燔祭の獣 01
翌朝、リュビとレトを加えた一行は帰路につくべく、一階の正面ロビーに集まっていた。
「うぅ……」
無事に家へ帰れる算段がついたというのに、リュビの表情は暗い。
昨晩は目を覚ましたあと散々ぱらスケアクロウに説教をされたリュビだが、村へ帰れば更なる説教(あるいは折檻も)が待っているのは想像に難くない。
落ち込む主人の気分に当てられた魔狼犬のレトまで、大きな図体にもかかわらずションボリとした様子を見せていた。
「なあ……ひとつぐらい魔道具を持って帰れんかのぅ」
「止めとけ。客分から盗人に格下げされたら、どうなるか分かんねぇぞ」
「むぅ……」
岩妖精の職人魂がそうさせるのか、カジャクは遺跡の技術に興味があるらしい。
無事を祈って心配しているだろう村の連中がいなければ、ここに何泊でもして調べたいだろう。
リンドウが何も言わなかったら誘惑に負けて、遺跡の守護者に追われる羽目に陥ったかもしれない。
「設備を破損されますと流石に問題ですが、備えつけの消耗品は持ち帰られて結構ですよ」
床を転がる二つの球体――遺跡の守護者――を引き連れ、シークェルが姿を現した。
「おはようございます。お客様、昨晩はよくお休みいただけましたでしょうか?」
見事な営業スマイルで挨拶をする。
彼女の出で立ちは昨日とかなり違う代物だった。
動きやすさを重視したのか、白のワンピースとケープに変わり、パンツルックの上から革の胴着を装備している。
真っ白な髪の中に一筋ある、前髪の黒く変色した部分がひときわ目を引いた。
「ふぅん」
スケアクロウが、一行の中でひとりだけ黒髪のリンドウを見やる。
視線に気づいたリンドウは、しかし、何事もなかったように平然としていた。
そんな二人を横目にリュビが前に出て、シークェルに声をかけた。
「え、えっと……」
右足を引きつつ残った膝を軽く曲げ頭を垂れる。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「…………」
お礼を済ませても相手の反応がなく、不安になったリュビは振り返って後ろの大人たちを見た。
リンドウが頭を掻きながら声をかける。
「何かあるだろ。どういたしましてとか、恐縮ですとか、こんなモン屁でもねぇ気にすんなとか」
「特に感謝される謂われもないのですが……」
シークェルは首をかしげ、目の前の子供にどう対応したものか悩んでいるようだった。
「リュビとレトを匿って貰って助かったよ。治療までしてくれたし」
「悪鬼供も片づけたしな。なかなか出来るモンじゃあないぞ」
スケアクロウとカジャクの言葉に、リュビが何度も頷く。
「そう仰っても、この施設はわたくしの私有財産ではございませんし、職務の上で規定に従っただけですので」
グランモルス帝国の常識では、汎人と獣頭人は全てが奴隷、つまり誰かの財産だ。
持ち主が見つかるまで保護するのは特に変わった行動ではない。
自分の敷地内に迷子の犬が入ってきた程度の認識なのだ。
シークェルの言葉を謙遜と取って、スケアクロウが言葉を重ねた。
「助けられた側からすればさ、助かった事実があるだけで、理由なんて関係ないからね」
「敵でもない者を助けるのに、わざわざ理由が必要なのですか?」
シークェルの言葉に、リンドウを除く三人が思わず顔を見合わせた。
仕方のない事だが、各々に自分の物差しで彼女の内面を誤解する。
リンドウだけは本性を掴みかけていたので、ひとり苦い顔をしたまま答えた。
「俺たちの様な凡俗は、煩悩と因縁を基礎に反射行動しているだけだからな」
「自分の意志はないのですか?」
「そんなモンは井戸に映る月だ」
リンドウは吐き捨てるように言うと、シークェルを急かす。
「さあ、出口に案内してくれ」
*****
石畳の遊歩道も芝生の広場も、千年の間にすっかり樹海の植物に侵略されていた。
湖を望む丘の上にあるこの場所が、かつては公園だったと誰かに教えられても俄には信じがたいだろう。
今は降り積もる枯葉が地表を覆っている。
公園だった場所の一角、以前は噴水だった石の残骸が音を立てて崩れ、生えていた灌木もろとも大地に放り出される。
地面から円柱状の鉄塊がせり上がり、側面の一部がスライドして口を開けた。
野伏のスケアクロウと、魔狼犬のレトがまず外へ出て来た。
周囲の安全を確認し、残りの面子が次々と外へ出て来る。
最後に残ったシークェルは前に踏み出そうとして、昇降機と外の世界との境界で足を止めた。
周囲には秋を迎え黄金色に色づく森が広がっている。
昇降機の暗がりに佇むシークェルの顔はどんな表情も浮かべておらず、その目は何も映していなかった。
死と再生、それに伴う魂の変質を経たシークェルは、施設管理者としての権利を失った代わり、大半の制約から解放されていた。
当初の計画とは大いに違う筋書きではあったが、それは彼女の望んだことでもある。
