世界を渡る前に 02
男の顔をまじまじと見つめ、ミチオが問い質す。
「……聞き間違えじゃなければ、いま、“サラマンダー”と言ったか?」
「あちらは竜や妖精が住んでいる世界で、魔法もありますよ。もちろん飛竜以外の魔獣も」
「ふざけてんのか!?」
ミチオの声には、隠しようもない苛立ちがあった。
「ムチャクチャ物騒じゃねえか! なぁ、俺が戦鎚一丁で飛竜に立ち向かうマッチョのハゲ男に見えるか? 戦車くれよ、チーフテンで良いから!!」
「ご安心ください。現地の飛竜は映画の飛竜と違って火を吹きません。尻尾の先に毒針はありますが」
何ひとつ安心できない。
「そこで、段ボール箱の話に戻りましょう」
「段ボールぅ?」
話題の転換に追いつけないミチオから疑問の声があがる。
「スズヌマさんの生物としての〈格〉と申しますか、それを上げる必要があります。今のままでは神の〈力〉を注いだ途端、聖櫃の蓋を開けたナチスの将校みたいになりますからね」
「ちょっと待て、俺に超人血清でも打つってか」
「どちらかといえばアバターや全身義体ですね。外見はそのままで宜しいですか?」
「いや……そうだな、それで良い」
全くの別人としての再スタートも心に浮かんだが、記憶が継続するなら今のままで良いと思い直す。
「では希望をどうぞ」
「希望ったって」
ミチオの口から、言わずもがなの愚痴がついて出た。
「そもそも、別に無理して生き返りたいワケじゃねぇし……」
「まだそんなこと言ってるんですか。いい加減にしてください」
「そう言われてもな」
困惑するミチオに男からアドバイスが飛ぶ。
「あなたの魂が許容できる範囲に応じて能力を追加しますから、数を増やせば能力ひとつあたりの性能は低くなります。ある程度は数を絞る方が良いでしょう」
「じゃあ……例えば馬鹿力とか?」
「全てを筋力に注ぎ込んだ場合、スズヌマさんの体はハルクに変身したまま戻れないバナー博士ですね」
「いやいやいや」
ミチオは疑問を投げかける。
「何でそうなる? 別に外見とは関係なく怪力で良いだろ」
「何を言ってるんですか、筋力は筋肉の断面積に比例するんですよ。体形はそのままで身長が2倍になったら筋力は4倍で体重は8倍ですよ。それぐらいの計算はできるでしょう?」
「何でいきなり柳田理科雄やってんだよ!? ホントに神ならそんなのどうにかしろよ!! 制限があるなら最初っからちゃんと言えよッッッ!!!」
ミチオが激昂しても、男のペースは些かも崩れない。
「何が起きたところでたったの星ひとつ、宇宙全体からすれば誤差みたいなものです。が、わざわざ影響を大きくする必要もありません。その生物本来の範囲を越えた特殊な個体が持つ能力や、地球にも転移先の世界にも存在しない新規の能力は諦めて頂きます」
「だったらッ! 始めっからッ! そうッ! 言っとけよッッッ!!」
肩で息をしながら、ミチオは緩んでいた気を引き締め直した。
人の心と人生をもて遊ぶコイツは、いよいよ本当に神なのかもしれない。
「スズヌマさんが送り出した直後に死のうと、寿命を全うしようと、異世界へ辿り着いた時点で目的は果たされますので、あとは自由です。悔いのない選択をしてください」
「ああ、そう、そうね……」
あんまりな言い様に、死んだ魚の目になってミチオは応えた。
神のタイムスケールでは人が一秒で死のうと百年生きようと大差ないのかもしれない。
ミチオは気を取り直して、異世界で送る二度目の人生について想像を膨らませる。
しかし、見事なまでに何のイメージも浮かばない。
(う~ん……?)
