燔祭の獣 03
シークェルの提案は、以下のようなものだった。
まず、守護者二体に道案内をさせて、カジャク・リュビ・レトは遺跡に引き返す。
残る三人で村の様子を見に行き、既に村が壊滅していた場合は生き残り(が居れば)と共に遺跡へ向かう。
竜がまだ村に居るようならシークェルが交渉にあたり、状況を見てリンドウが補佐する。スケアクロウはその間に村人を遺跡へ避難させる。
「如何でしょうか?」
しばしの沈黙の後、まずスケアクロウが口を開いた。
「……守護者ってヤツはどのくらい当てになるの?」
遺跡に向かう二人と一匹の安全を気にして訊ねた。
何せ守護者は一見、ただ地面を転がるだけの黒い球にしか見えない。
悪鬼の群れを殲滅したというが、その現場を直に見たわけではない。
「一機あたりの戦闘力は大鬼に匹敵し、口頭でも単純な命令なら理解できます。ただ、私からいったん離れますと、もう施設から遠くには行けません」
次はカジャクが尋ねた。
「お前さん抜きで遺跡にノコノコ近づいて、アッチにいる守護者に襲われたりせんか?」
そもそも、あの施設が本当に安全なのかカジャクは疑問だった。
悪鬼たちを全滅させた力が自分たちに向けられたらと思うと、気が気ではない。
「この二体は元々あの施設の設備ですし、敵対行動を取らなければ大丈夫です。ただ、獣頭人や汎人の方は最低限のサービスしか受けられませんが……グランモルス帝国の公用語がわかる方は?」
「共通語じゃなくて?」
「今じゃ古語って呼んでるヤツだ。いやあ、仕方ねぇ俺も遺跡組だな」
スケアクロウの疑問にリンドウが答えた。
口から出る言葉とは違ってまったく残念ではなさそうなリンドウだが、しかし――
「交渉になった場合、リンドウ様には私について竜に会って頂きます」
「えぇ……」
「あの竜と少しでもツテがあるのはオヌシだけじゃろうが」
「知り合いの知り合いなんて殆ど他人だろ……」
若干名の不平不満を黙殺して方針は決まった。
眠っているリュビの体はズレ落ちないようレトの背へロープで縛る。
目が覚めたあとの後始末はカジャクに丸投げだ。彼女はきっと怒るだろう。
二人と一匹の前後を守護者が守る。
遺跡へ向け出発する前に、カジャクが残る三人に声をかけた。
「お前ら、あんまり無茶はするなよ。 相手が竜じゃ誰も責めたりせん。命を大事にな」
立ち去るカジャクたちを見送りながら、スケアクロウが独り言のように洩らした。
「まあ、何もかも杞憂で、竜は別の場所に飛んでって、村は何ともないかもしれないし、ね?」
「だとしても、わざわざ塒から出てきた理由が気になります」
二人の会話に口を挟まず、リンドウはひとり自分の考えに耽っていた。
実は竜の行動がこちらに全く関係のない単なる八つ当たりで、ストレス解消のため村人はもう全員殺されている――ぐらいの想像はしている。
それよりもっと可能性が低くて酷い想像もできたが、これ以上は考えても不毛なだけだ。
どちらにせよ用心深く考える時間は終わった。
次は行動だ。
考えるのを止めて前に進む時間だ。
「ま、結局は出たとこ勝負だな……」
三人は矢のような速さで一路、〈ごった煮村〉を目指して走りだした。
*****
鍛えあげられた野伏。
疲れを知らない自動人形。
魔獣の力を身につけた人外の獣。
三人(一人と一機と一匹?)はノンストップで樹海を半刻ばかり駆けた。
樹海の森林部分と〈まどわしの草地〉の境界が前方に見え、先頭を走るスケアクロウが足を止めた。
流石の彼も肩で息をしている。
が、あとから来る二人が平然としているのを見て目を剥いた。
「どういう……体力……してるのさ……」
「俺は魔法でインチキしてるし、こいつはそもそも人間じゃない」
リンドウに指差されたシークェルは何か言いたげだった。
彼だって半分以上は人間の枠からはみ出している。
「本当になにも事情を説明されていないのですね」
「ホント、秘密主義も、大概だよ……」
「そういうワケじゃあ無ぇんだが」
リンドウは口をへの字に曲げた。
