第一章 05
僕は、思い出の場所に近づくにつれて、気分が高揚するのを感じた。
あの場所に行くのは久しぶりだ。
この体が、神斗のモノと入れ替わっているなら、この体にとっては初めて行く場所だ。
そう考えたところで、僕が秋月のことを神斗という名前で回想していることに気付いた。
春樹がそう呼ぶからというのもあるだろうが、僕は自分がその人だと扱われている秋月神斗に親しみを覚えてきているのかもしれない。
元に戻れないのは嫌だけど……、絶対に元に戻るけど、もし戻れなくても、戻れたとしても、神斗と友達になってみたいかもしれない。
そんなことを考えていたら、思い出の場所に着いた。
目の前に広がる広い空と街の風景には、それが運命だと、この綺麗な景色が告げているかのような先客が居た。
その先客に声をかける。
「景色が綺麗だね」
ここで声をかけるなら、鉄板のネタだ。
ここは本当に景色がいい。
丘のような場所にあるので、街が一望できるのだ。
「そうだね、他ならぬこの場所は」
その先客は法内美冬。
僕達が会おうとしていた美冬、本人だった。
そして、しばらくその景色を見つめてから美冬が振り返る。
「あれ? 秋月くんに春樹? 二人が一緒なんて珍しいね? 他ならぬ貴方達が」
「ああ、最近、ジンの付き合いが悪くなってな。神斗と行動しているんだ」
春樹がそう言うと、美冬は変な所を指摘した。
「神斗って呼んでるんだね? 仲が良くなったの? 私の知る限り、春樹が名前で呼ぶ男の子はジン以外なら、小学校を卒業してからは初めて……。でも、不思議。なんか、今の貴方達なら当然のような気がしてくる。ねえ、私も神斗って呼んでいい? 他ならぬ貴方を……。ジンに似た貴方を……」
「っ……」
「ジンに似ていると思うか?」
僕は美冬が気付く兆候に歓喜し、春樹が話を繋げる。
美冬は即答した。
「一瞬、ジンかと思ったもの……。まあ、声を聞いて――あれ、違うな。どのタイミングでジンとは違うと思ったんだっけ? もしかしたら、ジンだと思って振り返ったかも……おかしいね。他ならぬ私のことなのに……。自分で自分のことがわからないなんて……」
「ハハ、確かにおかしいな? お前の自慢の理解力はどうした?」
美冬は首を振りつつ言う。
「自慢になんかしてないよ。私はまだまだ未熟だよ。理解力に関しては天井が遠すぎる。理解力の天井はこの世の全てを理屈で説明できるところっていうのが私の持論だもの……。人類全体でさえ、まだ至っていない高みに私が至っているわけがないじゃない?」
「今回は他ならぬ誰々がって言わないんだね? なんで?」
僕の美冬との会話の本格的な開始の一言はそんな言葉だった。
美冬は少しきょとんとしてから、微笑みを浮かべて言った。
「フフフ、本当にジンに似ている。その好奇心旺盛なところ。これ、考えたのは私だけど気付かせてくれたのはジンなの」
「えっ!?」
意外なことに驚いたのは僕だけだった。
美冬はそれを指摘する。
「春樹もわかるでしょ?」
「ああ、あいつの好奇心旺盛さ。何にでも疑問を浮かべ、ぽんぽんと知りたいことを増やしていくあの発想力」
「誰もが当たり前に受け入れていることを知ろうとしているせいか、たまに思いもよらない面白い疑問をぶつけてくる。それに自分が知りたいと思ったことをためらいもなく聞く」
春樹の答えに美冬が続け、また春樹が続ける。
「ある意味、図々しいんだが、見方を変えれば、知ろうとすることに何の恐れも抱いていない勇気ある行動とも取れる。その辺、どう思う? 神斗?」
春樹は僕がジンとわかっていて、そう聞く。
いい機会だから、本人がどういうつもりか聞いておこうということだろう。
僕はすかさず話をそらしにかかる。
「それより、それでなんで受け売りみたいな言い方になるの?」
「それは――」
「おっと、神斗の意見を聞いてからにしよう。情報には情報の対価が必要だと思わないか? そこはジンの悪いところに似ているな」
うっ、春樹はそう思っていたか。
「はあ、友達だと思っているから、その後、何を要求されても大抵の無理には答えるつもりで聞いているんだよ。それに友達だから、貸し借りなんて硬い理屈は考えてないって悪い面もあるけど――本当に困っている時に自分が知りたいことを答えてもらっているからって何のためらいもなく助けられるでしょ? 自分の気持ち的にも……。自分の気持ちはコントロールしづらいからね。そういう時に気持ちよく助けられるように、みんながどうでもいいと思っていることで人を好きになっておくんだよ。まあ、本当に困っている時にそれを言ってもらわないと困るけど、それも言いやすくなるかなと……」
「「ふ、あははは」」
「な、何? どうしたの?」
「ほんと、ジンみたい。そんなこと、友達なら気にしないでいいのに……は違うか。厄介ごとに首を突っ込むためだったなんて……。他ならぬジンなら気にしなくていいのに……。ああ、はじめに言ったので合ってたね。ねえ、ジンもそう思ってくれていると思う?」
美冬の言葉に、春樹が僕の方を見て、答えを促す。
春樹に保証してもらいたかったが、しょうがない。
自分のことは自分で保証しよう。
僕は少し考えて、二重の意味で言葉を紡ぐ。
「ああ、僕ならそう思うよ」
