雨夜の森 03
昨晩のうちに雨は止み、翌朝の空は見事に晴れ上がった。
リンドウとシークェルの二人は、早々に野営地を引き払う準備をし始める。
ボニファスが目覚めた時には粗方の作業を済ませていた。
「やっ、これは。言って貰えれば手伝いましたものを」
シークェルは再び姿を隠していたから、ボニファスはリンドウがひとりで片付けたと思っている。
ボニファスは慌てて着替えを済ませ、寝床の始末をする。
必要以上に恐縮されてしまい、リンドウは些か居心地の悪い思いをした。
濃い目に煎れた香草茶と焼菓子で簡単に朝食を済ませると、二人は街道を目指し出発した。
ボニファスが天幕と野営道具の一式を背負い、リンドウは革鞄と丸めた毛布だけを持っている。
世話になったので荷物ぐらいは――という配慮だ。
気になる品物を手に取り間近で見たい下心もあっただろう。
特に面倒も起こらず、一刻ほど歩くとあっさり街道に出た。
目の前の光景が信じられずボニファスは茫然と周囲を見回す。
「半日も迷っていたのに……」
「何か目印がないと、人は同じ所をぐるぐる回っちまうからな」
人は真っ直ぐに歩こうとしても、必ず左右どちらかに偏りが生じる。
何も目印がない平坦な場所を歩き続けると、大きな円を描いて元の場所に戻ってしまう。
雨の中、闇夜の森を歩き続けたボニファスにも同じ現象が起こったのだ。
たどり着いた場所にボニファスは見覚えがあった。賊に襲われる少し前に通り過ぎた場所だ。
ここから二マイル(三キロメートル強)も歩かないうちに、あの坂道へ着くだろう。
「あのう……」
「嫌だね」
ボニファスが何かを言う前に断られた。思わず恨みがましい目で見る。
オッサンにそんな目で見られても、リンドウの心は些かも動じない。
「荷馬車の所まで行ったら今度は何て言うつもりだ? 町まで曳いてくださいか? 大体、荷物なんかもう残ってねぇだろ」
「それは……」
自分の目で確かめるまでは諦め切れないかもしれないが……。
だんだん厚かましくなる要求を前に、リンドウは渋っ面で頭を掻いた。
ボニファスへ向け酷く怠そうに言い放つ。
「荷馬車のあった所までは送ってやる。昼までには誰かが通るだろ。あとはソイツに助けて貰え、な?」
「……ハイ」
残り二マイルの道を、二人は無言で歩いた。
前方に横倒れした荷馬車が見えると、ボニファスは駆け出した。
しかし、あと少しという所で、後ろから追いついたリンドウに肩を掴まれ止められる。
「なっ、なんです?」
「…………」
リンドウは無言のまま荷馬車を睨み続ける。
すると、荷馬車の陰からひとりの人物が姿を現した。
地味な旅装束に覆面姿、手にした小刀は既に抜き放たれている。
「ひぃぃ――ッ!」
悲鳴をあげ自分の後ろへ隠れようとしたボニファスを、リンドウは何の躊躇もなく蹴った。
ボニファスは不格好に地面へ倒れ、荷物が放り出される。
倒れた姿勢のまま、信じられないものを見るような目でリンドウを凝視した。
その視線に怯む様子もなくリンドウが問い質す。
「待ち伏せてやがった。狙われる覚えがあるだろ。黙ってやがったな」
「それはっ――」
何かを言いかけたボニファスをリンドウの言葉が遮る。
「騎馬盗賊? 違うよな。ああいうのは殺し屋って言うんだぜ」
ボニファスは何も答えられない。緊張に強張った顔は既に脂汗まみれだ。
リンドウと殺し屋の間を視線が落ち着きなく行き来する。
修羅場を静観している殺し屋へ向けてリンドウが話しかけた。
「知り合ったばかりでコイツとは何の関係もないんだが……それで通るかい?」
リンドウの問いに肩をすくめて見せた殺し屋は、二人の方へ向け近づいていく。
かなりの小柄だ。五フィート(約一五〇センチメートル)程度しかない。
しかし、猫科の肉食獣を思わせる身のこなしは一見して只者ではなかった。
「ギャァァァ――ッ!」
地面に這いつくばっていたボニファスが悲鳴をあげる。
足には投剣が突き立っていた。
逃げ出す隙を窺っていた彼は、立ち上がろうとした瞬間に攻撃を受けていた。
一瞬の早技。気付いた時にはもう投擲されていた。
そのまま殺し屋は無言でボニファスへ近づいていく。
進路上にいたリンドウは道を開けるように一歩横へ退いた。
殺し屋は無人の荒野を進むが如く、リンドウへ一瞥もくれず前へ進む。
すれ違いざまに殺し屋の手が閃いた。
視線すら向けずに放たれた奇襲の一手。
