忘られし物たちの国 03
こんな話がある。
ある日、一人の年老いた漁師が網を打つと、海の底から真鍮の壺を引きあげた。
老人が鉛の帯封を解き栓を引き抜くと、たちまち壺から煙が立ち昇り、雲つくような一柱の幽精が姿を現す。
幽精は老漁師に語り始めた。
偉大なる王の名のもとに、壺に封印され海の底へ投げ入れられた後、最初の百年が過ぎた。その間、俺はずっとこう思っていた――我を解き放つ者に永久の富を。しかし、封印を解く者は現れなかった。
更に百年が過ぎる間、俺はこう思った――我を解き放つ者に、地のありとあらゆる宝を。しかし、封印を解く者は現れなかった。
四百年が過ぎる頃、俺はこう思った――我を解き放つ者に、あらゆる願いを三つ叶えよう。しかし、封印を解く者は現れなかった。
ついには九百年が過ぎ、激しい怒りと共に俺は決意する――我を解き放つ者に死を! ただし、死に方だけは選ばせてやろう。
「さあ、どんなふうに殺してやろうか? 選ぶが良い!」
奴隷に繋がれた鎖を解いてやったつもりが、猛獣を檻から出す結果になれば目も当てられない。
だから、とりあえず情報をもっと引き出そうと、リンドウは本腰を入れ会話に臨んだ。
「これまでに、此処へ迷い込んだヤツがいなかったか? ソイツらには同じように頼まなかったのか?」
「頻度としては平均して一〇〇年に一度ほどでしょうか。全て汎人か獣頭人の者でしたのでお帰り頂きました」
「ここの備品ひとつとっても、持ち帰れば随分と良い稼ぎになるぜ。そういう連中はいなかったのかい?」
この質問にシークェルは無言で微笑んだ。二度と訊くのを止めよう。話題を変える。
「俺じゃなく、他の二人に頼むんじゃダメなのか?」
「外来者と〈異言者〉では権限に差があるのです。〈異言者〉の同行者として登録されれば、わたくしに課せられる制限は殆どありません」
それってつまり危ないんじゃないの? と、リンドウは不安を覚えると同時に、なぜグランモルス帝国では〈異言者〉がそこまで優遇されていたのか疑問も湧く。
「同行者ってことは……アンタ外に出られても完全に自由ってワケじゃないのか」
「はい」
「ついて来るつもりなのかよ」
「はい」
答えを聞いてリンドウは大きなため息をついた。
「家主に無断で下宿人を増やすワケにゃいかねぇんだが」
「衣食住の便宜をはかって頂く必要はありません」
「だからって、野良犬を拾って帰るのとはワケが違うだろ」
「野良犬よりは役に立つと自負しております」
「……そもそもアンタいったい何者なんだ?」
リンドウが今更の疑問をぶつけると、シークェルは居住まいを正し宣った。
「わたくしは〈独立型観光支援ユニット〉、シークェル。宿泊施設の接客係はあくまでも仮の姿。この施設には他に適任者がおりませんので」
「長い……」
「要するに案内人です」
「じゃあ最初っからそう言ってくれ」
リンドウは出口の見えない会話にいい加減うんざりしつつ、それでもコレだけは聞かずに済ませられなかった。
「アンタいったい外に出てどうするつもりだ?」
「案内人の仕事は案内です」
「案内?」
リンドウは眉をひそめる。
「何処へ?」
「行く先を決めるのは、あなた方、人間の仕事です」
「まるで自分は人間じゃあないみたいな……人間じゃないか」
ヒトは、ヒトのように振る舞うものを見ると、そこに勝手な意味を見い出す。
たとえば動物がヒトに似た表情や仕草をすると、きっと動物もヒトと同じものを感じているのだと思ってしまう。
ヒトのように振る舞う、ヒトではない何かが口を開いた。
「自動人形、つまり人型の自動機械です。〈ちんけな道連れ〉と呼ぶ貴種の方もおられましたが」
自動人形は、この世界では魔術で作られたアンドロイド(またはガイノイド)を指す。
すべてがグランモルス帝国の遺物で、今でも稼働している機体は表向き存在しない。
「で、アンタは国が滅んだ後も律儀に命令を守り続けてるってワケね」
「はい」
その迷いの無さに、リンドウは仏頂面になる。
「とっくの昔に主人はくたばってるのに、自由はないのかよ」
「人の手を完全に離れて動く制御不能な道具など道化芝居にもなりません」
「人生は主観で見りゃ悲劇だが、俯瞰で見りゃ喜劇だそうだ」
「卓見です。もっとも、わたくしは人ではありませんが」
リンドウは眉間にシワを寄せ、シークェルへ鋭い視線を投げる。
その白い面差しはまったくの無表情で、胸中を推し測ることはできなかった。
いや、それは考えが違っているぞ――と、リンドウは思い直す。
“ロボットは好意で微笑むのではなく、プログラムで笑う。”
なら、自動人形は?
