暗夜の礫 01
この大陸の全体像を大雑把に言えば、欠けた部分が南東を向いた『C』のような形をしている。
環の欠けた部分が欠歯海峡、環の内側は顎門海と呼ばれる内海だ。
顎門海の北西側には、南へ向け突き出した喉彦半島がある。
「――で、半島の付け根の東側にある〈境界の町〉と西側の〈中州宿場〉は東ノ浦街道で繋がってる。二つの町の間にあるのが踏継ぎ峠だ」
二人が街道から六マイル(約九・七キロメートル)ほど南へ走ると川に突き当たった。
喉彦半島の北側を流れる狩人川だ。
その川岸の砂地に二人の姿がある。なぜか、荷物を殆ど持っていない。
街道を出てしばらくは自己嫌悪に沈んでいたリンドウだったが、既に気持ちを切り替えていた。
今は拾った棒で地面に図を描きながら、シークェルに周辺の地理を説明している。
彼女の知識は千年も前のものが基本になっているから、更新しなければならない分野は多岐にわたる。
「〈中州宿場〉から更に街道を西に進むと〈湿草野の港〉だ。その二つの町の中間地点を南下してきたから――」
ズズッと下向きに、街道と海岸線の中間地点まで線を引いた。
「今はこの辺りだな」
「樹海からは随分と離れてしまいましたね」
「〈ごった煮村〉はこの辺りだな」
リンドウは〈境界の町〉から北に少し離れた所へ棒を突き立てた。
「意外と人里に近いのですね」
「地図の上じゃそうだが、この辺りに――」
〈境界の町〉と〈ごった煮村〉の間に斜めの線を引く。
「絶壁があるから、直には行けねぇんだ」
「なるほど。東か西に大きく回り込む必要があるのですね」
「西は無理だな。〈御贄の谷〉がある」
「名前からして如何にも不吉ですね」
「亡者の巣窟だよ」
地面に描かれた地図を見ながら、シークェルが尋ねた。
「これからどうしますか?」
「それなんだよなぁ……」
リンドウが腕を組んで唸る。
町の中まで入るか否かはともかく、当面の目的地は〈境界の町〉だ。
「普通なら、いったん西に進んで海沿いに〈湿草野の港〉を目指して、あとは街道を進む」
「そう言うからには無理なのですね」
「ボニファスの野郎、荷馬車を襲ったのも俺たちの所為にしてるかもしれん」
「わざわざ自分から藪をつついて蛇を出すような真似をするものでしょうか?」
犯罪者は官憲との関わりを出来るだけ避けるものではないのか。
首を傾げたシークェルの誤解を、リンドウが指摘する。
「千年前とは違って、まともな犯罪捜査機関なんて無ぇぞ」
「え……」
「このイカレた時代へようこそ」
リンドウは両手を広げて歓迎の仕草をして見せた。
「それに、ああいう手合いは、自分の嘘だけはバレないと思ってるだろ」
「尚のこと、きちんと事情を説明をした方が良かったのでは?」
「商隊や護衛の連中なら話を聞いてくれるかもな」
「と言いますと?」
「町に着いてみろ。あっちは税金を払ってる歴とした市民で、こっちは浮浪者だぞ。事実がどうだろうと俺たちが悪いってことになる」
「浮浪者ですか……」
シークェルは、現代における自分の立ち位置を改めて思い知った。
「嫌なら、宿なしとでも言い替えるか」
「何も変わりませんよね?」
「どちらにせよ――」
地図から目を離し、リンドウは身体を解すように背伸びをした。
「近くの町に行くのも街道を通るのも、避けた方が良いな。田舎道を使うか」
「何か忘れていませんか?」
「確かに。殺し屋に顔を覚えられて、しかも逃げられてるな……」
嫌なことを思い出しリンドウの顔が歪む。
シークェルは構わず続けた。
「個人的な復讐か、その代行だったのでしょうか。あるいは犯罪組織の抗争に巻き込まれたか」
「わからん」
「わたくしどもには、遠距離でも殺傷力のある攻撃手段が足りませんね」
「いや、殺そうと思えば殺せた」
喉から苦いものでも吐き出すような声だった。
リンドウには目に頼らない魔力を用いた知覚がある。
視覚を潰されても位置ぐらいなら把握できる。魔法での攻撃は可能だった。
「では何故?」
「……あれ、多分まだ子供だよなぁ」
最初は殺し屋を汎人ではなく、小柄な種族なのかとも思った。
六尺棒が直撃した際の悲鳴で、おそらくは年若い女性だと知れた。
「いざってなると躊躇っちまった」
リンドウは難しい顔で眉間のシワを揉みほぐす。
相手が大人だろうと子供だろうと殺すのに違いは無いかもしれないが、理屈ではない。
「次があったら最初っから逃げよう」
「それが可能であれば良いのですが」
「……とりあえず東か南しか選択肢がないな」
二人は東に進路を取り、喉彦半島の中央を縦に走る薬狩道を目指した。
狩人川に添って上流の方へ道なき道を進む。川は途中で薬狩道に突き当たる。
薬狩道を北に進めば〈中州宿場〉だが、今はまだ避けた方が無難な町だ。
いったん南に向かい〈月桂樹の谷〉まで行けば、半島の東側へ抜けられる山道がある。
「――と、見てきたように言ってるが、俺も実際には知らねえ道だからなぁ」
リンドウが実際に知るこの世界の姿は、樹海の中ばかりだ。
普通の村や町についての知識は他人の口から聞いた話でしかない。
知識が偏っている者と、知識が千年前の者の二人組だから、先行きは怪しい。
「何かやらかしたって、夜逃げすりゃ追って来られねえだろ」
「最初から何かしでかす前提で動くのは止めてください」
