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見知らぬ森の中で 01

 誰ひとり通わぬ森の奥深く、今では民衆の記憶にも残らない場所に、昔からその遺跡は存在していた。

 打ち捨てられて瓦礫の山となった神殿が、森の中で霧雨に打たれ濡れ光っている。

 数十年、あるいは数百年ぶりか。野の獣の他には動くものの気配が途絶えた神殿には、久方ぶりに来訪者の姿があった。




     *****




 目覚めると、ミチオは石造りの祭壇の上に横たわり、全身を雨で濡らしていた。

 身を起こし、祭壇に腰かけたまま険しい表情で周囲を見渡す。

 前髪からはぽたぽたと雫が落ちた。

 ドテラもスウェットの上下も、すっかり水を吸いこんでしまっている。

 両手でドテラの襟をかき合わせた。


 祭壇は周囲より少し高い石段の上にあって、遺跡の全体が見渡せた。

 25メートルプールよりは大きいだろうか。


「あー」


 ミチオが呻き声をあげる。

 

「マジか……マジでか……」


 全て夢だったに違いないという楽観的な希望は打ち砕かれ、ただ茫然と雨に打たれる。


 どれほどの間、そうしていただろうか。我に返ったミチオは祭壇から床の上へと降りた。

 祭壇の周囲を歩くと、裸足の足裏が石造りの床でペタペタと音を立てた。

 気を抜くと足が滑りそうで恐る恐る歩を進める。

 石の床に掘られた溝が目に入った。

 祭壇から床へと走る溝に今は雨水が溜まっている。


「……生贄の、か?」


 顔を顰めたミチオは祭壇から距離を取り、今度は眼下の方へ目を向けた。

 上から眺めると遺跡の周囲にはブナとおぼしき木々が見渡す限り広がっている。

 それ以上は視界が悪くて分からない。

 とにかく雨が止まないことには埒が明かない。


 滑る瓦礫の上をおっかなびっくり、雨が避けられる場所を探して歩いた。

 裸足で瓦礫の上を歩く痛みに苛まれながら、遺跡と森の境界上をぐるりと一廻りする。

 あの、神を自称する男の言によれば、ミチオの身体は完全に別物になったハズだ。

 しかし、今のところ身体に違和感はない。


(まず、雨風をしのげる場所だな。それと雨水が乾く前に飲み水の確保か……)


 考えに気を取られたのが災いしたのか。

 目の前の瓦礫を乗り越えようと両腕に体重をかけたときだった。雨に濡れた石で手が滑った。

 しまった! と思う暇もない。

 かなりの強さで瓦礫に額を打ちつけ、鈍い打撃音が周囲に響いた。


「痛――ッ……くねェ?」


 額に触れてみても何ともない。

 瓦礫を見ると、額の当たった部分にヒビが入っている。


「…………」


 ミチオの眉間にシワが寄る。

 いよいよバケモノ地味ていて、悪い夢を見ている心地だった。

 しかし、瓦礫のヒビは紛れもなく現実だ。

 今からこの身体を前提に生き方を考える必要がある。


 瓦礫に背を預けてその場に座り込む。

 首に巻いたままだったタオルを手にする。

 絞ると、吸い取った雨水が滴り落ちた。


 自称神によれば、この世界にも人が住んでいるらしい。

 特異な体質が他人にバレたときどうなるのか。

 魔女や悪魔憑き認定からノータイムで火炙り決定という可能性だってある。


 異世界から来た人間が自分の他にも居るのか居ないのか。

 居たとして、この世界に順応できているのか。

 今のところは何も参考に出来ない。

 全て自分で考えるしかない。


 ミチオは考えを巡らせる。この世界の住民に対する自分のアドバンテージは?

