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世界を渡る前に 01

「スズヌマさん、スズヌマ・ミチオさん、起きていただけますか」


 誰かに肩を揺すられてミチオは目覚めた。


「このような場にお呼び立てして、どうもすみません」


 目の前にいるスーツ姿の男は、印象に残らない顔立ちで齢は三〇を越えた辺りか。

 口調こそ丁寧なものの畏まった様子はなく、事務的かつ一方的に要件を伝えようとしている。

 だが、男の声はミチオの耳に入っていない。

 ミチオは顔色を失って周囲を見まわしていた。


 そこはあの独り居の自宅ではなかった。

 日本中どこでもあるような、雑居ビルの居酒屋兼レストランといった趣の店だ。

 ミチオと正体不明の男は、その店の座敷席でテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。

 通路側の障子は開け放たれ店内を見渡せたが、二人の他には誰も居ないようだ。


「なっ……」


 ミチオの顔は青ざめ、声は震えていた。

 そこは、既に存在しないはずの店だった。

 そんな有様のミチオを意に介さず、スーツの男は話を続けようとする。


「スズヌマさん、本日は――」

「ウッ、」


 男が声をかけた途端、ミチオは嘔吐する。

 口を塞いだ手から溢れた反吐が畳の床を汚した。

 ほとんど胃液だけのそれを吐ききっても、まだ吐き気が収まらないのか嘔吐き続ける。

 顔色は青を通り越しほとんど白に近い。今すぐ倒れないのが不思議なほどだ。


 突然の嘔吐に動じるでもなく、男は冷めた目でミチオを見つめていた。

 男が無言で指を鳴らす。

 店は一瞬で消え去って、何もない空間が残った。


「……!?」


 同時に、ミチオの吐き気も一瞬で収まる。

 反吐の跳ねたスウェットとドテラの汚れが跡形もなく消えていた。

 周囲は、壁も天井も床も区切りのない真っ白な空間が広がっている。

 混乱の極みにあってミチオが言葉を失っていると、スーツの男が先に口を開いた。


標準設定(デフォルト)では、記憶の中から良い印象の残っている場所を再現するのですが、あなたの場合はそれが裏目に出たようですね」


 淡々と事実を指摘するのみで、男に謝罪の意はまったく無いようだった。


「では、話を続けても宜しいでしょうか」

「ま、待っ、待て、待ってくれ」


 会話の主導権を握られまいとして、ミチオは咄嗟に話を遮る。

 そして、目の前の人物を見定め事態を把握しようと努め――徒労に終わった。

 既に事態は自らの理解が及ぶ範疇を越えているようだ。

 何ひとつ分からないまま、月並みな疑問を男へ投げかける他になかった。


「ここは何処で、あんたは誰で、俺はどうなってる?」

「終わった話を蒸し返すよりも、未来について話し合いませんか」

「そりゃ、いったい――」


 問いかけて、ミチオは言葉に詰まる。

 この異常な事態にようやく心が追いつき始めていた。

「そうか」と口から溢れた声には、理解の色があった。


「死んだ――くたばったんだな。そうなんだろ?」

「お気の毒ですが」


 微塵も気の毒とは思っていないだろう男の声も、ミチオの耳には入らない。

 弱々しく仰向けに倒れると、両掌で顔を覆った。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!」


 言葉にならない慟哭が続き、終には喉も枯れ果てた。

 しばらくして、最後にポツリと――


「糞みたいな人生だったな……」


 独りごちた。


 深く息を吸うと、ミチオは身体を起こして再びスーツの男と向かい合った。

 外からはもう、平然として見えた。


「……で、あんた地獄の閻魔様か何かか? それとも心臓をえぐり出して天秤にかけるタイプのヤツ?」

「どちらでもありませんよ」

「良かった。アンタみたいに辛気くさいのが神様仏様じゃ、信じる甲斐もないってモンだからな」


 神かどうかはさておき、明らかに異常な相手に対して随分な態度だ。

 しかし、彼にも言い分がある。

 まず第一に、そんな超常の相手に駆け引きや虚礼は通じないだろうという予感。

 第二に、これは夢ではないかと疑っていた。パニックで嘔吐するほどの衝撃を受けても目が覚めないのは不思議だが。

 そして最後に、死んだのが本当だとしたら。長年の鬱屈から解放され気分がハイに――要するにヤケクソだ。


 ミチオの不躾な言葉を気にする様子もなく、スーツの男が答える。


「あながち神という認識も間違いではありませんが」

「…………」


 自分の態度を顧みて地獄行きの心配をしたミチオはさておき。

 男が説くところによれば――


「宇宙を創り見守る大きな存在の極々小さな一部が、人とコンタクトを取るために今の私の姿を取っている。そのように考えて頂ければ大凡は間違いないかと」


 説明を聞いたミチオは渋面になった。


「あんた、自分は宇宙創世の神だって言うのか」

「森に根を下ろす木の、葉の一枚を指して『森』と呼ぶのは無理があるでしょう。しかし、その一枚の『葉』が森全体を象る要素のひとつであるのも事実ですが」

「簡単には信じられねぇな」


 男は答えなかった。

 信じて貰う必要がないのか。

 ミチオが信じようと信じまいと、どうでも良いと思っているのか。

