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楔の勇者  作者: あくだま
第一章
4/13

呪い師の影

 パーティの翌朝、空はうすぼんやりとしていた。

 薄い雲が全体を覆っていて、冬の寒さの中に得体のしれない生暖かさがあった。

 昨日とはうってかわって、気分が沈むような天気だ。


 食堂で朝食を摂り始めたのは、日が正午を示す頃だった。

 昨晩には人で溢れかえっていたこの場所も、今は自分と執事、従僕の3人しかいない。


 ―――食欲がない。


 パンは手つかずの状態で置かれたままだ。

 せめてスープだけでも口に入れようと運ぶスプーンは重たい。

 スープを掬うスプーンと皿が擦れる音もやけに耳障りに感じる。


「アルシェス(ぼっ)ちゃま、お加減が優れないようであれば薬をお持ちいたしますが。」

「大丈夫、ユージェルム。少し疲れてるだけだから。」


 傍に控えた白髪の執事の表情はいつもと変わらないように見えたが、口数がいつもより少ない。

 一番若年である従僕のリアム少年も、この食堂の重苦しい空気に耐えかねるのか俯き気味で立っている。

 

 ここにいる皆が、胸の内に言い様のない不安を抱えていた。


「…ふぅ。」


 なかなか喉を通らないスープをようやく飲み込んだとき、昨日と同じように馬の蹄の音が聞こえた。

 今朝はさほど速度は上げていないようだが、共に車輪の音が聞こえる。


 食堂の窓からその様子を窺った。 


 先頭の馬には総髪の老人が跨っており、その馬には荷車が引かれている。

 ガラゴロと車輪の重たい音を響かせながら、昨日と同じように馬は屋敷の門前で停まった。

 先頭に少し遅れて2人の青年が、黒い馬で追いついてきた。


「あれは…」


 馬上の人物を確認したユージェルムが指示するよりも先に、リアムは一礼して食堂を出て行った。




 訪問者は老騎士ミュゼランであった。



 ***



「ベルナリアを発たれましたら、西か南に向かうのがよろしいかと思います。」


 ミュゼランは客間のテーブルの上に地図を広げながら説明を始めた。

 今日のミュゼランは甲冑ではなく、平服姿で訪れている。

 老齢であるはずのその肉体は若々しく、今なお前線で働く戦士の体つきをしていた。


 ミュゼランは古い斬り傷が無数につけられた手で地図上を指し示していく。


「バージェス殿が姿を消したのは王都の北東ダライラークの先、聖地ル・カンです。これより北に、山を越えて進みますと海に着きますが、この道を行ったとは考えにくいでしょう。」

「海に出て船に乗ったという可能性はないでしょうか。」

「この時期、北の海は氷で覆われており船を出せる状態ではございません。」

「…なるほど。」


 ミュゼランはわかりやすいように地図に印をつけていった。

 地図にはベルナル王国だけではなく、この大陸全域が描かれている。


 改めてその広大さを感じながら、昔家庭教師のマティスに教わった大陸の地理関係を思い出す。

 大陸にある主な国家はランデルゴート王国、デルマイユ公国、そして我がベルナル王国の3つ。

 他には聖地ル・カン一帯に“十三氏族”と呼ばれる少数部族による小さい共同体が点在している。


 ベルナル王国は大陸の中央から北東部にかけて位置しており、

 西方をランデルゴート王国。

 南方をデルマイユ公国。

 北方をル・カンにと、三方を敵に囲まれている。



 西のランデルゴート王国との国境には2つの領地、クロムナートとロンデナートが守りの要として鎮座している。


 クロムナートはベル姉の実家、つまりエンヴィリオン家の領地であり、現当主である黒虎騎士団団長ガラテア・エンヴィリオン卿によって治められている。

 国境には巨大な渓谷が横たわり、天然の要塞となってはいるが、決して肥沃とは言えない過酷な土地であると聞く。

 領民の多くは戦士であり、また国内外でも腕に自信のある者が集まる闘技大会が開かれる場所としても有名である。

(余談だけど、初めてこの話を聞いたときはベル姉の男勝りな激しい性格について合点がいくな、と思った。)


 もう一方のロンデナートは現在、統治する者がおらず、国王の直轄領となっている。

 というのも、十数年前に突如としてル・カン十三氏族の大軍に襲われ壊滅したのだ。

 当時、ロンデナートを統治していたブリックハイム家は武功で知られた新興の貴族だったが、一族の者は無残にも皆、殺されてしまったらしい。

 さらに、この地を襲ったル・カンの軍勢は卑怯にも毒を大地に撒き、今なお作物の実らない“死の土地”となっている。


 ランデルゴートとは30年ほど前にロンデナートを舞台に、死者数万の規模で大戦が行われたが、その後の協定で休戦状態となっている。



 南方、デルマイユ公国との国境には<守護山脈ガーディアンズ・マウンテン>と呼ばれる険しい山々が連なっており、こちらも天然の防護壁となっているため、国境付近での争いはほとんど起きていない。