 神を自称する男の情報によれば、地球の方が文明は発達しているそうだ。

 しかし、文明の格差を利用して優位に立ち回るには、先にこの世界について詳しく知る必要がある。

 その為には社会に溶け込まなくてはならない。

 過程を想像するだけでミチオは憂鬱な気分になる。


 本当の本当に最悪のケースを想定すると即座にこの場で自殺の一択になる。

 だから、ミチオは程々に最悪なケースを想定する。やはり荒事は避けられないだろう。

 その際はこの新しい身体が命綱になる。

 ならば、単に性能を把握し使い方を覚えるだけでは足りない。能力を十二分に使いこなせる必要がある。


 いざとなったら文明社会に背を向けて完全な自給自足生活を送ろう。

 いつでもその選択肢を選ぶ用意があるなら、大抵の失敗はやり直しが効くだろうから。


 いつしか雨は止んでいた。

 雲の切れ間から陽が射し込み、緑が息を吹き返すように鮮やかな色を見せる。

 森を爽やかな空気が包んでいた。


 ミチオは脱いだ服を手で絞り平らな岩の上に広げた。

 パンツ一枚の姿で自分も石の上に座り込み、無意識に右腕を摩ろうとして違和感に動きを止める。

 火傷の跡が消えた右腕をまじまじと見る。

 慌てて自分の身体を検めると、記憶にある他の傷痕も軒並み消えていた。


(ハァー……)


 喉から絞り出すように、大きなため息が漏れた。

 陽を浴びていると〈魔力光合成〉の効果か、身体の奥底から新たな力が湧いてくるのを感じた。


「よッと!」


 掛け声と共にミチオは地面へ降り立つ。

 雨で冷えきっていた身体は熱を帯び、あちこちから湯気が立ち昇った。




     *****




 ミチオはまず、利用できそうなモノを探しつつ、周辺の地形を把握するところから取りかかった。

 遺跡をざっと調べる。

 木製の品は殆どが朽ちて使い物にならなかったが、錆びついた鉄器が辛うじて幾つかと、割れていない陶器が手に入った。


「これだけ揃えば、ウイグル族ふうに言えば神の恵みってヤツだな」


 独り言が多いのは不安の表れか。ミチオには自覚がなかったが。


 神殿のすぐ傍で、ここを利用していた信者のものらしき住居跡を見つける。

 ミチオは当面の拠点をその場所に決めた。人が以前に住んでいた実績を重く見たのだ。


 家は元々、石積みの壁をモルタル(のようなもの)で固め、木の梁を上げ藁で屋根を葺いたものだったらしい。

 今は壁だけが辛うじて残っている。

 その作りから、この廃墟は神殿本体より時代を下った建物ではないかとミチオは感じた。

 周囲には木がふんだんにあるのに壁を木造にしなかった理由は? 分からないことだらけだ。

 疑問が浮かんでもそれらを確かめる知識も術も無い。

 今は遺跡の保存や謎の解明より自分の生活が大事だった。


 寝床を確保した次は、陶器の壺を持って森に入る。

 裸足のまま森を歩くのはかなり不安だったが、衣服を切り裂いて即席の靴を作るのは躊躇われた。

 何せ替えがない。スウェットもドテラも、おそらくこの世界に一着しかない。

 感傷と言ってしまえば、それまでだが。


 森は日中でも薄暗く、日本にある笹藪だらけの雑木林に比べれば下生えが少なくて歩きやすい。

 地表を覆う腐葉土やコケを踏みしめて進む。

 濃密な緑の匂い。どこからか鳥の鳴く声が聞こえてくる。


「凄ぇ……」


 映像でしか見たことのない深い森に圧倒される。

 ミチオの感覚では森=山だったから、平地にどこまでも森が続くのは何だか別世界のようだ。

 そういえば本当に別世界だったのを思い出し、何だか自分が酷くバカになった気分がした。


 雨上がりの森をうろつきながら、水が蒸発してしまわないうちに梢からタオルで壺へ雫を集める。

 降ったばかりの地面に接していない雨水なら飲んでも大丈夫だろう。

 本当なら、できるだけ煮沸するべきだろうが。


 どちらにせよ、数日以内に水場を見つけなければミチオを待っているのは渇死だ。

 明日以降、朝露を集めるだけで一日分の水が確保できるものだろうか?