 男の態度に気分を害し、かといって何ができるでもない。

 いい加減、焦れてきたミチオは話の核心に触れた。


「で、そんな大層なご身分のあんたが、俺なんかにいったい何の用があるって?」


 男の答えは思い掛けないものだった。


「スズヌマ・ミチオさん。あなたには新しい体で異世界へ行って頂きたい」

「真っ平御免だ」


 即答した。悩む素振りすら見せなかった。

 地獄のように不機嫌な面でミチオは食ってかかる。


「何を好き好んで、わざわざ生き返らなきゃならねぇんだ。新しい体だぁ? だったら別に俺じゃなくたって良いだろ」

「必要なのはあなたの肉体ではなく魂、神の〈力〉を受け入れる器の才なのです」

「胡散臭ェ……」


 ミチオは口の端を歪めて小さく笑った。

 スーツの男は気にする素振りもなく話を続ける。


「あなたには別の世界へ〈力〉を運ぶための、いわば包装資材になって頂きたい。その際ですが、今あなたの身体は例えるなら定形封筒以下の存在ですので、せめて170サイズの段ボール箱ぐらいにはなって頂く必要がある」

「勝手な言い分だな」


 ミチオは吐き捨てるように話を遮った。


「そもそも、何だって俺なんかを使う必要がある? 神ならその〈力〉とやらで、どうとでもすりゃあ良いだろ」

「出来るか出来ないかで言えば、確かに可能ですね。ですが、実際にそうするかどうかは別の話です」

「"無智の言詞をもて道を暗からしむる此者は誰ぞや" ってか? ふざけた話だ」

「そう邪険にすることもないでしょう。あなたにも利のある話だ」

「はっ」


 ミチオは鼻で笑った。

 祈ったところで何ひとつ助けてくれないが、自分を敬わない相手には罰を当てる。

 それがミチオの考える典型的な〈神〉の在り方だ。

 信じられるわけが無い。


「あなたが断った場合ですが――」

「耳が聞こえないのか?」

「――人は死ぬと肉体は滅んでも魂は消滅せず、長い時を経て生まれ変わるのです」

「あぁン?」


 突然なにを言い出すのか。

 怪訝に思うミチオを置き去りにして男の話は続く。


「人の縁とは断ち難いものでして。過去世で縁のあった者とは今生で、輪廻が巡れば来世でもまた関わるでしょう。まったく別の世界にでも行かない限りは」

「手前ェ……」


 食いしばった歯の間から、絞り出すような呻きが漏れた。

 スーツの男は何も言わない。

 ただ、今までの無表情を崩し、その顔に作りものめいた笑顔を貼りつけるだけだ。


「前世だか何だか知らねえが、覚えちゃいねえんなら()()()には関係ねぇだろ」

「そうかもしれませんね。ひょっとしたら、違うかもしれませんね」

「…………」

「安心してください。悪いようにはなりません」


 ミチオは何も言えない。

 男の、何もかも知っていると言わんばかりの態度が神経を逆なでる。

 もしかしたら全ては口から出任せの嘘かもしれない。

 しかし、席を蹴って立ち去るのも難しかった。


 ……仮に、今の話が本当だとしたら。

 本当に魂は不滅で、生まれ変わりが存在し、何度も似たような人生を繰り返すとしたら。

 それはミチオにとって悪夢でしかない。

 あの、クソ忌々しい連中を自分の人生から追い出すのに何年も費やすような日々を、気付くことも出来ずに世界が滅びる時まで何回も繰り返すのか。


「……青い丸薬(ブルーピル)赤い丸薬(レッドピル)か、選ぶ余地があるだけローレンス・フィッシュバーンの方が良心的だぜ」

「遺伝子異常を知らないままの方が幸せでしたか、ラングストン教授?」

「俺はマイアミが良いや、なんせ分かりやすい」


 こんな話を以前に友人とした記憶が甦って、ミチオは遠い目になる。

 引きこもっていた間、ミチオには他人と会話をする機会そのものが少なかった。


 ふと、ミチオは自分の異常さに気づいた。

 コンビニ店員との会話すら億劫に感じていた自分が、何の不便もなく自然に他人と会話をしている。

 既に自分の精神が何らかの操作を加えられている事実に行き当たる。

 顔が強張りそうになるのを必死に耐えた。


「そういや、映画もドラマもここ最近は全然見てねぇな……」


 心を操れる相手に虚勢を張る意味があるのか。

 すべては相手の掌の上で、何もかも予定調和なのか。

 考えるだけ虚しくなった。


「あちらには地球に無い物語もありますから、映画は無理ですが芝居を見るのも良いかもしれませんね」

「あぁ……人が住んでんのか。どんな人外魔境に送られるかとヒヤヒヤしてたんだが。いや、言葉わかんねぇだろ」

「現地語を理解できるようになる手段がありますので」

「そりゃ便利だな」


 ミチオが頭の中で何を考えているか、きっと男には分かっているだろう。

 しかし、男はそんな素振りをおくびにも出さない。

 ミチオの思いとは無関係に虚ろな言葉が飛び交う。


「地球の作品をパクって儲けても、訴えられる心配すら無ぇ。暗黒卿が “I am your father.” ってバラすシーンは、きっと異世界の子供にも大ウケだろうぜ」

「ちなみに、あなたが行く世界のサラマンダーは飛竜でなく火蜥蜴ですがね」

「……はぁ?」


 予想外の返答に、ミチオは思わず眉をしかめた。

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