忘られし物たちの国 04
パンッ、パンッ、と破裂音が更に二つ。
ベットの上へ倒れたリンドウへ容赦なく追撃が加えられた。
撃ち込まれた樹脂弾は相手を殺さず無力化する目的のものだが、当たり所が悪ければ障害の残る傷を負ったり最悪は死ぬ場合もある危険なものだ。
死にはしないが死ぬほどの痛みを伴う攻撃を、無表情で作業のように淡々と加えるシークェルの姿は、それを目にした者の心を怖じけさせることだろう。
シークェルは、ベッドの上で身動きひとつしないリンドウへ向け言葉を浴びせる。
「手出しは出来ないと高を括っていたのなら――」
だが、その言葉を最後まで言い切ることが出来ない。
膝を折って床へ崩れ落ちた。
両手を床について身を起こそうとしても、その指が力なく床を掻くだけに終わる。
それは、ヒトに奉仕する存在として貴種に創造された自動人形が、上位者の命令や違法行為の証拠もなくヒトを攻撃する禁忌を犯した代償だった。
(これは……予想以上の……)
能面のような顔の下で、シークェルは焦りを感じていた。
一刻も早く制御を取り戻そうとする。
しかし、彼女の石頭は自己矛盾を許容できない。
身体に震えが走り、その両目から、両耳から、鼻から、口から漏れ出した液体が床を淡青色に染めていく。
瞳と同じ色をした半透明の霊液は、シークェルを疑似生命体たらしめている根源だ。
彼女はヒトへの奉仕という創造主の定めた存在意義を自ら手放し、自壊の瀬戸際に立たされていた。
「だいぶ具合が悪そうだな」
頭上からの声に、シークェルは藻掻くのを止める。
床に這いつくばったまま上を見やれば、何ごとも無かったようにベッドへ腰掛けるリンドウが居た。
「何でテメェの方が死にそうになってんだ? ワケわかンねぇ」
その声には自分の優位を誇る様子も、彼女の無様を笑う色も含まれてはいなかった。
ただただ不思議がっているだけなのだ。
「そいつ等に命令して、自分を修理室だか医務室だかに運べねぇのか?」
リンドウは、部屋の中でカカシのように突っ立っている二体の守護者を指さす。
「…………」
返答はない。返答できないのか、返答する意志がないのか。
リンドウは立ち上がると、シークェルの傍らまで来てその手を取る。
「ッ――!? いったい何キロあんだよ……っと」
彼女を仰向けにひっくり返すと耳元に跪いた。
《頭ン中で強く念じるだけで良い、コッチで読み取る。いったい何があった?》
リンドウは〈他心通〉でシークェルへ呼びかける。
呼びかけながら口元へ耳を近づけようとして、動きを止める。
自動人形の呼吸を確認する意味があるのか。そもそも呼吸をするのかも分からないのに。
《……〈異言者〉とはどこまで規格外なのですか? 先ほどの攻撃は、大鬼や牛頭鬼でもない限り激痛にのたうち回るものでした》
そんな物騒なモン躊躇なく人間相手に使うなよ、とリンドウは内心で突っ込む。
《相手が悪かったな》
《暴力で言うことを聞かせる腹案は、最初から破綻していたようですね……》
と同時に、他人を犠牲にしてでも我を通す覚悟の、足りない部分を感じていた。
《殺す覚悟もなしに心を折れると思ってたんなら、ハッキリ言って舐めてるな》
《それは無理ですね。わざわざ低致死性兵器を選びましたのに、ご覧の通りですから》
力尽きたようにシークェルは静かに目を閉じた。
《〈緊急停止措置〉対策は間に合いましたが、〈依代〉が自壊するほどの〈過剰反応〉は想定外です。準備時間が足りませんでした》
こうしている間にも、シークェルの身体からは霊液が流れ出し続けている。
そう長い時間は保ちそうにない。
《……言ってる意味は何となくしか分からねェが、どうすりゃ助かる? このまま死にたいならそう言ってくれ》
《道具は死にません。壊れるだけです》
リンドウは呆れてため息をついた。
《アンタ、自分で言うほどは道具に徹しきれちゃいねえな》
《創造主の意向に逆らった人形の末路など、こんなものでしょう》
リンドウはこれまでの会話から、自動人形にもロボット三原則のような何かがあるのだろうと推測していた。
自分ひとりでは遺跡から出られないというのも、その一つだろう。
ここから出たければ、如何なる手段を用いてでも翌朝までにリンドウの首を縦に振らせる必要があった。
そして彼女は賭に出て、負けた。
《アンタそんなに外へ出たかったのか》
《……どうやら、そのようです》
頭を少し傾ける、それだけの動作にシークェルは残った力を余さず注いだ。
うっすらと開いた瞳は、もはやリンドウに焦点を結べない。
《私の世界は狭く、空は低い。気づいたら……私には耐えられなかった……》
《――ッ、おいっ! 勝手に死んでんじゃ無ェ!!》
それを最後にシークェルの思考は沈黙し、リンドウの呼びかけにも答えることはなかった。
「クソッタレ、俺が殺したみてえじゃねぇか……」
遺体――魔術で動く機械をそう呼ぶのは奇妙かもしれないが、彼の主観では――を前にリンドウは呟いた。
滅びを待つだけだった者に、鉄の部屋を壊す希望を見せてしまったのか。
偶然、自分がやって来た所為で。
因果だな。と、リンドウは思う。希望を与えておいて取り上げるだなんて、いっとうタチが悪い。
自分には責任のない話なのに、胃の腑の底から口中に苦々しいものが上ってくる。
「罪悪感は地上で最も危険な毒らしいけどな、さて……」
どうしたものか。
ただの人形ならこの場に打ち捨てて何の後ろめたさも無い。
自分は助けられて当然だと思っている輩ならリンドウは平気で見捨てられる。
なら、嘘まで吐いて創造主の敷いたレールをはみ出そうとする背教者は?