 ミチオは不安を覚えた。雨が降らなければ、最悪は水溜まりの泥水を啜る羽目になるだろう。


 雨上がりの森は全てがじっとりと濡れそぼっていて、薪になりそうな枝は見つからない。

 それでも何かの役には立つだろうと、手頃な大きさの枝や蔦を拾い集める。

 ベリーやキノコの類も目に入った。しかし、見た目が似ていても地球のものと同じなのか分からない。

 その必要がなければ、今は手を出さない方が賢明だろう。


 明かりがない以上、陽が沈んだ後は一歩も動けなくなると考え、ミチオは早い段階で森の探索を切り上げた。

 事実その通りになった。


 夜の帳が下りる。

 遺跡の周辺に高い木は疎らで、月の光は天井のない廃墟の中へ十分に届いた。

 それでも尚、生まれてから一度も経験したことのない深い闇の中で、廃屋の壁にもたれたミチオはまんじりともせず夜が明けるのを待つ。


 夜行性の生き物が立てる音に肝を冷やす。

 手には、棒の先端に錆びたナイフを括りつけた手製の槍を握っている。

 モノの役に立つかどうかも怪しいが。


 〈全身硬化〉を一晩中使い続けられれば危険は無いだろうが、この能力の思わぬ欠点が判明していた。

 一瞬だけ発動した際には気づかなかったが、使用中は五感が閉ざされるのだ。

 周囲の状況がまったく把握できないのは困る。自称神を問い詰めたかったが後の祭りだ。

 目も耳も鼻も口も肌も鉄より硬く変化するのだから当然かもしれないが、魔法なら融通が利いても良いだろうとミチオは残念に思った。


 眠った状態で襲われた場合でも〈全身硬化〉の能力は有効なのか?

 ミチオには確証がなかった。

 あの自称神の説明によれば、〈全身硬化〉は体の表面を覆う魔力の膜に一定以上の力が加わると自動で発動するらしい。

 実際、先ほど頭を打った際も考えるより先に発動していた。

 〈魔力光合成〉についても、今日は何も食べていないのに空腹は感じていないから機能しているだろう。


 与えられた能力に対する検証が足りていない。

 得体の知れない能力に頼りきるのも不安だ。


「はぁ……」


 結局のところ中途半端なんだよな――と、どこまでも煮え切らない自分にミチオは呆れていた。

 今は目の前の問題だけに集中して、それ以外は生活が安定してから考えよう。


 まずは水の確保。

 井戸は今のところ見あたらないが、家があったのだから近くに水源があるハズだ。

 きっと。多分。だったら良いな。

 次は住環境を改善しよう。

 この身体に食料は不要だから、住居と衣装に労力を割くべきだろうか。

 真っ暗闇のなかで何も出来ずにいると、とりとめのない考えが幾つも脳裏に浮かんでは消えていった。


 翌日。

 夜明けを待って朝露を集めたミチオは昼まで眠り、午後からは丸一日かけて森に入る準備を整えた。

 うろ覚えの記憶で編んだ蔓製の草履モドキが頼もしい。あやふやな記憶では「草履のようなモノ」にしかならなかったが。

 陶器の壺も蔦で肩から提げられるようにした。


 翌々日は朝から森に入った。

 この日の探索でミチオは小さな沢を発見し、飲み水の確保に成功する。


 四日目以降は周辺で入手できる材料を元に道具を増やしていった。

 手製の石斧を振るって木を伐採する。

 石で磨いて錆を落としたナイフで加工する。

 粘土を焚き火で焼いた器は時間が経つと水が漏れてしまった。


 失敗をくり返しながら、原始的な自給自足生活の体裁を整えていると、あっという間に月日が過ぎていった。

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