鬼禍 01
家妖精にとって住み心地の良い家というのは、なかなかに得がたいものだ。
まず建物は古い方が良いけれどボロじゃいけない。物が多いのは良いが、整理され過ぎていたりゴミの山で埋め尽くされているのはいけない。
住人の気質も大事だ。家人は感謝を忘れない人柄で、しかし押しつけがましいのはダメだ。さりげない形で感謝を伝える奥ゆかしさがいる。
家妖精のボサボサした髪やモジャモジャの髭に文句を言ったり、鼻のない顔や小さな身体を馬鹿にする連中は御免被る。茶色の粗末な(でも不潔ではない)服を着替えさせようなんてのは、もってのほかだ。
その点、家妖精のクロッドが近ごろ住み着いたこの庵はなかなか悪くない。危険物の封じられた入室禁止の部屋があったり、たまに竜や妖精の女王なんていう、とんでもない来客があるのは参るけれど。
*****
「リンドウ様~リンドウ様~ダイアナ様がお呼びですぜ」
クロッドが庵の裏庭に回ると、リンドウは丸太に腰かけて水煙草をプカプカやりながら、その気になれば人を殴り殺せるほど立派な装丁の本を読んでいた。
その様子を目にしたクロッドの声に、少しばかりの呆れが混じった。
「またサボってんですかい?」
「人聞きが悪いな。仕事ならちゃんとやってる」
隣に目をやると、地面からニョキリと生えた土の腕が、軽快に斧を振るって薪を量産していた。
「ああ、またどうでもいい事に魔法を使って……」
「主観の相違だな」
読んでいた本を閉じながらリンドウが応じた。
「魔法を使って捻出した時間で魔法の勉強をしてる。どうだ、完璧だろ?」
子供の頃は家に帰りたくない一心で図書館に入り浸ったリンドウだが、自分を勉強が好きな人間だとは思っていなかった。
家族と縁を切ったあとは、仕事で必要な技術を身につけるという意味での勉強はあったが、それは必要にかられてのことだ。
自宅に引き籠もった時期に読んでいた本は、現実逃避と暇つぶし以上の意味はなかった。
知識を得るのが地球よりずっと困難な世界にやって来て、初めて学ぶことに前向きになったのは如何にも皮肉な話だ。
「で、ダイアナの婆さんがなんだって?」
「ええ、リンドウ様をお呼びですぜ。何でも頼みがあるとか」
「だから様づけは止めろって」
「賢女であるダイアナ様のお弟子さんを――」
「弟子なんて良いもんじゃあ無ぇよ。せいぜい居候……仕事を手伝っちゃいるから下宿人か?」
「はぁ……」
リンドウが魔女の庵にいつから住み込みで働いているのかクロッドは知らない。リンドウが言うように単なる下宿人なのかもしれない。
しかし、薬の材料を探しに〈奥溜の大樹海〉へ分け入ったり、魔法の水薬の製作時に助手を務めたりするのが、ただの下宿人の仕事と呼べるのだろうか。
火の後始末をしながら答えるリンドウの言に、いまひとつ納得のいかないクロッドだった。
*****
一見では雑然としていて、実はある種の道理に従って所狭しと、一般人には用途の知れないありとあらゆるガラクタに囲まれたベッドの上で、部屋の主は痛みに呻いていた。
「アイタタタ……」
リンドウが粘りのある液体をヘラで壺から取りだすと、布に塗り広げてダイアナの背や腰に貼っていく。
「俺の故郷には“年寄りの冷や水”って言葉があってな」
「ザマァないねぇ」
「力仕事なんて他人に任せるか魔法でやっちまえよ」
「魔法に頼り過ぎとると日々の暮らしが、終いには人生そのものが雑になっていく一方じゃぞ」
「うっ……」
身に覚えがある指摘で言葉につまると、リンドウは話の矛先を変えた。
「でもよ、こんなときぐらい魔法の水薬でも何でも使って、パッと治しちまえば良いだろ」
「う~む……その薬なんじゃがな」
ダイアナが様子を窺うように、そろそろと話し始めた。
「〈ごった煮村〉に薬を届けてやる時期での」
〈ごった煮村〉は樹海の中にある隠れ里だ。ダイアナは富山の薬売りよろしく、村長の家へ置き薬を定期的に届けていた。
「イ・ヤ・だ」
「まだ何も言っておらんぞ」
「届けてこいってんだろ? でもよ、村には俺を恨んでる連中も居るんだぜ」
〈ごった煮村〉成立の経緯に関わった縁もあって、ダイアナは村人に薬を無償で与えていたのだが、その一方的で不自然な関係にリンドウが待ったをかけたのだ。現金収入がないなら物納でも構わないから、材料費だけでも払わせるべきだと。
その所為で、リンドウは一部の村人から蛇蝎の如く嫌われていた。
「あれは村長も納得しておっただろ。もっと早くに自分たちの方から言うべきだったとも」
「そりゃまぁ、口じゃあそう言うだろうけどよ……」
〈ごった煮村〉の村民がダイアナを便利に使っていたのは確かだが、それとて仕方のない部分はある。樹海暮らしの危険さを理由に、村の運営になんとか目処がついた後もついズルズルと甘え続けていたのだ。
ダイアナは強力な魔法使いで齢も三百年を越えている。だが、その性根とでも呼ぶべき部分では、未だに田舎で農業を営む朴訥な村人の心を引きずっていた。困っているご近所さんを助ける感覚で、それ以上の真似をしてしまう。