自分の身体のこともそうだが、特にシークェルの正体がバレるのは不味い。
稼働状態の自動人形というだけでも大変なシロモノなのに、ふんだんに真銀が使われているなんてバレたら一体どうなるのか。
彼にも予想がつかない。
とりあえず、他人を巻き込むのを躊躇する程度にはヤバい。
リンドウは頭を抱えた。
「ああっ、ナンデこんな……チクショウ……」
「もう良いから、それよりココから先は慎重に行くよ」
身を屈めながら前へ進んで行くと、スケアクロウは違和感に囚われた。
外部から〈まどわしの草地〉へ進入する際にいつも襲ってくる、あの奇妙な目眩の感覚が弱くなっている。
本来なら、正しい道順を知らなければ外から〈ごった煮村〉へは近づけない。
進もうとする限り、部外者はいつまでも同じ場所をグルグルと回り続ける羽目になる。
だが今は、気を強く持てば強引に草地を直進できるほど結界の力が弱まっていた。
「リンドウ……」
「ああ、こりゃマズイな」
これでは樹海に住む凶悪な魔獣への備えとしては心許ない。
村が危ない。何らかの異変が起こっている。
一行は本来の道順を無視して村への最短距離を走った。
草むらを掻き分け小さな丘を幾つも越えて進む。
村の全体が見渡せる位置にたどり着いて、異変の理由が判明した。
「あれが老竜……」
その巨体を目にしたスケアクロウが息を呑む。
リンドウたちがやって来た方向とは村を挟んで反対の位置。
村の正面入口から五〇ヤード(約四六メートル)ほど離れた場所で、一匹の竜が身体を丸め寝そべっていた。
八〇フィート(約二四メートル)を越える全身が、鈍く光る碧緑色の鱗に覆われている。
竜の背後は、地上を歩いた跡と思われる範囲の草が枯れて、離れた所から見るとまるで道のようだった。
いま竜の寝そべっている場所も、竜を中心に直径一〇〇フィート(約三〇メートル)ほどの周囲で草が全て枯れていた。
「厄介だな……」
リンドウが呟いた。
こうして身体を休めているだけでも、漏れ出す瘴気は周囲の生物に害を及ぼす。
口から吐く竜の吐息は大半の生物を死に至らしめる猛毒だ。
緑竜の別名が毒竜であるのも納得だ。
「どうやら、村はまだ無事のようですね」
「しかし、何だって老竜がわざわざヒトの住む村までやって来て、ああやって呑気に日向ぼっこしてンだ?」
「そんなの僕が聞きたいよ……」
一行は竜の正面に立つのを避け、村を囲む水濠を裏手に回る。
「なあ、コレ泳いで渡るのか?」
「スミマセン、わたくし泳ぐのはちょっと……」
「見張り塔にいる誰かコッチに気づいてくれない、かなぁ」
スケアクロウが自信なさげに言った。
普段なら、隠れもせず村に近づく人影には誰かが気づいただろう。
今は竜に注意が逸れているのか反応がない。
スケアクロウが矢を一本手に取り、弓に番えようとしたところで動きを止める。
村を囲む木柵の一部が、人のくぐり抜けられる程度に小さく開いた。
それは万が一に備え、見た目には分からず外から開けられないよう設えた脱出口だった。
中から出てきた村人と、目が合った。
「おっ、お前――!?」
「シ――ッ!」
三人で一斉に「声を出すな」の身振り。
大声を出しかけた男は我に返った。
よく見れば、昨日リンドウが村に来た際、門を守っていたあの汎人の守衛だった。
「ちょっと待ってろ」
リンドウは目を半眼にして深く息を吐くと、手に持った六尺棒の先端でスケアクロウの肩を軽く叩いた。
「隣に居るつもりで話してみな。小さな声でも届くからよ」
「……これで良いのかな?」
「うぉっ!?」
水濠の対岸にいる男が、また大きな声を出しそうになる。
「なっ、なんだっ」
「落ち着いて。バラムに伝言を頼んだけど、伝わってるかい?」
「お、おう。ちゃんと話は聞いて――そういやリュビは無事かっ!? カジャクはどうした!? そのネーチャンはいったい何モンだ!?」
「とりあえず落ち着こうね」
互いの無事を確かめ合ううち、脱出口から今度は獣頭人の村人が何人か出てくる。
村人たちの手により、幅五〇フィート(約一五メートル)ほどの水濠に即席の橋が架けられる。
