たとは言え、タイガたちのような共感を感じない。
それよりも同じ知的生命体としての共感よりも、反感の方が強い。それはマキナを知れば知るほどに強くなっていく。
まるで二人の心の間に超えられない圧倒的な壁が存在するような絶望感。
まるで昆虫と会話を試みているような虚無感。
それが心の中で次第に強まっている嫌悪感の正体だと、ヒルダははっきりと確信した。
「マ、マキナ、お前は狂っている……! お前が例え黄金聖竜と同じだとしても、黄金聖竜に成り代わろうとしても、そんな事を黄金聖竜が許すはずがないじゃないかっ……! そんな無謀で馬鹿げた妄想のために、こんな悪魔の兵器を地上に放ってしまって一体どうするんだ? この償いはどうすれば……?」
「ママ、そんなことは些細な問題なのですよ! 大きな変革には大きな代償はつきものです。そしてその代償を覚悟できる者にしか世界は変えられないのです! ママはどうしたのですか!? 帰る国もなく、暗殺命令も出ています。母親もママのせいで囚われの身です。世界が変われば、その全ての不満が引っ繰り返るんですよ!? ママは私のママです。この世界で私がこうして生きていられるのはママのおかげです。だから私はママの意思を尊重します。私について来るのか、ママ自身が決めてもらって結構ですよ?」
「私は――私は……!」
ヒルダが決断しかねていると、周囲がより一層騒がしくなった。
いつの間にか上空には巨大な魔方陣が幾つも浮かんでいるのが見えた。
そしてその魔方陣から姿を見せたのは、巨大な氷塊だった。
長さが五十メルテはありそうな山のような氷の塊が、雨のように幾つも降り注ぐではないか。
しかもその氷塊は魔法防壁に当たろうが、地面に直接落下しようが、割れて壊れることなく巨体を維持していた。
邪神魔導兵器は巨大で細長い六対の脚で氷塊を叩き割ったり、蹴り飛ばしていたが、降り注ぐ氷塊の数が多すぎて追いつかない。
みるみるうちに足元が氷塊まみれになって、邪神魔導兵器は動きもままならなくなった。
更に氷塊は落下した後も冷気を発し続けているのか、氷塊同士が凍り付いて巨大な壁へと変わっていくではないか。
「このまま氷漬けにして封印する気なんだ……! それにしてもなんて威力なの、この広範囲魔法は……!」
「凄い! 凄いですよ、ママ! はは、さすが黄金聖竜だ! 桁違いの魔法力だ。そうでしょうママ!?」
と、ヒルダとマキナの反応は正反対だ。
そしてマキナはヒルダを振り返ると、さも嬉しそうな顔で口を開いた。
「時間切れです。ママの返事は聞けませんでしたが、新しい世界はきっとママも喜んでくれるはずです。ママはここから早く逃げてください!」
「逃げろって? マキナは!? 一体なにをする気なんだ……!?」
「ママ、ここからが本番です! 神族が作りし邪神魔導兵器では、神族の集合体である黄金聖竜には敵わなかったということです。しかし古代四種族が総出で何とか封印することの出来た邪神ウラノスならば……!?」
「まさか、マキナ、そんな……!」
「既に巨大化したロウマにはある仕掛けを施してあります。その仕掛けならばこの邪神を閉じ込めている封印も断ち切れるはず……。ママ、時間がありません。このまま氷漬けにされたら元も子ありませんからね。早く逃げてください――!」
マキナの言葉が示すように、神速治癒で復元されたロウマの肉体は、いつの間にか歪なほどに膨らんでいるではないか。
しかも所々皮膚が裂けて、中から赤い粒子が噴き出している。
魔力だ。
恐らく巨大化ロウマは体内に魔力を過剰に取り込んで、それを一気に放とうとしているのだ。
「邪神魔導兵器と結合した状態でそんな事をしたら……。封印どころか周辺一帯にもどんな被害が及ぶか……」
ヒルダは青ざめた顔で一気に駆け出した。
もうマキナの安否など頭の中には残っていなかった。
来るべき大爆発に備えて何とか生き残ることしか考えられなかった。
胴体の縁までやって来ると後先考えずにジャンプした。
落下しながら腰の妖精袋から翼竜型ゴーレムを引っ張り出す。
翼竜型ゴーレムの首に器用に飛び乗ると、一目散に邪神魔導兵器から遠ざかった。
その数秒後――
背後で閃光が光り、巨大な爆音が起きた。
衝撃波に呑み込まれて、翼竜型ゴーレムの翼がもげてヒルダの体は空中に投げ出された。
意識を失う直前、ヒルダは閃光の中心で禍々しい巨大な影が起き上がるのを確かに見た――
次回更新は来週金曜日の夜となります。
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