銀閃が吸い込まれるようにリンドウの喉元へ伸びる。
リンドウは全く反応できない。
金属同士が擦れるのにも似た異音が響いた。
人の身体とは思えない異常な手応え。
殺し屋は瞬時にリンドウから距離を取り小刀を構え直す。
その刀身が酷い刃こぼれを起こしているのを見て、覆面の下で驚きに目を見開いた。
「まぁ、そうするよな」
斬られたはずのリンドウは無傷で平然と立っている。
彼の〈全身硬化〉の前には、幾ら切れ味が良くても普通の刃物は無力だ。
元より殺し屋が目撃者を見逃すとは思っていなかったから、驚きは無い。
殺し屋が目を細める。
不確定要素。正体不明。しかも異常な能力の持ち主。
一瞬の迷いが動きを鈍らせ、それが命取りになった。
突如、それまでは何の気配もなかった街道の脇から、棒状の何かが投げ込まれた。
投槍器で放たれたような勢いで、宙を切り裂く六尺棒が殺し屋を襲う。
「クゥッ!!!」
殺し屋は悲鳴をかみ殺し、倒れ込むように後方へ転がり距離を取る。
その左腕は力なくダラリと下がったままだ。
咄嗟に庇ったのだろう。致命傷にはならなかった。
「なんで出てくる……」
「いま殺されかけたのに何を悠長な」
姿を現したシークェルへ、リンドウがしかめっ面をして見せる。
その時、地面を這ってこっそり逃げようとしたボニファスが激痛に呻き声をあげた。
リンドウとシークェルの視線が一瞬、殺し屋から逸れる。
よろめきながら殺し屋が立ち上がると同時に、懐から何かが地面に落ちた。
目も眩むような閃光。
リンドウは咄嗟に目を覆うが間に合わない。
ピィィ! 殺し屋の指笛が鳴り響く。
走り込む馬の嘶きと蹄の音。
シークェルの方から、空気の破裂する音と共に何かが放たれる。
リンドウの視界が戻った頃には、既に殺し屋は姿を消していた。
*****
「痛ッ――!!」
「我慢してください」
投剣の当たり所が悪くて、太い動脈を貫いていたら大出血していた。
その場合、ボニファスが持っている一般的な魔法の水薬では荷が勝ちすぎただろう。
急所さえ外れていれば、刺し傷の場合は傷口そのものは小さい。
感染症には注意が必要だが、幸いにもここには治療に関して一定レベルの知識を持つ者がいた。
「毒を塗られていなかったのは、幸いでしたね」
「…………」
魔法の水薬の効果を確認したシークェルは、止血のためボニファスの太股を縛っていた布を解く。
ボニファスは茫として阿呆のような面でシークェルに魅入られていた。
「大丈夫ですか?」
「えっ?……あ、ハイ」
変だと思われてしまっただろうか? ボニファスは焦りを抑え平静を装う。
彼は自分に出来る最大限に友好的な笑顔を浮かべて見せた。
その顔に拳がめり込む。
「があ゛ッ!?」
痛みに悲鳴をあげたボニファスは、地面に崩れ落ち四つん這いになる。
追撃で腹へ蹴りを叩き込もうとしたリンドウの前に、シークェルが割って入った。
「いったい何のつもりですか?」
「決まってるだろ。精算だ」
リンドウが発した声は、恐ろしく平板で何の感情も含まれていなかった。
表情の抜け落ちた顔でシークェルを見ていた。
「治療をした後でわざわざ、意味がわかりません」
「殺すつもりは無い。死ぬほど痛い目には今から遭ってもらう」
「ですから、何故です?」
「義務だからだ」
「義務?」
リンドウはシークェルの肩越しにボニファスを見下ろした。
視線に耐えられなかったボニファスは目を逸らし、今度は縋るような目でシークェルを見た。
「ゆ、許して……助けてください……怖かったんです……」
「この野郎……」
殺してやろうか。
リンドウの中で明確な殺意が鎌首をもたげる。
「人が来ます」
シークェルが注意を促した。
坂の向こう、〈中州宿場〉の方から来た商隊が近づいてくる。
横倒しになった荷馬車が目に入ったのか、先頭に立つ護衛らしき二人が足を速めた。
「面倒だな」
「では」
二人は街道を外れ南の方へ走り出し――た途端、リンドウだけが来た道を戻る。
「へっ?」
既に立ち上がり、商隊に気を取られ無防備だったボニファスの脳天へ頭突きを喰らわせる。
痛みに呻きながら膝をついた所で顔面へ膝蹴りを加えた。
鼻血を噴き白目を剥いて仰向けに倒れたボニファスの胸元へ、預かっていた短剣を鞘ごと放り捨てた。
シークェルの非難がましい視線を無視したリンドウは、今度こそ南へ向かって遁走を開始した。