これまでにシークェルが僅かに見せた表情や身振りは、おそらく喜怒哀楽の発露ではない。
人間の目に分かり易く情報を伝える為の手段でしかない。
自動車の点滅するランプやスマートフォンの振動から、自動車やスマートフォンの「内面」を推し測るなんて行為には何の意味もない。
だが同時に、目の前の存在が自動車やスマートフォンと同じような、何の知性も感情も持たない存在だとリンドウには思えなかった。
感情は(あったとして人間とは異質だろうが)ともかく、知性は感じられる。
チューリングテストだとか中国語の部屋だとか、そういったワードがリンドウの脳裏にチラついていた。そもそも自我を持たない知性だってあり得るはずだ。おお、自動人形よ、汝に仏性の有りや無しや。
「我思う、ゆえに我あり」
「なんですか、それ?」
「自我に目覚めた人工知能が、互いに殺し合いを始める呪文」
「…………」
シークェルの視線が冷たくなった――と感じるのは、リンドウの被害妄想だろうか。
リンドウは姿勢を崩して立て膝に肘をつくと、皮肉な笑みで口を歪ませた。
「連れて行くのは嫌だ――と言ったら、アンタどうする?」
「何も」
シークェルは間を置かず答えた。
「それが結論であれば、致し方ありません」
「“何も”って」
リンドウはシークェルをまじまじと見つめた。
その顔は路傍に転がる石よりも表情が無かった。
「アンタ次の機会をまた千年待つのか?」
「おそらく次の機会は無いでしょう」
シークェルは伏し目がちに、次に続く言葉を探した。
「この施設は完成を前に放棄されました。帝国が滅びた為です。〈経〉を介した通信と魔力の供給は断たれ、補給もなく修理されないまま大半の設備は沈黙し、希にやって来る者といえば略奪者ばかり。わたくしは最期まで本来の役割を果たすこともなく、施設と運命を共にし此処で朽ち果てるでしょう」
淡々と述べると、シークェルは目を閉じ天を仰いだ。
「人であれば、これを “無念” と呼ぶでしょうね」
「自動人形なら何て呼ぶ?」
「何も」
やはり間を置かずシークェルは答えた。
閉ざしていた目を開くとリンドウを見つめる。
「道具には言葉など必要ありません。使われる当てもない道具なら尚更に」
「気に入らねぇ」
リンドウの目が据わっていた。
怒りを抑えようとするあまり、却って声は平板になった。
「散々ぱら同情引くような物言いをしやがって、そのクセ最後は他人に下駄を預けるだぁ? じゃあ俺の返事はひとつだ」
口にするのも汚らわしいとばかりに、吐き捨てた。
「手前ェは此処でこのまま朽ちていけ」
「……残念です」
シークェルの声と共に部屋の扉がひとりでに開くと、二つの黒い球体が部屋へ転がり込んできた。
リュビの眠っている部屋の前で見た、あの球体だった。
球体はシークェルの背後で別れて左右に並ぶと、その表面に継ぎ目が浮かび上がり変形・展開していく。
あとには二本の足で直立する、センザンコウのような姿形をした自動機械が姿を現していた。
悪鬼の集団を跡形もなく始末した、この施設に用意された守護者達だ。
シークェルは静かに椅子から立ち上がると、手を前に出し掌をリンドウに向けた。
「できれば、このような手段は取りたくありませんでした」
「アハハハハハ」
返答は狂ったような笑い声の奔流だった。
「泣き落としがダメだったら今度は実力行使か? 人形がまるで人間みたいだぜ」
返答の代わりに、破裂音が部屋に響く。
シークェルの掌中から圧縮空気によって樹脂弾が撃ち出される。
胴体に直撃を受けたリンドウは、もんどり打ってベッドの上へ倒れた。