「そう、よかった、他ならぬこのことは。でも、やっぱり、私もまだまだ未熟だったね。他ならぬこのことはわかってなかった。わからせてくれたお礼に神斗もそういうことを気にしなくていいよ」
美冬は二重の意味に気付いてはくれなかった。
まあ、呼び捨てにするほど、親しみをもってくれているのと、お礼を考えてくれただけでもよしとしよう。
「ますます聞いてみたいな。知ろうとすることに何の恐れも抱いていないように見えるのはなんでだと思う?」
落ち込んでいる僕の耳に、春樹のしつこい質問が聞こえてくる。
まあ、いいか、悪い事も指摘されたし、もう恥ずかしくない。
「恐れてなんかいないけど、覚悟ならあるね」
「覚悟?」
「どういうこと?」
美冬まで興味を持ち出した。
うう、今さら言うのをやめるなんてできない。
「それを知っても、自分の大切なものに悪影響を与えず、至らない点は改善しようという覚悟だよ」
「どういうことだ?」
春樹はまだ完全には分かっていないようだ。
けれど理解力のある美冬は気付いたらしく僕の代わりに説明してくれる。
「自分の無邪気な憧れや楽しい時間を憂いなく……は無理でもそれを持ったままでいるという覚悟。つまり、自分のそういうものを悪い面を知ることで、壊さないという覚悟と自分が知らないことで与えていた悪影響……というには傲慢だけど、少なくとも知ることで改善しようとできることにいい影響を与えようという覚悟かな?」
「うん、その通りだよ」
「へえ~」
春樹が感心しているような声を出す。
恥ずかしくなり先程の疑問をぶつける。
「それより受け売りみたいな言い方になる理由は?」
「ちっ、覚えてたか」
春樹が毒づく。
美冬は素直に答える。
「ジンが質問してくれることで、自分がジンの聞いてくるくだらないけど、基礎的なことを知らなかったりするとどれだけ自分が無知か、思い知らされてね? ほら、あれ。人に教えるのも自分の勉強になるってやつ。それに当たり前に受け入れていることをなんでかって聞かれてわからないと、ああ、確かになんでだろうって思って、理解力のなさを思い知らされるんだよね。だから、ジンは自信がないところがあるんだろうね? 自分がどれだけ無知で、どれだけ理解力がないか知っているから……。無知の知ってこういう意味かな? それが他ならぬ私の意見」
「そうだな。で、どうだ? 神斗もイイやつだろ?」
「そうだね。何より、初めて会った時にジンに私が言った言葉を言ってくれたからね。他ならぬあの言葉を」
「えっ!? そうだっけ?」
「だっけ?」
しまった。これじゃあ、知ってるはずみたいに思われる。
春樹がフォローと純粋な興味で聞く。
「どんな言葉だったんだ? ここで会ったことは聞いたが、それは知らないな」
「というかよくそんなの覚えてるね?」
僕の疑問にも答える形で美冬が言った。
「それは覚えてるよ。他ならぬ私だもの。『景色が綺麗だね』だよ。言ってから、読書ネタの『月が綺麗だね』みたいなのと勘違いされたらどうしようと思ったもの」
「読書ネタ?」
「たしか、I love youを『月が綺麗だね』と訳した人がいるって話だったか?」
「そうそう、念のため、そういう意味じゃないよね?」
「違うよ。それより、どんな出会いだったの?」
僕は顔を赤くして答えた。
たしかにジンとしては好きになってもおかしくない関係だったけど――あれ? 僕、なんで美冬に対して恋愛感情を持っていなかったんだ?
まあ、いいや、そのことを美冬は知らないんだから……。
念のためにと思い、聞いたのが付け加えた疑問だ。
自分の記憶と違いがないか。
「たしか、俺の家に初めて来る時に迷子になったんだよな? ジンが」
「そうだよ。特に何もないこの場所に人が居たから、景色を見に来たのかなと思って声をかけたの。それでいろいろ話して、楽しい時間だったから何をしたか、あまり覚えてないんだけどね。そこで他ならぬ楽しい時間を過ごして」
「気付いたら、『あっ、ぼく、ともだちのおうちにいくところだった』って言ったんだっけ? あの時、本当に心配したんだぞ? ジンが初めて俺の家に来る予定だったのに遅いから、迷子になったんじゃないかって」
「ハハハ、それ、多分、本当に迷子になったんだと思うよ。だって、その友達の名前を言ったから、私が『そのおうちならしってるよ』って言ったら、『じゃあ、いっしょにいこう』って私の後ろに付いて来て――」
やばい、思わぬところで明かされる黒歴史。
「た、たまたま後ろに付いて言っただけかもしれないよ」
「ないない。だって、わざわざ、少し遠回りになる道を選んだ上に一度も私の前に出なかったもの……」
「はあ~、まあ、その時から友達が一人増えたからいいけどな」
春樹に呆れられてしまった。
でも、やっぱり、美冬は覚えてないんだな。
その時、不思議な結晶を二人で見つけたこと。
それとも言わなかっただけかな?
「なあ、もう少しであの時期だから、コイツも連れてきてはダメか? なんか、コイツも同じことしたらしいんだよ」
春樹は僕をコイツと呼ぶ。
おそらく美冬が気付く可能性を信じて……。
だが、それはからぶる。
「春樹、それ、アウトぎりぎり。でも、いいよ。他ならぬ貴方なら」
「そっか、じゃあ、神斗。また今度、ココに来よう」
「うん、そうだね」
でも、僥倖だろう? 僕達はまた友達になったのだから……。