6.セカイケンの歌姫 第一章 01
「わたしはわたしの力でがんばってきたんだよ」
歌姫はある日、裁判協会を名乗る人から、光本シエルこと光本空のパーソナライズが自分の元にあったことを聞かされた。
ゆえに歌姫は思い悩んだ。
自分の努力は本当に自分のモノなのか。
そんなの当然、歌姫の努力に決まっている。
たとえ、なにがあろうともその時、その瞬間、努力をしたのはその人自身だ。
それでも、歌姫は悩んだ。
それはその人が言っていたある説が関係する。
それは、人の力をある程度移動できる異能で国が力を管理している説である。
「なら、わたしは、わたしの力や努力は国が与えただけなの?」
そうではない。
その説は国がセカイケンの話がなぜか広まりすぎ、セカイケンの宿り手が嫉妬されすぎたために流したブラフなのだ。
今はセカイケンとは想いを力に変える機構、それを広めたことが功績であり、セカイケンによって想いを引き出し、力を使えることは力を引き出せたことはその人自身の力だという説で落ち着いている。
歌姫にもそれはわかっている。
けれど、気持ちが納得できない。
なら、セカイケンは力がないのか?
それも、違う。
そこには世界が隠す真実がある。
セカイケンは想いを力に変換するゆえに、魔法のような力なのだ。
ゆえにとんでもなく危険な可能性を秘めている。
悪い想いで使えば、その想いが何を引き起こすか未知数。
そして、そのセカイケンは病的でないゆえに世界渡りの元を離れても力を発揮できるセカイケンだから、想いを見せたモノに道を示すセカイケンだ。
ゆえに、そのセカイケンはその世界の想像主との交渉のようなモノだ。
ゆえに、想いを見せられた想像主がその想いを見て、どういう道を示すか?
悪い想いを見せられれば当然、悪役に当てられるだろう。
そうなれば、悪役は主人公にやられる展開が定番だ。
つまり、最後に待っているのは破滅。
要は、見せる想いによっては、どんなによい道に見えても、その時はどんなに成功しそうな道に見えても、世界の盛り上げ役にされ、最後には主人公に倒される運命になるかもしれないのだ。
だからこそ、セカイケンに見せる想いはきれいなモノでなくてはいけない。
そうでないと逆効果なのだ。
そういった意味で歌姫はよい想いだけを十年も見せ続けた歌姫は間違いなく、きれいな想いの持ち主で、最高の主人公なのだ。




