忘られし物たちの国 01
バラムと分かれた三人は洞窟の中へと入っていった。
全員が暗視かそれに類する能力を持つ面子なので明かりは要らない。
それでも火を点けた方が良い場合もあるだろうが、今回は目立たないことを優先した。
野伏のスケアクロウが先行し、その後を二人が追う。
洞窟の中はひんやりと冷たく湿気を帯びた空気で満ちている。
分かれ道はなく迷う心配はなかった。
暗闇の中、カジャクが隣を歩くリンドウに小声で呟いた。
「こいつは悪鬼どもが手ずから掘った穴じゃあないぞ」
「自然の洞窟にしては歩きやすくないか?」
「床には手を加えてあるな。あの縦穴も大方は、元からあった広間を拡げようとしてヘマしたんじゃろ。馬鹿な連中だ」
先行していたスケアクロウが手振りで注意を促し、次いで自分の方へ来るように催促する。
息を殺して近づいた二人は、岩陰に身を隠しながらスケアクロウの指さす方へ視線を向けた。
三人が通ってきた洞窟は、この先で別の地下空間へ繋がっているようだ。
前方には仄かな明かりが見える。
一行は、これまでの洞窟とは毛色の違う広い隧道に出た。
「むう……」
壁に手を触れながらカジャクが小さく唸る。
隧道の壁面は磨かれたように滑らかで、天井にある正体不明の光源からは燐光が放たれている。
隧道は高さ幅ともに四〇フィート(約一二メートル)程度の一本道で、片方はリンドウたちの通ってきた洞窟に至り、もう片方は果たしてどこまで伸びているのか見ただけでは分からない。
リンドウには、地球にあった自動車用の地下トンネルを連想させる作りだった。
隧道の天井が放つ燐光が、この合流地点を見張っていたらしい二人の悪鬼を照らす。
悪鬼は血を流し床に倒れていた。
スケアクロウが一人で悪鬼へと近づき安全を確認する。すぐ残りの二人が続いた。
死体を検めていたスケアクロウが悪鬼の首を指さす。
「大きな肉食獣に牙でやられてる。レトだろうね」
「生きてたのか……」
無神経なことを口にしたリンドウが、スケアクロウに睨まれた。
「急ぐぞ」
カジャクの言葉に一行は先に進む足を速めた。
「古代帝国の遺物ってヤツだね、たぶん」
先頭に立って歩くスケアクロウが、周囲を見回しながら呟いた。
「お前、専門家だろ?」
「あはは……悪鬼が通ってこれたぐらいだから、防御機構はもう死んでるのかな」
リンドウの指摘をスケアクロウが笑ってごまかす。
解散した探険隊での役割は肉体労働専門で、頭脳労働は別の隊員に任せきりだったのだ。
「わからんぞ、手下が何匹くたばろうと無視して突き進んだのかもしれん」
「どんだけ悪鬼嫌いなんだよ……」
リンドウはそう言ったが、カジャクの予想は悪鬼なら十分にあり得る行動だ。
一行は天井の燐光を避け壁際を進んでいく。
暗視能力といっても、日中の地上と同じに闇が見通せるわけではない。
それは悪鬼も同じ条件なので、鉢合わせた場合は優秀な野伏を擁するリンドウたちが先手を取るだろう。
闇の中を八〇〇ヤード(約七三〇メートル)ほど進んだ辺りで、道幅が倍ほどに広がっていた。
周辺にはすえたような悪臭が漂っている。
乱雑に積まれた大量の荷物が道を塞いでいた。悪鬼の兵站基地だろうか? しかし、人影がない。
「ここにも悪鬼の群れがいたハズなのに……」
スケアクロウの眉間にシワが寄る。
リュビとレトがここで悪鬼の集団と遭遇したならば、もはや生きてはいないだろう。
隧道は一本道で、リンドウたちと行き違いになったとは考え辛い。
しかし――。
「ここに争った痕跡はないし、そもそも悪鬼どもは何処へ消えたんじゃ?」
カジャクの疑問に答えてくれる者はいない。
仮にリュビたちがここへ来た時点で既に悪鬼が居なくなっていたとして、隧道を更に先へ進むだろうか? 十分にあり得る。
この隧道は先へ進むほど危険が増すのをリンドウたちは知っているが、リュビが同じ判断を下せるとは限らない。
壺の中で醗酵しているマダガスカルゴキブリに似た謎の昆虫や、開きにされ干肉になった眼のない豚のような家畜、人間には悪臭としか感じられない酒とおぼしき液体等々。
悪鬼の食料を調べていたリンドウが二人に尋ねた。
「この隧道が悪鬼の根拠地とやらまで続いているとしてだ、この食糧でどれぐらいの規模の部隊が賄えるんだ?」
残念なことに、戦闘の経験はあっても従軍経験のない二人には計りかねた。
人間や妖精と同じに考えて良いのかも不明だ。
「あんまり悠長にしてると、食料を補給しに後続が来るかもな」
「リュビが危ない」
スケアクロウとリンドウが互いに頷く。
「うぉぉッ!?」
カジャクの叫び声に続いて人が床に倒れる音がした。
先ほどまで何もなかったハズの壁面に新たな入口が開いて、その先には通路が延びていた。
通路の幅と高さは一〇フィート(三メートル)弱で、天井からの明かりが通路を照らしている。
