暗夜の礫 04
〈月桂樹の谷〉を後にした二人は進路を南に取った。
元々は東に向かうつもりだった二人は、万が一にも後を追われる面倒を避け予定を変更したのだ。
考え過ぎである。
薬狩道は、半島北部の山間を縫うように流れる狩人川に沿って伸び、峠を越えた先で半島南端の〈下野の港〉まで続いている。
落ち葉が降り積もる道を、二人は足早に進んでいった。
「幾ら何でも逃げ出さなくて良かったのでは?」
「うっせえ」
「治療費もまだ受け取っていませんでしたのに」
「途中で放り出しといて金なんか貰えるかっ」
「そろそろ路銀も工面しませんと」
「わーってるよ!」
実は、金ならある。
シークェルの〈底なし鞄〉には、施設を襲った略奪者たち過去千年分の遺留品から有用そうなモノを見繕い入れてあった。
所持している硬貨は時代も国もバラバラだが、金や銀そのものに価値があるから使い道はあるだろう。
しかし、それらはあくまでもシークェルの持ち物なので、リンドウは手を付けていない。
どうしても金が入り用になったら借りる場合はあるかもしれないが……。
道を進んでいた二人は、まだ村からそう離れていない場所で立ち止まった。
周囲を見回す。変色した地面、周囲に漂う臭気、道端には踏み荒らされた跡がある。
ネストルと彼のロバが何物かに襲われた現場だ。
「結局、正体は何だろうな」
リンドウの問いに、シークェルは無言で頭を横に振る。
襲われた当人は知っていたかもしれないが、話を聞く前に出てきてしまった。
リンドウがしゃがみ込んでよく見ると、地面に何かを引きずった跡がある。
「その場で食べずにロバを運んだのか」
リンドウの中で、犯人はクマだという疑惑が更に増した。
遡上したマスを獲りに川へ行こうとしたクマが、不幸にも人と遭遇したのだろうか。
人と鉢合わせた場合クマは驚いて逃げることが多いそうだが、子連れだと攻撃性が増すとも聞く。
あるいは、道を歩く人(とその駄獣〉という与しやすい獲物の味を覚えたクマなのか。
「本当にクマなら、あの村は運が良い」
「怪我人が出たのにですか?」
怪我をしたのは村人じゃなかった――と反論しかけて、我ながら薄情なものだとリンドウは思う。
しかし、これから魔獣の被害が増えそうなタイミングで予行演習が出来るのだ。やはり運が良い。
視線を横へ向けると、何かを引きずった跡は道を外れ森の中へ続いていた。
その視線を追ったシークェルが尋ねる。
「追いますか?」
「何でそうなる……」
リンドウはしゃがんだままの姿勢でシークェルを見上げた。
能面のような表情からは何も窺うことは出来なかった。
「どう考えても余計なお世話だろ」
「しかし――」
「しかしもカカシも無ぇよ。必要なことは伝えた」
リンドウは立ち上がり、シークェルへ厳しい眼差しを向ける。
「そりゃあ、古代帝国と比べりゃカスみたいな村かもしれねぇが。今の時代は皆アレで立派にやってんだ」
「それは……」
「部外者が個人の力で解決したって、そりゃ問題の先送りだぜ」
天災に匹敵する規格外のシロモノはまだしも、普通の魔獣に襲われただけで何年もかけ開拓した村が簡単に滅ぶようでは国など成り立たない。
しかし、シークェルは〈月桂樹の谷〉の安全性をまったく評価していないらしい。
そこまで話をして、リンドウは互いの齟齬に気がついた。
「あぁ……〈ごった煮村〉は、アレ、例外だぞ。立地が特殊すぎる。一〇〇人も住んでないような村に、あんな頑丈な塀と水濠は異常だからな」
〈月桂樹の谷〉の防衛施設は逆茂木に空堀という最低限のものだが、田舎の村は大抵どこも同じようなものである。
完全に要塞化しなければ魔獣の被害が無視できないような場所には、そもそも村を作らない。
何か特別な事情(例えば防衛上の要所であるとか)があるなら話は別だが。
「この時代の住居は、あまりにも無防備ですね」
肩をすくめるシークェルに、リンドウが投げやりに答えた。
「セコムも付いてないしな」
「せこむ?」
「ええっと、守護者かな」
「それならば、はい。左様ですね」
そんなモノがあったら居住地も農地も今よりずっと簡単に広げられるし、人や物の移動はもっと盛んになるだろう。
この世界では道を整備するだけでも魔獣の被害を無視できない。
いま二人が歩いている田舎道も、おそらくは非常な労力と犠牲の上で作られたものだろう。
「……ここで地べたと睨めっこしてても仕方ねぇな、行くか」
リンドウとシークェルの二人はその場を後にした。
もしこの時、痕跡を素通りせずに追って森の中に踏み込んだら、二人は大した時間もかけずに魔獣の亡骸を見つけただろう。
一頭のロバを巡って争い共倒れになった梟熊と鷲獅子。
ネストルと彼のロバを襲ったのは普通のクマではなく、凶暴なことでよく知られる魔獣の梟熊だった。
ロバを連れていなかったら、彼が餌食になっていただろう。
後日、〈月桂樹の谷〉の住民が森の中で魔獣二体の亡骸を発見し大変な騒ぎとなる。
梟熊も鷲獅子もヒグマよりずっと危険な生物だ。
村からそれほど離れていない場所で、魔獣が同時に二頭も出現する。
それは、村全体の防災意識を改めるのに十分な効果を果たすことになった。
幸いなことに、梟熊と鷲獅子の亡骸が、幾ばくかは村の防衛態勢を刷新する費用の足しになった。
防壁の再整備が済むまでの間、村人たちの心労たるや如何ほどのものだったろうか?
だが、それはまた別の物語である。