 そもそもデルマイユは戦争を好まない風潮があり、過去に起こったランデルゴートとベルナルの戦争においても中立を守っていた。

 デルマイユは武力ではなく、主に学芸と商業により発展しているのだ。

 

 それでも国土を守り得ているのは、国民皆兵の義務がある国家であり、農民が学徒であり商人であり、また戦士でもあるという特異な文化のためであろう。

 いくらベルナルの兵が一騎当千であろうと、デルマイユ百万の民を相手にはうかつに手を出せないというところだ。



 西方、南方ともに、少なくとも現在のところは、戦争の気配はない。



 だが北方ル・カンとの国境、ミュゼランの守るダライラークでは十三氏族の率いる集団との小競り合いが続いている。

 十三氏族はその名の通り、十三の酋長一族のもとで形成する独自の共同体群を指す。

 共同体同士の結びつきは弱く、十三氏族を総べる王も存在しない。

 かつては大陸全土を支配する勢力だったという話、またベルナル王国の開祖ベルナリオンもル・カン氏族の出身であるという話があるが、現在は北方の狭い地域に暮らすのみとなっている。

 

 過去より領地を巡って度々衝突しているが、その度にベルナル王国はル・カン十三氏族を退けている。

 しかし、あまり友好的な関係ではないとはいえ十数年前のロンデナートの悲劇以降は大きな衝突はない。


 

「バージェス殿が向かったとすれば、西方のランデルゴート王国か、南方のデルマイユ公国でしょう。」

「ル・カンに留まっている、もしくはベルナル国内に潜伏しているという線は?」

「その可能性も、低いでしょう。聖地に奉納されていた聖剣はル・カンの民にとっても重要な宝であったこともありますし、ベルナル国内は監視の目が厳しく“国賊”が潜伏するには…失礼いたしました。」


 ミュゼランが言葉を切って謝罪する。

 恩あるシトゥルザーク家の長男を国賊、と呼んだことを気にしたのだろう。


「…構いません。続けてください。」

「…はい。」


 仕方がない。

 どの様な事情があるにせよ、兄がやった事は国王に弓引く反逆だ。

 

「聖剣を奪ったバージェス殿には、何かしらの目的があると思われます。聖地へ発たれる前、ダライラークにお寄りの際に話したことを思い返せば、失礼ながら虚言に踊らされているようでもありました。」

「兄上がダライラークに?」

「左様でございます。ベルナルからル・カンへはダライラークの砦を通る以外に道はありません。」

「それで、虚言とは一体どのような内容だったのです?」

「はい。白獅子騎士団はル・カンへ赴く際、ル・カンの呪い師を連れていました。これは仕来り故のことであり、普通のことです。ですが壮行の宴の折、バージェス殿はその呪い師と何やら話し込んでいるご様子でした。」


 ル・カンの呪い師。

 ル・カンには水や火などに対する土着の信仰が残っており、それぞれの部族に呪い師がいるという。

 呪い師は宣託によって得た神の言葉を民に伝えるとされており、酋長すらそれに従うという。

 まさか、兄はその呪い師の神の言葉とやらに誑かされ、今回の事件を起こしたというのか…。


「そのル・カンの呪い師はどうなりましたか?」

「残念ながら、聖地での混乱の際に霞のように何処かへ…。」

「そうですか…。」

「現在、ダライラークの兵がその行方を追っております。」


 その呪い師に話を聞くことが出来れば兄の足取りが分かるかと思ったが、当然ながらそう簡単にはいかないようだ。


「して、虚言のことですが、バージェス殿はダライラークを発つ際にこう仰っていました。『この世界が忘れていたものを迎える準備をする』と。」

「…『この世界が忘れていたもの』?どういう意味でしょう?」


 なんとも不可解な言葉だ。

 世界が忘れていたもの、とは。

 いかにも神の言葉らしい、不明瞭な表現だ。


「それが、我々にも分かりかねるのです。国内の学者にも確認をしていますが、その言葉の意味はル・カンの呪い師とバージェス殿のみが知るところ…ということでしょう。」

「ともあれ、兄はその呪い師にそそのかされたと見て間違いなさそうですね。」

「私も同じ考えでございます。ダライラークでお会いしたバージェス殿は、その虚言のことを抜きにすれば、シトゥルザーク家の名に恥じぬ立派なお方であると感じました。大方、呪い師めがいかがわしい薬でも用いて誑かしたに違いありません。」