スケアクロウとリンドウの二人は眩しさに目を窄めた。
もたれ掛かろうとした壁が消えたせいで仰向けに倒れたカジャクは、驚きのあまりアングリと口を開け固まっていた。
「危ねえな。罠だったら下手すりゃ死んでたぞ、おい」
「あぁ、あぁ……」
リンドウに助け起こされても、カジャクのバクバクとうるさい心臓の音はなかなか鳴り止まない。
茫然自失といった態のカジャクを尻目に、そのすぐ横を通り過ぎたスケアクロウが地面に身を屈めた。
「お手柄だよ」
通路の床には、土汚れで押印された巨大なイヌの足跡が残されていた。
「ここから先は随分と綺麗なもんだね。この通路の先へはリュビとレトしか入ってない」
通路に残る足跡を検分したスケアクロウが断言する。リンドウは眉をひそめた。
「となると、悪鬼は荷をここに置いたまま隧道を引き返したってのか?」
「そう思うけど、理由が分からないなぁ」
「この奥に進んで大丈夫なのか? ガキを連れて帰ったら、戻ってきた悪鬼の補給部隊と鉢合わせなんてのはゴメンだぜ」
それまで黙っていたカジャクが口を開いた。
「……ワシがここに残って見張ろう。悪鬼どもが戻ってきたら、知らせれば良いんじゃな?」
そういうことになった。
*****
「凄いな。こんなに状態の良い遺跡は初めてだ」
「なあ、カジャクのやつ、どうしたんだ?」
感嘆の声をあげるスケアクロウの背後から、リンドウが小声で尋ねた。
「頭に血が上ってたのが、冷静になっちゃったんだろうね。危ない橋を渡ってるのに気づいたんだよきっと」
「ふうん」
自分から訊いたくせに、もう興味をなくしている。
「一応は戦いの経験があるみたいだけれど、あくまで本業は鍛冶師なんだ」
「もしかしたら悪鬼に個人的な恨みがあったのかもな」
「それより君だよ」
「俺?」
「こっから先は本気で危ないんだ。僕はリュビの安否を確認できるまで戻らないつもりだけど」
スケアクロウが悪鬼の住処くんだりまでノコノコやって来たのは矜持のためだ。
切った張ったをやらかしてみた挙げ句どうにも駄目だったなら諦めもつく。
初めっから子供を見捨てるなんて真似がみっともなくて出来なかったのだ。
つまらない意地を通すため危険を冒すのは馬鹿の所業だ。
馬鹿をやるのが嫌なら真っ当に働けば良い。
伊達や酔狂だけで生きる。普通の人間には真似ができない。
言ってしまえば自惚れ屋でもあるし、一種の狂人でもある。
だがリンドウはどうか。
リンドウは村の一員ですらない。薬を村に卸しているだけの言ってしまえば部外者だ。
危険を冒す理由がない。別に戦闘狂でもなければ殺人鬼でもない。
なのに、文句のひとつも言わず死地に飛び込んでいる。得体が知れない。
「いったい何なの?」
「ってもなぁ……」
この程度は大して危険でもないから、というのが真実だ。
別にリンドウが無敵の超人という意味ではない。単純に能力的な相性の問題で、悪鬼に殺される心配がほとんど無いだけだ。
大した危険もないのに知人を見捨てて、その所為で死んだのではあまりにも寝覚めが悪い。
ここから先は勝手が違うようだが、毒を食らわば皿までだ。
しかし、それをバカ正直に話すつもりはリンドウに無い。
「気にすんな、馬鹿が特等席で見物してるだけさ」
「言ってらぁ」
詮索するのもされるのも馬鹿らしくなって、二人は笑った。
大した距離を歩くこともなく、通路は吹き抜けのある大広間へ続いていた。
アーチを描く高い天井の下に柱が列をなしている。そこへ間隔を十分に開け並べられた多人数掛けの椅子。正面には二階部分へ登る階段も見える。
高級ホテルの正面玄関を思わせる作りで、あの隧道を走る乗り物の待合室ではないかとリンドウは感じていた。この奥は利用者の宿泊施設なのだろうか。
入口付近だけは、入ってきた通路と同じように照明が点いている。
こういう場合、セオリーでは先に一階を回ってみるのか、それともいきなり二階へ上がるべきなのか。
リンドウには判断がつかない。だから経験者に訊く。
「グランモルス帝国の遺跡って何処もこんな感じなのか?」
「よくぞ訊いてくれました。古代帝国の遺跡には大きく分けて二種類あるんだ」
質問に答えている間も、スケアクロウの目は抜かりなく周囲を警戒していた。
「当時の支配者階級が利用していた施設と、奴隷に使わせてた施設。ここは間違いなく前者だろうね」
「貴種と賤種ってヤツだろ」
「何だ、知ってるんじゃん……」
肩を落とすスケアクロウに、リンドウが苦笑する。
「古語を習ったとき本でな。遺跡へ入ったのは今日が初めてだよ」
リンドウが知っている知識は昔の人間が当時のことを書いたもので、現代人が遺跡をどう探索しているかは全くと言って良いほど知らなかった。
「しッ、何か来る」
スケアクロウが小声で警告する。すぐさま二人はそれぞれ別の柱の陰へ隠れた。