ここはもはや自分の居場所ではない。ここに残る理由は何もない。
なのに足が前に出ない。
自動人形に人間のような恐怖心はないが、思考の袋小路に迷い込むことはある。
リンドウは、立ち止まったまま動かないシークェルに気づいて道を引き返して、しかし、声はかけずにじっと彼女の様子を見ていた。
やがて埒が明かないと思ったのか、やれやれといった風情で手を差し伸べる。
我に返ったシークェルは差し伸べられた手を取ろうと身を乗り出す。
瞬間、リンドウがサッと後ろへ手を引いた。ふざけているのか。
無言で咎めるような視線を投げるシークェルを無視して、リンドウは踵を返してひとりさっさと歩き始めた。
まだ二の足を踏むシークェルはふと足もとに目をやり、動きを止める。
彼女のつま先は境界を踏み越えて、降り積もった落ち葉の絨毯を踏んでいた。
顔を上げると、リンドウたちはもうずっと先まで進んでいる。
シークェルは姿勢を正し、今度は自分の意志で二歩目を踏み出す。
その後ろを二体の守護者が転がりながら追って行った。
全ての乗員が降りた非常昇降機は自動で元の場所へと戻り、地上にはその周辺だけ不自然に綺麗な地面だけが残った。
*****
木によじ登って周囲を確認するスケアクロウに、下からカジャクが声をかけた。
「どっちが村だかワシにはサッパリだ!」
「方角的にはアッチ!」
大きく北東を指差しながらスケアクロウが答えた。
「お待ち下さい。それなら一旦は真北へ抜けた方が宜しいかと」
一行に追いついたシークェルが提案する。
施設の周囲だけなら自動機械を介して把握済みだった。
今となっては大陸全土を覆っていた魔力網からの供給も得られず、自動機械は遺跡を遠く離れては動けない。
シークェルのように最初から独立型として設計されていない限りは。
いまシークェルに付き従っている二体の守護者は、彼女から直に〈経〉を介した魔力供給を受けられるよう手が加えられていた。
管理者に与えられた権限の中では二体が限界だった。単純に数を増やしても補給が追いつかなくなるだけだが。
木の上から地上に降りてきたスケアクロウは、戸惑いの表情を浮かべていた。
「道案内は助かるけど……」
「お前さん村までついて来るつもりか?」
「はい?」
同行者に何の説明もしていないのか。
シークェルが振り返れば、リンドウは子供と道草を食っていた。
「おじさん、これ全然美味しくない……」
「どんだけ噛んでも繊維が口の中に残るな」
リンドウとリュビの二人が微妙な顔で咀嚼しているのは、精気香茅と呼ばれる薬草だ。
細長い葉が密集して地面から直接生えているので、一見するとススキによく似ている。
その雑草にしか見えない代物を口からはみ出させ、ウシのようにモシャモシャ食べる姿が哀れを誘った。
リンドウはしゃがみ込むと、慣れた手つきで精気香茅を根元で刈り取って束にしていく。
「何してんの」
「いやな、普通はここまで伸びるより先に獣が食っちまうんだよ」
「だからってお前、道草食っとる場合か? 早ぅ村に帰るぞ」
「蒸留酒の香味付けにも使えるしな」
「よし、根こそぎ刈るぞ」
「そんなに持って帰れないから」
「ぜんぶ刈っちゃたらダメじゃない?」
「地下茎でも増えるから大丈夫だろ、多分」
その時、レトの耳がピンと立ち、警告の唸りが発せられる。
「上空から何か近づいてきます」
シークェルからも注意が飛ぶ。
人間どもが馬鹿をやっている間も、使役獣と使用人は健気に周囲を警戒していたのだ。
一行は誰ひとりとして無駄口を叩くこともなく、瞬く間に身を伏せ隠れた。
どれだけ油断しているように見えても、そして子供でも、こんなとき「えっ?」と聞き返したりせず即座に動けないようでは、〈奥溜の大樹海〉では生き延びられない。
《いったい何だってんだ?》
リンドウがシークェルへ〈他心通〉で呼びかける。
《南から巨大な飛行物体が急速で近づいてきます》
シークェルも〈他心通〉で応えた。魂の契約を交わしたことで、彼女はリンドウとの意思疎通や限定的な能力の借り受けが可能になった。
これは魔女の使い魔に現れるのと同じ現象だ。
リンドウもシークェルの五感を盗み読んだり出来るのだが、彼はその能力を嫌って使わないでいる。
監視するのもされるのも御免なのだ。
《施設の警備機構を呼出できれば、もう少し詳しい情報が得られるのですが……》
シークェルが無念を伝える。施設側の分類では、今の彼女は単なる外来者でしかない。
一行の頭上を、翼を持つ大きな影が一瞬で通り過ぎる。
「ン゛~~~ッ!?」
悲鳴をあげそうになったリュビの口を、スケアクロウが手で塞ぐ。リュビは口を塞がれたまま渾身の力でレトにしがみついていた。
恐怖に囚われるのも無理ない。それは空を飛ぶ生物にしては、あまりにも大きすぎた。
地上の人間には気づかなかったのか、あるいは無視したのか。
影はゆっくりと旋回しながら、やがて北東の空へ姿を消した。