第8話 <天使攫い> (1)
激しい音を立てながら奴隷市場が燃えていく。粗末な木の小屋が連なって形作られた奴隷市場は少しの火でよく燃えた。市場の小屋は、そもそも人の命を守るためではなく、ただ商品を管理するための倉庫でしかなかったのだ。
激しく蠢く赤い舌に呑まれていく奴隷市場を目の前にしながら、アルシェスはその場に頽れた。
「リアムはあの中に……」
アルシェスの探し人、従僕のリアムは商人グラベルの一行に連れ去られ、この奴隷市場に売られた。リアムと別れて以降、常に張られていたアルシェスの緊張の糸は最悪の方法で切られた。目の前の燃え盛る火焔の中で、生き残れる者がいるとは到底思えない。リアムは死んでしまったのだ。僕が、殺してしまったのだ……。
悲しみと後悔に呆然とするアルシェスだったが、周囲はそんなことに構うことはなく、市民と警備隊による必死の消火活動が行われていた。ナインライムもその中に加わり、額に汗を流しながら水を運んでいた。
事態が沈静化し、力なく蹲るアルシェスをナインライムが引き摺るようにして宿へと戻ったのは空が白み始めた頃だった。
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その人物がアルシェスとナインライムの宿の部屋を訪れたのは昼も三刻ほどを過ぎた頃だった。疲れ果てて眠りこけていたアルシェス、そのアルシェスの世話に疲れの色を見せたナインライムが武器の手入れを始めていた。唐突に鳴った扉を叩く音にナインライムが誰何の声をあげる。
「……どちら様?」
「……シトゥルザーク家の者がここに宿泊していると聞いた。用がある。」
ノックの音にアルシェスが目を覚ました。ナインライムと目を合わせるとアルシェスは静かに頷いた。ナインライムは昨日の商人が報復のために刺客を送り込んだとも考えたが、いくら宿の中とはいえ白昼堂々と大貴族の子息を殺しに来たとは考えにくかった。いくらか考えたのち、ナインライムは扉の向こうの来訪者に入室の許可を出す。
「……扉は開いてるわ」
「では、失礼する」
静かに開けられた扉の向こうには、フードを目深に被った背の高い男が立っていた。内側に羽毛が縫い付けられた黒い外套は全身を覆っていて、その下は見えない。どうやら剣は佩いていないようだが、短剣の類をどこかに隠しているかもしれない。ナインライムは緊張していた。
開いた扉を自らの手で閉めると、男はフードを捲りその顔を露わにした。白とも銀ともつかない色の髪に日焼けした浅黒い肌、猛禽を思わせる緑の鋭い瞳。脂が少なく骨ばったその顔は精悍で、獲物を狙う獣を思い起こさせる。そして何よりも目を惹くのは額を横切るように大きくつけられた刃傷の痕であった。
部屋を訪れた男が只者ではないと感じたナインライムは、無意識のうちに腰に縫い付けられた短刀に手をかけていた。
だが、一文字の傷の男は警戒するナインライムを片手を上げて制止すると口を開いた。
「安心しろ……敵じゃァない。」
「……根拠が無いうちは信じられないわ」
「なら、そのままでいい。……アルシェスというのはそっちの小僧だな」
名前を呼ばれたアルシェスは弱々しく男を睨み返す。
「……そうだ」
「そうか。それなら伝えることがある。」
「その前に名前を聞かせてもらえるか」
「これは失礼。俺の名前はアストルフォ」
ナインライムの眉がピクリと動いた。その名前には聞き覚えがある、という顔だ。
「……アンタ、もしかして<天使攫い>のアストルフォなの」
「……よく知っているな。そういうお前は冒険者のようだが、名前は?」
「ナインライム。<虚木>のナインライム」
「<虚木>?お前が?……<虚木>は男だと聞いていたが」
「アンタも結構物知りみたいね。……それは私の父よ」
「お前が名前を継いだということか……まあいい、ここで長話をするつもりはない。」
一文字の傷の男はナインライムとの会話を切り上げるとアルシェスに向き直る。
「お前の従僕……リアムと言ったか、アイツは生きている」
「なんだって!?」
アストルフォの口から出た言葉は予想しなかった言葉だった。リアムが生きている?奴隷市場のあの火事で死んではおらず、今も生きている?あまりに出来過ぎた話ではないだろうか。
甘い話に乗り騙された記憶はまだ新鮮な状態で残っている。うかつに信じるわけにはいかない。アルシェスは呼吸を整えて落ち着きを取り戻すと、アストルフォに問いかけた。
「……なぜリアムが生きていると分かる?」
「俺が保護したからだ。一緒に来い、会わせてやる」
