鬼禍 04
「待て、ワシじゃワシ」
小声で制止しつつ近寄ってきたのは、戦槌を持ち弩を背負う岩妖精の男と、短槍を持つ豹頭人の少年だった。
「カジャク、それと……えぇっと……」
「バラム」
豹頭人の少年がリンドウに白い目を向けた。
「そうそう、そんな名前だ」
少し傷付いた様子の少年狩人に、スケアクロウが声をかけた。
「森の奥へ入るのは尻の殻が取れてからだって言ったろ?」
「そんなのカジャクさんに言ってよ……」
ふてくされるバラムにカジャクが助け船を出す。
「すまんな、ワシひとりで森歩きはどうも自信がな」
「岩妖精の鈍足でよく追いつけたもんだ」
リンドウの言葉にカジャクがニヤリと笑みを浮かべた。
「オヌシら道を掃除していったじゃろ?」
掃除という言葉のチョイスにリンドウは僅か鼻白む。
鉱山を運営する岩妖精たちと奈落の住人との確執は、千年にも及ぶ根の深いものだ。互いを仇敵と定め骨肉の争いを繰り広げている。
仇敵といえば森妖精と岩妖精の仲も大概なのだが、故郷に愛想を尽かしたスケアクロウと故郷を追われたカジャク、はみ出し者がお互いに種族の俗習を無視したせいで諍いがないのだから皮肉な話だった。
「悪鬼がお望みなら、今から嫌ってほど相手して貰おうか」
あとから来た二人へ手短に状況を説明し、荒事の専門家であるスケアクロウの指示で戦闘の準備に入った。
悪鬼の群れが占拠している縦穴は、直径が八〇フィート(二五メートル弱)深さが六〇フィート(約十八メートル)といったところだ。
二〇人程度の悪鬼が散らばって周囲を警戒しているものの緊張感は薄い。
悪鬼たちの装備は棍棒や木槍が主で、飛び道具は無い。
こちらの獲物はリンドウが六尺棒、スケアクロウが合成弓・鉈・投擲用短剣、カジャクが戦槌・弩、バラムが短槍と投石器だ。
リンドウは魔法も使う。
仲間を呼ばれないために一匹も逃したくはない。
しかも、できるだけ速く倒すのが望ましい。
しかし、敵を縦穴に追い込んで転落死させるのは最小限にしたい。
もしリュビとレトが穴の底で生き埋めになっているとしたら、上から落ちてきた悪鬼がトドメになったなんて事故は目も当てられないのだから。
*****
縦穴を占拠した悪鬼の集団に一人だけ、他よりも身体が一回り大きな者がいた。
この集団の統率者であるソイツだけは、大木の張り出した根の上へ腰かけ見張りをサボっていた。
夕方近い今の時刻は、夜行性の彼らからすれば人間でいう夜明け前のようなものだ。
「ファ~」
統率者が眠気を堪えきれず大あくびをした瞬間だ。飛来した二本の矢が口腔と胴体を貫き、統率者は己の身に何が起きたかも分からず即死した。
口腔から飛び込み延髄を貫いた矢はスケアクロウによるものだ。必殺を期して、同時に放たれたカジャクの太矢も胴体を深々と貫いている。仮にどちらかが外れたとしても命はなかっただろう。
「ギャッ!ギャッ!」
指示者を失った集団が、狼狽え鳴きわめく。
悪鬼たちが混乱から立ち直るよりも早く、周囲から孤立していた一人の悪鬼めがけ、小さな人影が木陰から飛び出る。
「ウォォ――ッ!!」
叫び声をあげ突進するバラムの槍は悪鬼の腹を貫く。
致命傷を負ってうずくまる悪鬼の胴体へバラムが更に蹴りを加えた。
悪鬼は断末魔の悲鳴と共に、落ち葉を撒き散らしながら縦穴の底へ転がり落ちていった。
殺意を漲らせた二〇対近い瞳がバラムを取り囲む。
「あはは……」
バラムは乾いた笑いを洩らすと、身を翻し脱兎の如く駆け出した。
「ギィアアアァァァ――ッ!!!」
逃がしてなるものかとばかりに、怒声をあげる悪鬼たちがその後を追う。
駿足で知られる豹頭族ではあるが、それを考慮してもなお、バラムはその年齢に似つかわしくない駿足だった。
本気で走ると悪鬼たちを引き離してしまう。それでは囮の意味がない。
しかし、相手は自分を本気で殺そうとしている集団で、追いつかれれば助けが入ったとしても大怪我は避けられない。下手をすると死ぬ。逸る気持ちを抑えるのは困難を伴った。
「こんなの平気だよ」と大見得をきった過去の自分を胸中で罵倒しつつ、落ち葉を蹴散らしながらバラムはひた走る。
突然、バラムを追っていた悪鬼のうち一人が、何もない場所で転んで後続の仲間に踏み潰された。
瀕死の重傷を負って痙攣する悪鬼の足は、奇妙な方向にへし折れている。
バラムが悪鬼たちを誘導したトラップゾーンには、あらかじめ片足がすっぽりと入る程度の穴が幾つも開けてあった。穴は木の枝と落ち葉で隠され見た目には分からない。