戸惑うミチオの額に汗が滲んだ。
ミチオにとっての日常とは、自分を害そうとする他者や状況にひたすら対応する作業の繰り返しだ。
自ら能動的に何かを選択した経験が殆ど無く、行動は常に「○○だけは避けたい」という消去法に従った結果だった。
生命と安全の保証以外に、具体的な要望が何も思い浮かばない。
「参ったな……」
自嘲するミチオの声には力がなかった。
「では、異世界での生活に必要な能力を順に考えていきましょう」
男から助け船が出る。
「〈他心通〉の能力を肉体に与えます。話者が目の前にいれば、言葉は通じなくても直に意志を読み取れるでしょう」
「それじゃ話すのと読むのが無理だろ。プログラムをインストールするみたいに言語を身につけられないのか?」
「自分のものではない知識や経験を外部から挿入する処理は、魂を大きく傷つけ〈格〉を下げる結果を生みますから、今回のケースでは許可できません」
「意外と不便なんだな」
がっかりするミチオに対して、男が説明をつけ加える。
「肉体を失った状態のまま記憶や経験を安易にツギハギしますと、自我に重大な問題が生じる可能性がありまして」
「だったら先に肉体を得た後で――」
「諦めてください」
「…………」
「これはアドバイスですが。能力を使いこなしたければ、心ではなく魂が欲する本当のところを選んでください」
「便利そうだからって理由で能力を選んじゃダメなのか?」
「構いません。ですが、あちらの世界にいる同じ能力を使う生物より、数段劣った性能しか発揮できないでしょう」
ミチオはしばらく宙を睨んで唸ったあと、目を閉じて自分の内心へ深く踏み込んでいった。
自らの過去を顧みるのは苦痛を伴う作業だった。
思い出したくもない出来事や、二度と関わり合いたくない人物が幾人も脳裏を駆け巡る。
長い時間をかけて、その時が訪れる。
限界まで注がれた水が器から溢れるように、ミチオは自らの望みを口にしていた。
「俺には自分の人生から追い出したいものが三つある。『痛い』『ひもじい』『苦しい』だ」
「なるほど、順番に聞いていきましょう」
ミチオの望みに男が応える。
「まずは『痛い』ですが、単に任意で痛覚を遮断するだけではいけませんか?」
「それじゃ何の意味もねぇ」
ミチオが撥ねつけると、男は次々に代案を出していった。
「では竜に匹敵する防御力を得るため全身を鱗で――」
「却下だ」
「ならば分厚い脂肪と毛皮を――」
「却下。人間を辞めて雪男になるつもりは無い」
「あちらの世界には、いわゆる獣人もいますが?」
「お前には俺がいわゆる獣人とやらに見えるのか?」
「外見だけ今と同じ人間のままでも中身が人外のモノを人間と呼ぶのは――」
「人外になるのはオメェの所為だろぉ!?」
埒が明かなくなったのか、男は趣向を変えた。
「こちらをご覧ください」
突如として二人の前に大きな生き物が姿を現した。
甲羅だけでタタミ一畳はある巨大なカメが、半透明の像を結ぶ。
「うぉっ」
「大兜泥亀です。発達した甲羅の盛り上がりが兜のようでしょう? あちらの世界で湿地帯に住んでいる半水棲の魔獣です」
驚くミチオを尻目に、男が淡々と解説を加えた。
「どんだけデカい兜なんだよ……。それで魔獣ってのは、普通の動物と何が違うんだ?」
「生得的に何かしらの魔法を使う生物の総称ですね。地球の生物以上に極端な特殊能力を持っていると考えれば良いでしょう」
「フム」
映像のカメは、赤ん坊の頭より大きな巻貝をバリバリと噛み砕いている。
その様子を眺めながらミチオが尋ねた。
「で、コイツはどんな能力を?」
「ただでさえ甲羅の頑丈なカメなんですが、魔法で全身を鋼鉄より硬くすることができます」
映像のカメが手足を引っ込め、全身に金属のような光沢を帯びる。
「この状態になると、もう生半可な武器や魔法では傷ひとつ付きません」
ミチオは、これほど巨大なカメが魔法で身を守る必要のある捕食者に思いを馳せる。
そりゃあ竜が存在する世界だものなと勝手に納得していた。
「別に無敵ってワケじゃないんだろ。弱点を教えてくれよ」
「硬くなっている間は身動きが取れません。そのまま火口などに放りこまれるとマズいでしょうね。人がこのカメを捕まえた場合も、大抵は檻などに放りこんで餓死か衰弱死を待ちます」
「気の長ぇ話だな。いったい何に使うんだ?」
「適切な処理を施すと、持ち主の魔力を消費して硬化する素材になりますね」
その後も話し合いは続き、ミチオは大兜泥亀が持つ〈全身硬化〉の他にも、樹人の〈魔力光合成〉と吸血鬼の〈超恒常性〉を身につける運びになった。
「アニメーターになるワケでも映画監督になるワケでもねぇのに、何でショッカーに捕まって改造手術を受けなきゃならねぇんだ……」
「食べなくても平気だとか、怪我や病気をしても平気だとかを望む時点で、地球人の範疇からは外れますよ」
苦虫を噛み潰したような顔をするミチオに、男が忠告する。
「スズヌマさんの場合は単に死に難いだけで、戦闘力は大したことありませんから十分に注意してください」
「だったら、もっとアッチの世界について教えてくれりゃあ良いのによ」
「アハハ」
「アハハじゃねえから、マジで」
恨み言をぶつけても、いささかも痛痒を感じない相手では、単なる虚しい一人相撲でしかない。
項垂れるミチオを、そうした当人が労った。
「これにて準備は全て終了です。お疲れさまでした」
「……まぁ、ナンだ。アンタも達者でな」
ミチオが別れを告げる。
男は最後になってひと言つけ加えた。
「あちらの世界のどこに出現するかは現地の神に一任し、私からは何ひとつ申しつけておりませんので、くれぐれもお気をつけて。それでは良い旅を」
「はぁッ――!?」
驚愕の叫びを最後に、ミチオの身体は白い空間から消え去った。