半島を横断して東側を海沿いに北上すれば〈境界の町〉だ。
街道を使えば二日と半日で行ける行程が、この回り道だと七日以上はかかる。
これではダイアナの住む〈賢女の庵〉に着くまで何日かかるか分からない。
「とっくに死んだと思われてンだろうなぁ……」
そう簡単に死ぬとは思われていない気がしたが、シークェルは言及を控えた。
*****
古代帝国が整備した道を再利用している東ノ浦街道とは違って、薬狩道は後年になって現代人の手で整備された道だ。
その大半は砂利すら敷かれていない、単に土を踏み固めただけの田舎道だった。
山間を流れる川に沿って南北に伸びる道は、峠を越えて半島の先端まで続いている。
街道沿いにはそれほど大きな集落は無い。終着点の〈下野の港〉だけは、半島を回り込む船の中継地になっているため町と呼べる規模だが。
二人は道を進み、まだ陽が明るいうちに〈月桂樹の谷〉が見える場所までたどり着いた。
村を囲む逆茂木はところどころ痛んだまま放置されていて、魔獣の群に襲われたら役には立たないだろう。
補修できないほど生活が逼迫しているのか、それとも全く使われないから放置されたのか。
道から外れた茂みの中で、二人は村に入る準備を進める。
シークェルは服装を、この時代の平民が遠出をするときの物に着替えた。
外套のフードを深く被って髪も(一応は)隠した。
彼女は今まで着ていた服に〈清浄〉の魔術をかけ、自らの〈底なし鞄〉へ収納する。
〈清浄〉はその名の通り、物体から埃や汚れを取り除く魔術だ。
〈底なし鞄〉は千ポンド(約四五〇キログラム)までの荷物を収納できる異空間だ。
これらは、彼女の体内に魔道具として組み込まれた機能の一部である。彼女自身が魔術師というわけではない。
「終わりましたよ」
シークェルが呼びかけると、藪の向こうからリンドウが戻ってきた。
「お気遣いは無用でしたのに」
「こっちが気まずいんだよ……」
自動人形には人間のような羞恥心はない。
しかし、外見は殆ど人間と見分けがつかないので、リンドウはそう簡単に割り切ることが出来なかった。
「手ぶらじゃ怪しすぎる。適当に荷物も見繕うぞ」
「怪しまれない設定も必要ですね」
「狩人にでも尋ねれば、東に向かう山道の話も聞けるんじゃねぇかな、多分」
薬狩道の始点である〈中州宿場〉からは徒歩で南に二日の距離。
〈月桂樹の谷〉は、名前の通り月桂樹の自生する野山に囲まれた村だ。
日用品を扱う行商人と、特産品である月桂樹油の取引に来る商人を除けば、この村によそ者が来るのは珍しい。
奇妙な二人組が目立ちたくないと望んでも、それは最初から無理だった。
「視線を感じますね」
「そりゃなぁ」
村の中心には広場と鐘楼があり、周囲を比較的大きな建物が取り囲んでいる。
宿があるとすればその辺りか。宿が無ければ民家の軒先を借りることになるだろう。
顔見知りしか来ない店には看板など無い。二人はよそ者丸出しで周囲を見て回る。
誰かに宿の場所を尋ねても良いのだが半分は物見遊山だ。
そもそも、村にどうしても寄る必要があるかと言えば、実は無い。
要するに、普通の旅人を装うための練習台だ。
昼間から不審人物がうろついて、村からすれば良い迷惑だが。
「よお、宿でもお探しかい?」
あまり上手くもない演技で、偶然を装って一人の男が近寄ってきた。
三十代半ばに見えるその男は腰に剣を帯びている。
人間以外の危険生物にも事欠かない世界だから、この程度の武装は一般人でも珍しくない。
リンドウが小さく頷いて答えた。
「教えて貰えれば助かる」
「気を悪くしたら済まないが、あんたら見ない顔だな」
「〈命脈の湯〉まで湯治にね」
「あんなのは迷信だぞ」
つい口にしてしまった後で、男はばつが悪そうな顔になった。
「いや、悪かった。どちらか知らんが怪我が治ると良いな」
「膝に矢を受けてしまってね。毎年、冬になると辛いんだ」
二人が向かう先が南であれば、不自然さはそれ程でもない。
南には〈下野の港〉という町があるからだ。
嘘を吐いても良いが、それでは東に向かう道を尋ねたとき矛盾してしまう。
だから、東へ向かう理由をでっち上げた。
狭い村だ。噂話が広がるのも早いだろう。不必要な嘘は避けたい。
冬場になると足の古傷が痛むというのも、地球にいた頃であれば本当の話だ。流石に矢傷ではなかったが。
男の案内で、二人は広場に隣接する建物のひとつに入っていった。
見た目は宿屋というより倉庫だ。
おそらくは村の共同施設のひとつを、旅人向けに解放しているのだろう。
階段で二階に上がりながら男が説明する。
「一階は倉庫で二階が宿の代わりになってる。とは言っても、今の時期は物置になってるけどな」
「雨風が凌げるだけ良いさ。村長には挨拶しておきたいんだが」
「ああ、それなら大丈夫だ」
振り返った男がニッと笑った。
「俺が村長代理だからな」
リンドウが宿賃を尋ねると、「村で何か買ってくれれば良い」との答えが返ってきた。
今どき珍しいが、まだ客人歓待の風習が残っている村らしい。
それは、旅人が三日以内なら寝泊まりする場所を無償で提供して貰えるというものだ。
居酒屋の場所や自炊をする場合の注意、その他諸々を説明し終えると、村長代理の男は立ち去った。