この男がリアムを助けた?一体何のために……?だがこの男の思惑がなんであるにせよ、リアムが生きているというのならそれを確かめないわけにはいかない。アルシェスはナインライムと目を合わせると力強く頷いた。ナインライムの方は相変わらず緊張した面持ちだったが、小さくため息をつくと同じように頷いた。
「話は決まったようだな。街外れに朽ちた教会がある、その地下だ。行くぞ」
「私も行くわよ?」
「……好きにしろ」
アストルフォが扉を開け、部屋を出る。アルシェスとナインライムはそれぞれ自分の武器を掴むと急ぎ足で男の後を追った。
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アストルフォと奴隷の因縁は深い。
レントハイムにはベルナル王国内でも有数の奴隷市場がある。この場所は市場とは呼ばれているが、構造は小さな町の様だった。粗末な小屋が立ち並び、その貧相な作りに似合わず扉は金属製の錠前で厳重に施錠されている。扉の横には格子状の窓があり、そこから室内を窺えば鎖に繋がれ自由を奪われた“商品”の姿を確認することができた。
それぞれの小屋――奴隷小屋と呼ぶが――その一つ一つを様々な奴隷商人が管理しており、小屋ごと或いは商人ごとに特色があった。見目麗しい少年や少女だけを集めた小屋、妙齢の女性だけを集めた小屋、健康な体を持つ若い男性だけを集めた小屋、障害を持って生まれた奇形だけを集めた小屋……気に入った奴隷がいれば、小屋の前に掲げられた札の文字列と奴隷の腕に押された焼き印の数字を併せて市場の入り口にいる奴隷番に伝えれば良い。
奴隷を購入する者は様々だが、ベルナル王国内で奴隷を購入できる者は一定以上の地位の者に限られている。それは単純に奴隷を死なせずに養うだけの金銭的収入があることが証明できるか否かという判断基準だったが、奴隷を買う動機はそれこそ様々であった。主に小間使いとして購入していく者が多いが、その実、己の歪んだ欲を満たすための道具として購入する者も少なくなかった。特に貴族が購入する少年や少女は必ずその欲望の餌食となると言っても間違いではない。そしてレントハイムのような大きな街の外れでは時折、元奴隷と思われる少年少女の遺体が見つかるのだ……。
アストルフォはかつて盗賊だった。騙し、盗み、殺し……なんでもやった。明日を生きるために他人を蹴落とすことが当然であった貧民の間に生まれた彼には親はいなかった。彼は気付けば年端もいかぬ、自分と大して変わらぬ歳の少年少女たちとともに暮らしていた。親のいない者同士で肩を寄せ合って助け合いながら暮らしていたが、暮らしぶりは良くなることはなく病に倒れる者、飢えて死ぬ者、突然姿を消す者……一人また一人といなくなっては、その代わりに一人また一人と新しい子供が仲間に加わった。
転機は十四歳の頃に訪れた。アストルフォが街の酒場で暴れていた盗賊に喧嘩を売ったところ、その胆力と腕力を首領に買われて盗賊団の構成員となった。誰かの下に付くことなど生意気盛りの彼には到底認められることではなかったが、無謀にも荒くれ者の大人数名を一度に相手にした彼は大けがを負い三日三晩寝込むことになったため、盗賊の提案に対して首を縦に振る以外にはなかったのだ。アストルフォという名前は入団に際して今までの名前を使うわけにはいかないからと、首領に付けられたものだ。
そして、その盗賊団の主な収入は“奴隷狩り”だった。盗賊団に入ったその時から“奴隷狩り”がアストルフォの仕事となった。
その後、盗賊として一人前となったアストルフォは別の名前で呼ばれることになる。<天使攫い>―――これは彼が奴隷狩りを行う際、主に聖導教会の孤児院を標的としていたことに起因する。子供を攫う悪魔、ということだ。
自らと同じ孤児たちを攫って奴隷商人に売る。その行為に躊躇いなど微塵もなかった。『お前らは運が悪かったんだ』『聖導教の神様はいざというときに守ってなんかくれない』『自分で戦わなきゃ明日なんか来るはずがない』。アストルフォは泣きわめく子供を奴隷商人に引き渡すたびに、そんなことを心の中で考えていた。自分は彼らとは違う。自分の力で生き抜くのだ、たとえ人を殺してでも。
ベルナル王国内に<天使攫い>の名前が知られるようになって、十年ほどの月日が流れた。この頃には盗賊団の中でも古株で有力な存在となっていたアストルフォはいつものように人里離れた地の孤児院に狙いを定めると、数名の部下を引き連れて夜襲を仕掛けた。何ら苦労することもなく襲撃は成功し、数名の子供と修道女の一人を“収穫”した。抵抗した何人かの神父たちは皆、愛する神のもとで幸せにやっていることだろう。