人は、無償の親切が当たり前になると感謝を忘れる。何かの理由でその親切が行われなくなると、今までの恩を忘れて恨みを募らせる。絶対にそうなる、とリンドウは確信している。
関係ない連中が勝手にいがみ合うことには些かの痛痒も感じないリンドウだが、ダイアナには恩を感じていたし多大な借りもある。
村人の態度に不穏な空気を感じて、見て見ぬ振りをするワケにも行かず、あれこれ動いた挙げ句に恨みを買った。事態をもう少し丸く収めようにも、当時リンドウの共通語は今よりずっと拙かったし、当人の性格も穏便とはほど遠い。
「おぬしら、ちぃとは仲良くせい。子供か」
「お互い子供じゃねえからこそ、いがみ合うんだけどな」
大事なのが自分ひとりだけなら人は譲歩できる。親の、配偶者の、子供の、友人の、仲間の、仕事の、村の、街の、国の為になら、善人は恥知らずにも人でなしにも狂人にもなれる。
「ハァ……とにかく薬のことは頼んだぞ」
「任された」
とはいえ、下宿人の身として家主に頼まれれば否応もない。
リンドウはその晩に旅支度を済ませ翌朝には庵を後にした。
*****
収穫月も後半に入ったこの時期、森は秋の恵みで満ち溢れていた。黄色に染まる森の中、リンドウは落ち葉を踏みしめながらひとり走る。
両端を鉄で覆った六尺棒と地味な色合いの外套は、この世界では徒歩で旅する者の標準的な装備と言える。背中に背負った大きな行李は目立つが、これもロバすら持っていない貧乏な行商人にはままあることだ。
しかし、その進むペースが尋常ではない。これが森ではなく平地であったとしても、常人ならあっという間に息切れしれしまうだろう。〈超恒常性〉と〈魔力光合成〉の合わせ技で、日中に限ってリンドウは何時間でも走り続けることが出来るのだ。
旅に出て三日目の朝、〈ごった煮村〉が近づいてくると辺りの景色は一変する。森の木は途切れ、目の前に草地が広がっていた。この〈まどわしの草地〉は一種の結界で、招かれざる客が奥へ行こうとしても、周囲をグルグル回る羽目になって村にたどり着くことはできない。
草地をしばらく進むと村が見えた。魔獣の被害が無視できないこの世界では、村の中心部を要塞化することも珍しくない。どんなに平和な村であっても、逆茂木で囲って空壕を掘るぐらいの対策は立てる。
〈ごった煮村〉もその例に漏れず、村は水壕と木柵で囲まれ見張り塔も建っていた。それらは〈まどわしの草地〉が効かない魔獣や人間に対する備えだ。
進む速度を緩め、リンドウは手を大きく振りながら村へ近づく。
村への唯一の入口である橋を守っている守衛のうち一人が、手に持った槍を掲げて応えた。
もう一人は来客を村長へ伝える為だろうか、村の中へ駆けていった。
橋を渡ったリンドウに守衛の男が声をかける。
「薬の補充だよな? いや、助かった!」
「お、おう」
予想外の歓迎ムードに思わずリンドウがうろたえる。
先走りすぎた守衛の男は我に返り、今日はリンドウがひとりで村に来ているのに気づいた。
「……そういえばダイアナ様は?」
「婆さん腰をやっちまってな。今日は俺ひとりだ」
「おいおい、大丈夫なのか?」
「あぁ、そんな大袈裟に心配すること無ぇよ。家妖精も看病してるしな」
「なら良いんだが。ダイアナ様はこの村にとって大恩人だからな」
「それより薬がどうしたってんだ。誰か大怪我でもしたのか?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが――」
守衛の男は嫌悪も露わにして、吐き捨てるように答えた。
「悪鬼が出たんだ」
悪鬼はこの世界に住む知的種族のひとつで、その残虐さと繁殖力の強さで人間や妖精からは忌み嫌われている。体躯は汎人(地球で言う人間)の子供と同程度で、鉤鼻と鋭い歯が並ぶ裂けた口、尖った耳、毛深い赤褐色の肌が特徴だ。
リンドウも最初は「おいおい、外見のキモさとか低い文明レベルでそこまで差別するのかよ」と思っていた口だが、実際に遭遇した後は「アレと共存するのはチョット無理かもな」という結論に至った。
想像して欲しい。ブサイクで毛むくじゃらで不潔な小学生(高学年)の集団が、目を血走らせ奇声を発し口から泡を飛ばし武器を振り回しながら問答無用に殺意120%で襲いかかってくるのだ。ヤワな神経の持ち主ならば、たとえ戦いから生き延びられても夢に出てうなされる。
「悪鬼かぁ……」
ウヘェ、と顔をしかめたリンドウだが、直ぐおかしな点に思い至った。
「おいおい、どうやって連中が〈奥溜の大樹海〉に集落だか巣穴だかを作るんだよ。悪鬼の祈祷師がやる呪い程度じゃ、ココの〈主〉連中を防ぐのは無理だぜ」
「スケアクロウさんが、狩人見習いのガキと一緒に悪鬼の小集団を見つけたんだ。きっとどこかに巣を作ってるハズさ」
「ハズって、そいつらの後は追わなかったのか?」
「いやあ、連れてくのも一人で村に帰すのも無理だって。ここは普通の森じゃないんだからさ」
守衛のものではない、若い男の声が答えた。