全速力で走っているところを踏み抜くと悲惨な結果を生む。
脱落者を生みつつも追跡劇はまだ終わらない。
バラムは開けた場所に立つ枯れ木の大木に飛びつくと、見事な身のこなしで上へ上へと登っていった。
悪鬼たちが木を取り囲んだ。飛び移れる木は近くにない。
「バカー! アホー! マヌケー! 悔しかったら登って来い!」
木の上から芸の無い罵声を浴びせつつ、バラムが悪鬼めがけて投石器用の礫を手で投げた。
ここに共通語を解する悪鬼はいなかったが、言葉に込められたニュアンスは誤解もなく完全に伝わっていた。
怒り狂った悪鬼たちは次々に枯れ木へ登り始めた。
木を登る悪鬼、木を揺する悪鬼、それを周囲で囃し立てる悪鬼。
孤軍奮闘するバラムは何人かの悪鬼を蹴落とすのに成功したものの、逃げる場所がどんどんなくなって頂きに追い詰められた。
「もう限界!!」
とうとうバラムから泣きが入った。
返事の代わりに飛んできた矢が、バラムのすぐ下まで近づいていた悪鬼の頭を貫く。
怒濤の勢いで次々に矢が打ち込まれる。パニックに陥った悪鬼が何匹も木の上から落ちた。
「ギャァ――ッ!!!」
元から木の下にいた悪鬼たちもタダでは済まない。
突然、足元が抵抗を失って、底無し沼と化した地面に飲み込まれる。
悪鬼が鈴なりになった枯れ木も斜めに傾ぎながら、何匹も悪鬼たちを巻き込んでみるみる間に地面へ沈んでいった。
「ギギギギ」
「どこへ行こうと言うんじゃ?」
枝から飛びおり、底無し沼を運良く避けられた一匹の悪鬼が、頭上からの声に顔を見上げる。
彼が生涯最後に見た光景は、戦槌を振り下ろす岩妖精の姿だった。
*****
「ふおおおお」
「キモいぞオッサン」
カジャクに向けられたリンドウの視線が冷たい。
しかし、奇声を発してしまうのも仕方のないことだ。
二人は重力を無視して、落ち葉よりもゆっくりと縦穴の中を落ちていた。
宙を浮いている間ずっとあったフワフワした感触が、地面に足の着いた途端に失われる。
何とも落ち着かない気分になってカジャクは二、三歩その場で足踏みをした。
「ダメだ、少なくとも見える範囲には居ないね」
「こっちもです……」
先に自力で縦穴を降りていた二人の表情は暗い。
「ちょっと待ってくれ、俺も調べる」
リンドウは穴の中心まで歩いてゆくと、手に持った六尺棒を地面に突き刺し目を閉じた。
「三人とも、しばらく動くなよ」
「あぁ、って――!?」
「なんじゃ?」
「さあ」
スケアクロウだけは、リンドウを中心にして目に見えない何かが地中へ放たれたのを感じ取った。
自身は魔法を使うことができなくても、これまでの冒険で培った肌感覚とでも言うべきもの、スケアクロウの命をこれまで何度も救ってきたソレが反応したのだ。
「……ダメだ、生きてる人間大のものは埋まってねぇ」
「そんな」
バラムの口から絶望に満ちた声が漏れる。何もかも既に手遅れだったのか。
「生きとるとすれば……」
カジャクの言葉に、全員が同じ方を向く。縦穴の側面には洞窟の入口があった。
「早く助けなきゃ!」
「君は村に帰って状況を伝えるんだ」
「何でだよ、俺も連れてってよ!」
納得のいかないバラムを説得しようとカジャクが道理を聞かせる。
「いいか、おそらくじゃが悪鬼どもの群れはさっきので終わりではないぞ。〈まどわしの草地〉の効果も絶対ではないからな。念のため村の防備を固めねばならん」
「ボウズを危険地帯に連れてきた張本人がナニ言ってんだよ」
「止めろ! それを言われるとワシなにも言えんし……」
「俺まだ森の奥はひとりで入っちゃダメだったよね? それなら――」
「この先は逃げ場がない分もっと危険だからね」
スケアクロウが釘を刺した。確かに、これから先は危険が桁違いに増す。
地下は悪鬼のホームグラウンドであり、しかもこの洞窟は悪鬼たちの根拠地まで繋がっている可能性があるのだ。
現代で例えるなら、凄まじく治安の悪い地域を真夜中に歩くのと、ヤクザの事務所へ直に押し入るぐらいの差がある。
「リュビの生死を別にしても、コイツは危険を冒してでも調べなきゃ安心できそうもないぜ。だったら生きて帰れそうな面子で行くのが正解だろ」
「…………」
リンドウの言葉に押し黙るバラム。
その両肩にスケアクロウが手を置くと、目を逸らさずにじっと見つめた。
「さっきの早駆けなら、悪鬼なんて相手にもならないじゃないか。近くに悪鬼の巣穴が出来るかもしれない。そう村に伝えるんだ。頼まれてくれるかい?」
「…………」
悔しさを隠しきれない顔のまま、バラムは無言で頷いた。