「…ありがとうございます。ミュゼラン殿。」


 そうだ。

 兄はル・カンのいかがわしい呪い師にそそのかされたのだ。

 そうでなければ、兄が国に背くようなことがあるはずがない。


 腑に落ちる答えが得られたためか、もやもやとした胸の不安が消えていくようだった。

 兄を見つけ、呪い師の妄言を忘れさせる。

 白獅子騎士団副団長の地位に復帰することは適わないだろうが、死罪は免れるだろう。

 シトゥルザーク家も格下げにはなるだろうが、存続できるはずだ。

 あとは自分がその献身を以て、名誉を回復するほかない。


 兄が見つかったわけではないが、見つかった後の展望に少し光明が見えた。



 ***



「ありがとうございます、ミュゼラン殿。本当に助かりました。」

「いえ、お父上に受けた御恩を少しでもお返しできればと思った次第です。礼には及びません。」


 帰り支度を整えた馬上のミュゼランに感謝の言葉を述べるとともに一礼する。

 

「私も同行できればよかったのですが、例の呪い師の一件もあり、一刻も早くダライラークに戻らなければならない故…。」

「大丈夫、リアムとともに行けば何とかなります。まずは東のレントハイムへ向かえばよいのですね?」

「左様でございます。まずは“王の道”ミナリアス街道からレントハイムまでお進みください。その後は南、デルマイユへと続くティルナク街道を往き、<守護山脈ガーディアンズ・マウンテン>の麓の今も使われる巡礼洞窟を抜ければ、デルマイユ国内に入れます。」


 地図を見ながらの会議で兄はおそらく中立国であるデルマイユに向かうであろうとの結論となった。

 西のランデルゴートは休戦中であるとはいえ、国内に立ち入ることが危険であること。

 また、デルマイユが民の自由を謳う国であり、商売に伴う人々の往来が盛んなことから身を隠すには好都合であろうことが決め手となった。


「当然、デルマイユにいないとすればランデルゴートとなりますが、先ずはデルマイユで捜索するべきかと思います。」


 ミュゼランの提案に従って、明後日にはデルマイユに向かって出発することになる。

 家のことは執事のユージェルムに任せ、リアムを伴って旅立つのだ。


「しかし、旅に必要な物を何から何まで用意していただき、何とお礼を申し上げるべきか…。」

「はっはっは!失礼ながら、アルシェス殿は王都ベルナリアを出たことがほとんど無いと伺っておりましたので旅に不慣れかと思いまして、老婆心ながらご用意させていただきました。なに、ヴォドー様から受けた御恩に比べればこの程度のことなど。」


 馬上の老騎士は陽気に笑ってみせた。

 ミュゼランの引いてきた荷車には、旅に必要な糧食や様々な道具が積まれていたのだ。

 この実直な老騎士が昨晩のパーティに姿を見せなかったのは、大急ぎで支度を整えていたからだという。


「…アルシェス殿が必ずや、兄上殿を捜し出さんことを。」

「…はい、シトゥルザークの名誉にかけても、必ず。」

「お話し中に申し訳ありません、ミュゼラン様、そろそろ往かねばなりません。」


 荷物運びとしてミュゼランが伴った青年が声を割って入った。

 聞けば、彼もダライラークの兵士で、兄に会ったという。

 戯れとして剣術の試合をしたそうだが、兄ほどの剣士は見たことがないと言っていた。

 また、あのような立派な方が謀反を起こすとは考えられない、とも。

 

 青年に促されたミュゼランは短く頷くと二言三言、指示を出した。

 青年は指示を聞くと、略式の敬礼をし、もう一人とともに馬に乗って走り去っていく。

 彼らもまた、最前線の兵士らしく凛々しい後姿であった。


「アルシェス殿、最後に一つ。バージェス殿がダライラークを発たれる前にもう一つ仰っていたことがございます。」

「兄は何と?」

「『弟を、アルシェス・シトゥルザークを頼む。弟は、これからの世界に重要な“(くさび)”となる。』」

「兄がそんなことを…。しかし、楔とは一体?」

「申し訳ございません。先の言葉同様、真意は分かりかねます。しかし、この言葉が呪い師の戯言などではなく、バージェス殿の本心から出たアルシェス殿を想う言葉であると、私は信じております。」

「…そうですね。兄がまだ幻惑に呑まれていないことを、私も願っています。」

「…それでは、アルシェス殿の旅が(つつが)ないことを!」


 最後に老騎士ミュゼランは馬上で深く一礼すると、短い掛け声とともに走り去っていった。


 

 


 辺境の老騎士の、その逞しい背中を見送りながら、兄の言葉の中の“楔”という一語が頭から離れないでいた。

誤字/脱字を修正しました。 2016.1.25 23:40

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