忘られし物たちの国 05
蘇生(あるいは再起動)にあたって、リンドウは自分の制御下にある霊液の循環から手を付けた。
しかし、いきなり最初から躓く。
(どれぐらいの速さで循環させりゃあ良いんだ……?)
仮に流量が人間と同じだとしても、人間の心臓が送り出す血の量など知識に無い。
そこでリンドウは発想を変えた。
リンドウは己の体内を巡る血の流れと、シークェルの体内を巡る霊液の流れを、魔法的な結びつきを構築し同期させていく。
自分の鼓動を基準に、一定の速度でシークェルの体内にある霊液を循環させる。
呼吸も同様に、自分自身の呼気を基準に肺へ送り込む空気の量と速度を定める。
風元素の扱いには慣れていないので、十分に時間をかけ慎重に作業を進めなければならない。
リンドウの額から汗が滴り落ちた。
こうしてリンドウが自らを生命維持装置と化して半刻ほどが過ぎた時、変化が訪れる。
霊液が自ら流れを作り始めた。
シークェルの心臓が機能し始め、同時に自発呼吸も再開する。
その時、リンドウは自動人形がヒトを模した構造を持つ理由を理解した。
自動人形は魔道具でありながら、生物と同じように生気を生成できるのだ。
この世界に存在する全てのモノには精気と呼ばれる力が宿っている。
生物は食事や呼吸を通して精気を体内に取り込む。
生物は取り込んだ精気をそのまま利用できない。摂取した食物が消化を経なければ栄養素として利用できないのと同じだ。
精気は生物の体内を循環して生気へと変質する。
体内に蓄積された生気の量と制御力を指して、この世界の人間は“魔力”と呼んでいる。
(コイツ、マジで“自らゼンマイを巻く機械”なのか……?)
魔道具は使い手の魔力を消費するか、内部に溜め込まれた魔力を消費するかのどちらかで、この世界にも永久機関は存在しない。
もちろん自動人形も永久機関にはほど遠い。
それでも、自分を駆動する魔力を自力で補給できる機能は、他の魔道具と一線を画する。
弱々しい体内循環を補助するため、しばらくの間リンドウは魔法を使い続けた。
シークェルの自律機能が正常に働き始めたのを確信できてから、ようやく魔法を解除する。
心臓も肺も人間とは仕組みが違うので、脈も無ければ胸も上下しない。
まだ死んでいるようにしか見えないが実際には違っていた。
「……ふぅ」
気の抜けた声をあげリンドウは仰向けに床へ倒れた。
肉体的な疲労は改造された身体の〈超恒常性〉が即座に回復してくれる。
精神的な疲労というのも要するに脳や神経の問題で、こちらもすぐに回復する。
しかし、繊細な作業を長時間に渡って行った結果、身体は眠りを欲したらしい。
汗を拭ってひと息つこうとベッドへ横になった途端、リンドウは意識を手放していた。
*****
リンドウは夢の中で目を覚ます。
気がつけば身体は宙を浮いて、ベッドの上で眠る自分自身を見おろしていた。
ベッドの上で眠る自分は影法師のようで、しかもユラユラと蜃気楼のごとく形が不確かだ。
リンドウは宙に浮いた状態でキョロキョロと周囲を見回した。
「いつ来ても薄気味悪ぃ場所だぜ……」
リンドウは魂だけの存在となって、幽世と呼ばれる場所へ迷い込んでいた。
現世と重なるように存在する幽世は、同じ世界の表と裏のような関係だ。
神や精霊といった肉体を持たないモノたちの住む世界でもある。
覚醒状態からでも魂が幽世へ自在に出入り出来るなら、その者は魔法使いとして超一流と言える。
未熟な魔法使いが幽世で魂を砕かれたり、自分の身体へ戻れなくなって死ぬことも珍しくはない。
「ま、このまま身体が目覚めるのを待つか……」
リンドウは両手を頭の後ろで組み、宙に浮いたまま仰向けに寝転んだ。
リンドウの扱う魔法は現世寄りのものばかりで、幽世に足場を置いたものはかなり苦手だ。
それはリンドウの頭に化学や物理という考えがある所為なのか、彼が性根では形のあるものしか信じられない所為なのか。
この性分が改められない限り、彼は技巧派の二流魔法使いには成れても一流に届かないだろう。
「お客様――いえ、リンドウ様」
「うぉっ!?」
不意に背後から声をかけられ、飛び起きる。
振り返ったリンドウは目にしたものが信じられず、思わず二度見した。
目の前に立つシークェルの背には、光輝く一対の翼が生えていた。
当たり前だが、魂はオンラインゲームのアバターではないので、自分で好みの姿を選べるワケではない。
