燔祭の獣 04
村の全員が脱出路へ集まり、人影が絶え閑散とした村の中通りを進む。
先を進むシークェルのあとを、六尺棒を両肩で担いだリンドウが物憂げについて行く。
「ったく交渉もクソもあるか。なんせ相手を怒らせたら村は滅ぶんだからな」
「いったい何が目的なのでしょう?」
「便利に使える手駒を欲しがる竜も珍しくないらしいけどよ……」
その場合、今まで何も要求してこなかった理由がわからなくなる。
門番の居なくなった入口をくぐり抜けると、正面で〈碧緑〉のヴァイオラがその威容を誇っていた。
「コイツはまた……」
間近で見る老竜は、単に巨大な獣という枠に収まらない存在感があった。
なまじ魔力の扱いに長けている分だけ、リンドウはその肉体が内包する力を余さず感じ取ってしまう。
彼は足の先から泡立つような感触が上ってくるのを感じた。
以前に対峙した大猪も、目の前の存在に比べれば子豚も同然だ。
「幾らなんでもこりゃ無ぇぜ。本当にアレと交渉するつもりか?」
「どうしても身の危険を感じるようでしたら、わたくし一人で――」
「じゃあソレで」
逡巡する素振りすら見せなかった。
「…………」
さようならと手を振るリンドウを前に、シークェルが押し黙る。
リンドウとて村人が死なないに越したことはないと思っているが、他人と自分の命を比べて迷うほどお人好しでもない。
自分の信条をアッサリ覆した彼は、シークェルと繋がっている〈経〉を利用して、自分の五感を〈越境〉させる。
これでシークェルの見聞きしたことが、リンドウにも伝わるようになった。
出歯亀は彼の趣味に合わなかったが、背に腹はかえられないのだ。
「選別だ」
リンドウが六尺棒の先端で宙に丸を描くように振ると、シークェルの周囲を柔らかな風が渦巻く。
「これで瘴気は防げる。竜の吐息はどうだかな……」
「わたくしには必要ありませんが」
「それをわざわざ、相手に教えてやる必要があるか?」
リンドウと村の入口で分かれ、ひとりシークェルは竜へと近づいていった。
気づいていないとも思えないが、竜は目を閉じて地面に寝そべったままだ。
彼女は竜の頭から一五フィート(約四メートル半)ほど離れた場所で地面に両膝をついた。
その巨大な顎は彼女を造作もなく一呑みにできるだろう。
その足を一歩前に踏み出しただけで彼女はぺしゃんこに踏み潰される。
そんな状況を前にしても平然と、シークェルは竜語で口上を述べ始めた。
『地を這うものと空を飛ぶものの王にして、永久より永久に居ます者よ。
我が思いを彼方に向けますことお許し下さい。
わたくし共の門を叩き、貴方がお出でになったことお知らせ頂き感謝致します。
貴方の御心はわたくしと異なり、その知識はわたくしを越えておられます。
わたくしは貴方の御心を知り得ず、その道を見出すことも出来ません。
今、あなたの助けを求める、この小さい僕の願いをどうかお聞き下さい』
竜が、大儀そうにゆっくりと目蓋を開いた。
牙の隙間から唸るような低い声が漏れる。
『どうやら“言葉”の話せるヤツが居たようだな、重畳、重畳』
竜が喉を震わせて笑うと、それだけで空気がビリビリと震えた。
『卑しくも、この〈碧緑〉のヴァイオラが司る土地に住まう者が、竜語も分からんのでは話にならん。支配者たる余に対して敬意が足りんのではないか?』
シークェルがすかさず返す。
『あの者どもは日々の暮らしに追われ、明日の食事にも事欠く生活を送っております。竜語はおろか共通語でさえ読み書きが覚束ない者たちです。どうか、御慈悲を』
完全な嘘ではないが言い過ぎである。
そもそもシークェルが〈ごった煮村〉の現状なぞ知るべくもない。
村を通り過ぎるとき目に入ったものが全てだ。
彼女は地上に出て来たばかりで、現代の平均的な農民の生活もまだ分かっていない。
最強生物たる竜を相手に平気で当て推量を言うのだから、いい性格をしている。
『〈毛なし猿〉どもの鳴き声なんぞ、とても言葉とは言えん』
フン、と鳴らしたヴァイオラの鼻息は普通に毒ガスで、シークェルがただの人間で風の守りが無かったら今ので死んでいる。
全てを無かったことにしてシークェルが尋ねた。
『して、本日は如何なる御用にてお出でになりましたでしょうか?』
『フム』
毒の吐息を意に介さず平然とし続けるシークェルに、ヴァイオラは面白がるような目を向ける。
ここへ来て、ようやく真面目に言葉を交わす気になったヴァイオラは、自分が訪ねてきた要件を切り出した。
『余の寝所に忍び込む不届き者が現れおった』
『それは――』
たとえその犯人が村人であったとしても、村とは無関係の者だと強弁するしかない。