橋は、梯子に何ヵ所もフロートを括りつけたような作りで、ひと一人が通れる程度の幅しかない。
真っ先に、スケアクロウが平地を歩くのと変わらない身のこなしで楽々と渡った。
リンドウが続こうとしたところで、後ろから声がかかる。
「非常に申し上げにくいのですが、この橋の強度に少々不安が……」
「あぁ? ……ああ、そうか」
自動人形は重い。
平均的な成人女性なみの体格しかないシークェルでも、三〇〇ポンド(約一三六キログラム)近い重量がある。
荷物を持って渡ることを考えると、この橋も流石に一〇〇キロ程度の荷重は見込んでいるだろう。
だが、それ以上ともなると……。
「手ェ出せ」
「はい?」
リンドウが差し出された手を握った途端、シークェルは己の身体がフワフワと浮き上がる感触に襲われる。
彼が使ったのは、悪鬼の縦穴を降りる際に使った魔法と同系統のものだ。
「これは……」
「手を離した途端、ドボン! だからな」
そうして、ふたり手を繋いだまま橋を渡ると、何とも言えない生暖かい視線に出迎えられた。
「ホラ、やっぱウチの村に汎人の女が居なかっただけだって」
「衆道じゃあなかったか……」
「単なる面食いなんじゃないの?」
「こいつにも人間らしい心あったのな」
随分と好き放題、言っている。
無言で拳を固めたリンドウが近づこうとすると、スケアクロウが肩を掴んで止めた。
「待って、いま喧嘩してる場合じゃないから、ホントに」
「手前ェら、そのツラぁ覚えたからな……」
完全にチンピラの捨て台詞を残しながら連行されるリンドウ。
その後ろをシークェルが相変わらずの無表情でついて行った。
*****
「まるで、何かに呪われとるような気分ですな……」
卓を挟んで一通りの情報交換が終わると、たった一日で更に老け込んだ様子の村長が溜息まじりに泣き言を洩らした。
「安心しろ、本当に呪われてたら婆さんがとっくに気づいてる。単に運が悪いだけだ」
「それ全ッ然、救いになってないからね?」
まったく慰めにもならないフォローをするリンドウを、スケアクロウはジト目で睨む。
村長は目眩のする思いで眉間に手を当てる。
無言で背中を丸め、精神的ダメージに耐えるように俯いた。
「運が悪いとも一概に言えないのでは?」
「死人も出てないし」
「竜さえ居なくなりゃ、あんなモンひと月もせずに元通りだって」
口々に慰められても、ツラいものはツラい。
胃のある辺りの腹を手で摩りながら村長がシークェルを見た。
「で、そのお嬢さんが竜語を話せるというのは、まあ、そんな嘘をつく理由もないか。しかしアレじゃ竜には近づけんでしょう?」
「わたくしに毒は効きません」
村長が助けを求めるような視線をリンドウに送る。
「マジだぜ」
「マジですか……」
外見からして浮世離れしている目の前の女性は、いったい何者なのか。
しかし、その正体もわからない人物に村の運命を托さねばならない。
村長は、度重なる重圧でどんよりとしてきた眼をスケアクロウに向けた。
「表で竜と交渉をしている隙に裏から村人を逃がす。それ以外に何か案はある?」
「……ところで、その遺跡とやらでずっと暮らすワケにはいかんのですかな?」
「不法占拠と判断された時点で強制排除ですね」
当時の制度で奴隷の保護期間は十日と定められており、それを越える場合には官憲への届出が必要だ。
しかし千年前に滅んだ国へ許可を申請できるワケもない。
管理者が不在の状態では自由裁量も期待できない。
「あと何百年かすれば、施設を維持している魔道具の魔力も尽きて自由に出入りできますが」
「気の長い話すぎる……」
森妖精であるにも関わらず、すっかり人間の時間感覚が身に染みたスケアクロウが呟いた。
リンドウが椅子から立ち上がる。
「このままじゃ埒が明かねぇ、竜に要件を聞いてくるぞ」
「頼む」
内心の忸怩たる思いを秘めて、スケアクロウは簡潔に応じる。
「どうぞ、村をお救いくだされ……」
深々と頭を垂れる村長に見送られ、リンドウとシークェルの二人は村長宅をあとにした。