外見には本人の性格や性質が反映される。
ちなみにリンドウが現世でも幽世でもまったく同じ外見なのは修行の賜である。
神を自称する存在と遭遇した身としては、天使(神の使い)という符牒に不穏なものを感じざるを得ない。
それとも羽が生えていれば天使というのは、あまりにも短絡的か。
「……偶然だ偶然。天狗の仕業だ」
「はい?」
天狗を知らないシークェルは首を捻るしかない。
「つーか……自動人形にもあるんだな、魂。それとも付喪神か?」
「ツクモガミが何なのか分かりませんが……と言うよりも、何ひとつ分からないのですが」
シークェルは自分の背中にある翼を覗き込んで顔を曇らせる。意味が分からなかった。
この場所では彼女の感知器が用をなさない。
情報を得られないことがストレスになっていた。
「この身体はいったい? 此処は何処なのでしょう? そもそも、わたくしは機能停止したはずですが」
「ココは幽世で、アンタは俺が再起動した」
「は?」
シークェルが応答しなくなる。
「おーい」
「――どのように?」
「魔法で肺と心臓を無理やり動かした」
「それだけで……?」
通常、異常をきたした自動人形は〈再生機構〉送りになる。
記憶は初期化され別人として再生される。
製造元のグランモルス帝国が滅びた今となっては、普通ならそのまま朽ち果てる以外にない。
「で、どうする? すぐ目を覚ましたいなら自分の身体に覆いかぶさる要領でいい」
リンドウが、床に横たわる影法師――現世に存在するシークェルの身体――へ親指を向けた。
「どうしてもってんなら、この場で魂を昇華還元することも出来るが?」
気は進まないが、とは口に出さなかった。
「いえ、それには及びません」
勝手に生き返らせた以上は恨み言も覚悟していたリンドウだったが、胸をなで下ろす。
苦労しながらシークェルが床へ横たわるが、背中の翼がとてつもなくジャマだった。
「……何も起こりませんが」
「あぁん?」
リンドウが首を傾げる。
初めて幽世に来た者が戻れないというのは考え辛い。
そこまで現世との繋がりが弱くなっているという事態は。
リンドウはしばらくの間、床に横たわるシークェルの周囲をグルグル回りながら何かを調べるが、万策尽きたのかドスンと床に座り込んだ。
シークェルは上半身を起こすとリンドウの方を向いた。
「では、気になっていたことを、お伺いしても?」
リンドウは首肯する。
「自動人形が幽世を知覚するなど、聞いたこともありません。それはこの――」
胸の中央から魔力でしか知覚できない不可視の細い糸が伸び、その先はリンドウへと繋がっていた。
「いつの間にか繋がっていた〈経〉が原因ではないかと。何か心当たりはございませんか?」
もの凄くあった。
「アレかねェ」
「アレとは?」
言葉尻を食い気味にシークェルが問い質す。
声はあくまでも平板だったが、多少はイラついているらしい。
「床にブチ撒かれた血? 体液? をアンタの体内に戻すとき、俺の血を触媒に使った」
シークェルがわざとらしく額に手を当て空を仰いだ。
「自動人形の霊液は――」
言いかけて沈黙し、シークェルが眉をひそめる。
「どうした?」
「一定階位より上の情報開示は禁忌に触れるはずなのですが……際どい話題を口にしても精神的圧迫感がありません……」
「そりゃ好都合だが、理由がわからないのはゾッとしねえな」
軽く触れるだけに留めて、リンドウは先を促す。
「自動人形の本体は機械の身体にありません。その本質は幽世に存在する人造精霊なのです」
「……召喚術か」
それなりに勉強熱心なリンドウは即座に思い至る。
「はい。呼び招いた魂の代わりに人造精霊を、魔力を練りあげて創る〈かりそめの身体〉の代わりに〈依代〉を用意した、召喚術の一種と言えるでしょう」
「そんなに長く取り憑けるもんか?」
「霊液がそれを可能にします。霊液こそが自動人形にとっての身体であり、機械仕掛けの身体は単なる容器に過ぎません」
リンドウは自分の指先をじっと見つめ、考え込むように呟いた。
「身体が変質した所為で、魂と同期できなくなったか」
「単なる異物であれば代謝機能で正常化できるのですが……」
「まあ、だったら解決方法は分かった」
リンドウが指先を噛み、血に染まる指をシークェルへ差し出す。
「これゼッタイ後から問題が出るンじゃあねえの?」
「かもしれません」
滴り落ちる血の雫を、シークェルは舌で受け取った。