だがいつもと違ったのは戦利品を一団の隠れ家に運ぶ途中、夜営でのことだった。施錠した鉄製の檻に入れられた奴隷の子供は最初こそ泣き喚いていたものの、一人の修道女の存在で随分とおとなしくなっていた。奴隷の“収穫”は部下に任せ、邪魔な神父を始末していたアストルフォは一度その女の顔を拝んでおこうと、目隠しとして檻に掛けられたぼろ布をめくった。これまで一度としてそんなことをしたことはなかったが、五月蠅い子供の泣き声を黙らせた人物がどのような顔をしているのか妙に気になったのだった。
その布をめくらなければ、とアストルフォはその後何度も思い返すことになる。布の向こうにいたのはまだ年若い修道女だった。彼女の膝の上では子供たちが静かな寝息を立てている。
アストルフォは顔をしっかり見てやろうと手にした角灯を顔の高さで掲げた。突然の明かりに目を瞑ることもなく、修道女はアストルフォの方をしっかりと見ている。角灯に照らされた彼女の顔、雪の様に白い肌と肩まで伸びた真黒の髪は丁寧に切り揃えられ、お互いにその美しさを引き立てている。頬に差した仄かな紅は少女のあどけなさを感じられるが、しっかりと開かれた大きな瞳は穏やかながらも心に秘めた芯の強さを感じる女性の目であった。上玉だ、と普段のアストルフォであればすぐに売値を計算し始めただろう。だが、それはできなかった。
顔を見合わせた二人だったが、先に驚きの声を上げたのは修道女の方だった。
「……レミル……レミルなの?」
レミル、それはあの貧民街で暮らしていた頃にアストルフォが名乗っていた名前だった。そしてその名前は、目の前の修道女が付けた名だった。
「……アネラ、なのか……?」
アネラもかつて貧民街で暮らしていた子供の一人だった。荒んだ場所に暮らしながら、優しく穏やかな心を持った少女だった。子供たちが喧嘩をすればそれを仲裁し、盗みを働けばそれを諌める、そこで暮らす子供たち皆の母親の様な存在だった。子供たちにそれぞれ名前を付け、お互いを労わりあうようにと彼女は働きかけた。その結果、親を知らない子供たちは、アネラを中心として家族となった。……彼女がいたあの時期の生活は悪くはなかった、とアストルフォは思い出す。
だが、ある日彼女は忽然と姿を消した。
「レミル……」
「……俺の名前はアストルフォだ。レミルなんて奴は知らん」
アネラはその言葉に悲しそうな表情を見せた。しかし、それ以上何かを口にはせず、代わりに両手を合わせ祈りの姿勢を取った。その瞬間、アストルフォは彼女にすがりたいという奇妙な感覚を味わった。胸にせり上がる経験したことのない異様な感情を、眼から涙が静かに零れるのを、アストルフォはどうすることも出来なかった。
気づけばアストルフォは檻の中に手を伸ばし、アネラのその美しい顔に触れようとしていた。だが、祈りを捧げる彼女はあまりに触れ得ざる存在であるかのように美しかったので、触るのが躊躇われたのだった。両の手では数えきれないほどの人を殺してきた、アストルフォの手では……。
するとアネラは祈りをやめ、ゆっくりと目を開くとアストルフォに向かって微笑んだ。その笑みは十数年前と何ら変わることのない優しいものだった。そしてアストルフォの手を取ると、それを自らの頬へと添わせた。
「レミル……あなたは変わらないわね。温かくて、優しい手」
アストルフォは咄嗟にその手を引いた。そんなはずはない、自分の手はもうとっくの昔に人の血で汚れきっている。
「……俺は、もう違う。今の俺はただの盗賊、人殺しだ。この十数年で数えきれない程の人の命を奪った。子供だろうが女だろうがお構いなく、だ。だから俺はもうお前の知っている俺ではない。今の俺は<天使攫い>のアストルフォだ」
「いいえ、あなた自身は変わったと思っているけど、昔と何も変わっていないわ。その髪、その眼、全部昔のまま……だけど、私はあなたにそんな悲しそうな眼をしてほしくないわ」
そう言うとアネラの頬に一筋の涙が流れた。……そうだ、アネラは昔から人のために泣くヤツだった。自分のことは二の次三の次で、他人の世話を焼いては自分のことように喜んだり泣いたりするヤツだった。気付けば、アストルフォはアネラの涙をその手で拭っていた。自分の両眼から溢れる涙はやけに熱かった。
そこからのアストルフォの行動は、その後の彼を大いに過酷な運命へと引きずり込むこととなる。
彼は眠っていた自分の部下の全員を殺すと、“商品”とともに夜の闇の中に姿を消したのだった。
2016.2.10 誤字脱字の修正、一部内容を修正しました。