リンドウは古代帝国の貴種に対して、何て胸糞の悪い連中なんだと腹に据えかねていた。
文句を言ってやろうにも、相手はとうの昔に滅んでいるのだから余計に腹立たしい。
ヒトに奉仕するため作られた存在になぜ自我など与えたのか。機能として自我が必要なのであれば、製造時に洗脳でもして不幸なんて感じなくすれば良い。
もしかしたら本来の自動人形はそういった存在で、千年に及ぶ孤独と内省がシークェルに必要のない機能を追加したのかもしれないが。
リンドウの眼前に横たわる遺体はピクリとも動かず、再起動の気配はない。
横に控えている二体の守護者も、命令待ち状態なのか突っ立ったままだ。
人間の場合は死んだ瞬間から、生命活動を支えていた仕組みそのものが逆に人体を崩壊させる原因になる。
誰も何もしなくても自分で勝手にどんどん壊れていく。
何よりも酸素の供給が止まった途端、数分で脳がダメになる。
自動人形はどうなのか。
人間と同じように機能がいったん停止して時間が空くと二度と再起動できないのか。
機械のように壊れてさえいなければ再起動できるのか。
その場合はOSのように自動修復してくれるのか(わりと失敗するが)。
ここには電話一本で駆けつけてくれる救急車もサポセンも無い。
「……まあ、一通りやるだけやってみるか。生き返っても恨むなよ、と」
どうして生き返らせたんだと恨み言を言われたら、そのときはそのとき。
そもそも、生き返らない可能性の方が高いだろう、多分。
リンドウはベッドサイドに放り出してあった革鞄を持ってくると、革製のケースを取り出した。
ケースには採取用道具一式がズラリと並べられている。その中から刃物を手に取った。
刃物で指先を軽く突くと、みるみる血の玉が吹き出してきた。
リンドウは結跏趺坐に足を組み半眼になって呼吸を整えると、床を濡らす青い霊液の中へ血で赤く染まる指先を浸した。
「スゥ――ッハァ――ッ」
リンドウの呼気に応え、床の上の霊液へ指先を中心にして波紋が生じる。
波紋は激しさを増してさざ波となり、うねりを伴って動きだした。
うねりは渦を巻いて周囲の霊液を吸い上げ、床の上に水柱が立つ。
小さな竜巻となった青い水柱が、緩やかに渦を巻いて宙に浮いた。
やがて竜巻の先端が、生き物ように鎌首をもたげ動き始める。
這うようにゆっくりとした速さで宙に弧を描いて、床へ横たわるシークェルの口中へ吸い込まれていった。
血液は魔法を行使する者にとって自身の一部であり、同時に生気を大量に含んだ触媒でもある。
リンドウは地元素を操ることにかけては相当なレベルに達していたが、水元素に関してはいささか心許ないため己の血を利用したのだ。
いまやリンドウの一部と化した霊液が、シークェルの身体の中を隅々まで調べていく。
構造の大半は全くもって理解不可能なので、大まかな仕組みや外的損傷のみに目を向ける。
人体を模した真銀の骨格に素材が分からない繊維の筋肉。
表皮の下にはウロコ状の真銀片が並んでいる。
拍動しない構造の心臓で送り出された霊液が、人間の血液と同じように体内を循環する。肺のような構造を持つ器官もある。
調べた限り見た目で分かる損傷はないのに、意識がなく、呼吸がなく、脈がない。
もちろん人体とは構造の違う部分も多々あるが――。
(外面だけじゃなく中身まで人間に似せる意味がわっかんねぇな……)
エンジンのように、何らかの手段で強制的に回し始めれば自ら動き始めるのを期待して、リンドウはシークェルの蘇生(再起動?)処置を開始した。