慎重に言葉を選ぼうとするシークェルをヴァイオラが制した。
『よい、わかっておる。下手人の悪鬼どもは既に始末済みよ』
『大事に至らず、良うございました』
『何も良くはない。悪鬼は一匹目にすれば百匹はおると言うではないか』
ヴァイオラは歯を剥き出して低く唸った。
『ならば、余の寝所に足を踏み入れた不届き者に連なる者ども、悉く我が慈悲を呉れてやらねばならぬ』
『慈悲、と仰いますと?』
『察しの悪い奴め』
《皆殺しだって言ってんだよ》
二人のやり取りを後方から盗み聞きしていたリンドウが、つい〈他心通〉でシークェルに助け船を出す。
彼自身は竜語を話せないが、シークェルの顕在意識を読み取って擬似的な通訳としていた。
ヴァイオラの身に纏う空気が変わった。
『不敬であるぞ』
考えるよりも先に、リンドウは魔法を解き放っていた。
シークェルの足元から一瞬で生成された分厚い土壁は、しかし、老竜が相手では紙細工も同然だった。
軽く前脚を繰り出しただけで、跡形もなく木っ端微塵に砕け散る。
しかし、殴った当のヴァイオラは手応えの無さに首を傾げていた。
後方から一部始終を見ていたリンドウはその場にしゃがみ込む。
両腕を地面に突き立てると、まるで水のように抵抗もなく地面へ吸い込まれた。
網を引きあげる漁師の要領で思い切り引きあげる。
その両手は土塗れのシークェルを掴んでいた。
「どうして勘づかれた!? クソッ」
「この短時間で二度ほど殺害されそうになりました。難物ですね」
竜の咆哮が轟き、二人の会話を断ち切る。
『そこか、まだ余の話は終わっておらぬ』
ヴァイオラは前に身を乗りだすと、口から緑色に輝く竜の吐息を放った。
「ふざけンなッ――!!」
叫びながらリンドウは、両手で六尺棒を足元の地面に突き立てた。
先ほどと同じ土壁が今度はより広い範囲で作り出される。
竜の吐息が直撃すると土壁はジュウジュウと音を立てて溶け出した。
リンドウはその光景に怖気を震いつつ、今度は引き抜いた六尺棒を風車のように一回転させる。
すると、村から竜の方へ向け強い風が吹いた。
風が地面から上る煙を吹き払うと、惨状が明らかになった。
竜と村の入口を結ぶ直線上の地面はドス黒く変色し、草も灌木もドロドロに溶かされ形が無くなっている。
直接は竜の吐息を浴びなかった場所でさえ、かなり広い範囲に渡って草が枯れていた。
「これで三度目ですね」
「婆さん、いったいどうやってアレと話をつけたんだ……」
「ダイアナ様という御方は、現人神か何かであらせられるので?」
「ラズベリーのタルトが好物な田舎者の婆さんだよ」
『なんじゃ――』
二人の会話に大音声が割って入った。
かなり離れているというのに、凄まじい地獄耳だ。
ヴァイオラはその巨体にも関わらず、ネコのような素早い身のこなしで二人の前に降り立つ。
一瞬で距離を詰められ、リンドウの顔が恐怖に引きつる。
『おぬしダイアナの顔馴染みか……それを早ぅ言え』
リンドウとシークェルの二人は思わず顔を見合わせる。
視線に耐えきれず、先にリンドウが目を逸らした。
『それに加え、汝らは余の攻撃を三度無傷で凌ぎその力を示した。虫ケラでもサルでもないと余が認めよう』
「はあ、左様で」
リンドウは白けた気分で応じた。
『だから〈毛なし猿〉どもの鳴き声でキイキイ喚くなと言っておろうがッ!』
『リンドウ様、話が進みませんので……』
この後、シークェルがヴァイオラと協議したところ、ヴァイオラ曰く「雄々しさには欠けるが雅ではある」とのことで、何とか古語での会話を許可されようやく本題に入った。
「余を悪鬼どもの巣穴まで案内せい」
ヴァイオラの無茶振りリンドウが顔をしかめた。
「そう言われてもですね、全員ブチ殺しちまったら何処から来たかなんて調べようもないでしょう」
「そんなのは知らん。貴様が何とかせい」
ここ一連の悪鬼騒動で、〈ごった煮村〉周辺に現れた悪鬼の部隊はこれで三つだ。
ひとつは縦穴の崩落に巻き込まれたもので、リンドウたちが生き残りを皆殺しにした。
ひとつは遠征隊の兵站基地を守っていたもので、古代遺跡の警備機構に殲滅された。
そして最後のひとつはどうやらヴァイオラが始末したらしい。
被害を考えれば、生き残りが居たとしても根拠地へ逃げ帰ったと考えるのが自然だ。
そして悪鬼の根拠地は、おそらくだが地下隧道の先に存在するだろう。
だが、わざわざソレを教えてやる必要は――
「わたくしの持つ地形データを現在の地形と照らし合わせれば、ある程度の予測は可能です」
(あーあ……)
シークェルの余計なひと言に、リンドウは内心でガクリと肩を落とした。