第11話 <天使攫い> (4)
アストルフォは対峙するジャーメイル目がけて渾身の力で突進した。さながら狼の様に低く保った姿勢から、間合いに入ったところで一気に跳躍し剣を横に一閃。ジャーメイルは余裕の表情でこれを捌くと、すれ違いざまにアストルフォの横腹を蹴り上げる。
アストルフォはこれを読んでいた。
アストルフォはジャーメイルの蹴りを敢えて受け、蹴り上げられた足に添うように体を回転させると、今度はジャーメイルの懐に潜り込み右肘をその腹に打ち込む。そして即座に長剣の柄で顎を打ち上げた。さらなる追撃。後方にのけぞり体勢を崩したジャーメイルに長剣を振り下ろす。頭部を狙った高速の斬撃。
しかし、この一撃をジャーメイルは大剣で弾き返した。アストルフォはすぐさま後方に飛び退り、距離を取る。
「カカッ!まぁまぁの攻撃だな。少しは勘が戻ってきたか?」
唇の端に滲んだ血をぐいっと拭うと、ジャーメイルは不敵な笑みを浮かべる。アストルフォは無言で目の前にいる人の皮を被った獣を睨みつける。
ジャーメイルの得物は大剣。鉄の鎧を押し斬れるように分厚く作られたその剣は膂力に優れたジャーメイルに適している。対してアストルフォの持つ長剣は大剣と比べて細身に作られており、敵の斬撃をいなし鎧の隙間を狙うようなアストルフォの戦法に適していた。
だが、ジャーメイルの恐ろしいのは常人であれば両手で持つべき大剣を片手で軽々と扱えるその膂力にある。加えて、攻撃に対して反応する速度が並はずれており、生半可な攻撃では簡単に捌かれてしまう。
アストルフォの額に汗が滲む。間合いを読みながら、次に打つべき一手を考える。だが、目の前の男は今まで斬ってきた者とは比較にならないほど強大だ。どうする。どう攻めれば、こいつを倒せる……。
「ガラにもなく考え込んでんのか、アストルフォ。言ったろ剣は頭じゃねェ、感性がすべてなんだよ」
ジャーメイルは自らの頭を指で叩きながらカカッ、と短く笑う。
「早くかかってこい、アストルフォ。もうちったァ遊んでやるからよ」
「……ほざくな」
アストルフォは挑発に乗るまいと前のめりになる体を必死で抑え込む。剣の打ち合いになれば重さで負ける。相手が攻めてくるのを待つか……?だが、最悪なことに奴の攻撃を捌く自信はない。
「だァから……考えんなって言ってんだよッ!」
しびれを切らしたジャーメイルが一気に間合いを詰めて斬撃を仕掛ける。思考に捕らわれ反応が遅れたアストルフォは咄嗟に長剣でこれを弾く。間髪入れずに二撃目。態勢を崩しながらもこれも弾く。止まることなく三撃目……。
一合、二合と剣を合わせる度に火花が飛び散る。ジャーメイルの重たく素早い攻撃に、アストルフォは弾いていなす以外に成す術がなかった。
「くっ……!」
なんとか距離を取って体勢を整えるが、その時には体には無数の切り傷が刻まれていた。躱しきれなかった。だが、どれも致命的な傷ではない。ジャーメイルは遊んでいるのだ。どの傷も、的確に急所を狙ってつけられている。
だがアストルフォはジャーメイルとの力の差に愕然としながらも、なおこれに立ち向かう姿勢を崩しはしない。俺には守るべき人たちがいるのだ、その一心が彼を突き動かしていた。
「……飽きてきたし、そろそろ終わるか」
そう言ったジャーメイルは大剣を構えると、強く大地を蹴って間合いを詰める。今まで以上の速度で漸近するジャーメイルに、アストルフォはまたしても反応が遅れる。ジャーメイルは突進しながら大剣を大きく振りかぶるとアストルフォ目がけて振り下ろした。アストルフォは咄嗟にこれを長剣で防ぐが、防ぎきれない。
アストルフォの長剣はジャーメイルの斬撃に耐えきれず、刃の半ばで折れた。だが、斬撃は止まることなくアストルフォの右肩に食い込む。びしりと骨の砕ける音が肉を伝ってアストルフォの頭に響いた。
「うがッ……!!」
アストルフォは激しい痛みに呻いた。ジャーメイルはニヤリと嗤い大剣をアストルフォの肩から抜くと、今度は長髭の男につけられた左肩の傷を剣の腹で思いきり殴りつけた。興奮するあまり忘れていた痛みが新鮮な熱を持ってアストルフォに襲いかかる。アストルフォは立っていられずに、その場に倒れこんだ。
「……てめェは真面目すぎんだよ」
ジャーメイルは地面にうつ伏せに倒れこんだアストルフォの腹に容赦ない蹴りを加える。その衝撃でアストルフォの体は仰向けに転がり、口から赤い粘ついた液体が零れる。天を仰ぐ形となったアストルフォの視界はもはやぼやけて星も見えない。
「おいおい、俺が話してんだから寝るんじゃねェよ。」
ジャーメイルはアストルフォの上に立つとつまらなそうな顔で剣を頭に向けた。そしてアストルフォの額に刃を当てると、ゆっくりとゆっくりと横一文字に滑らせる。刃の切っ先を当てられた額の皮膚が裂け、鮮血が溢れだし鋭く激しい痛みがアストルフォのぼんやりとした意識を覚醒させる。
だが、アストルフォの身体はもはや動かず、苦痛の声を上げることしかできなかった。
「うぐあァ……」
ジャーメイルはなおつまらなそうにアストルフォを見下ろしていた。そしてふいに興味を失くしたかのように、今度はアネラたちがいる方向へと歩き出す。ダメだ、アネラは……アネラ……。
アストルフォは動かない体を無理やり転がし、うつ伏せの状態へ戻る。そして這うようにしてジャーメイルへ追いすがろうとする。だがその動きは緩慢で、追いつこうにも追いつけるはずもない。
「なぁ、アストルフォ。二週間ほど前だったか、サイラスがお前をレントハイムで見かけたと情報を寄越したんだ。」
ジャーメイルはアストルフォに目も向けずに話し始めた。二週間前……孤児の受け入れのために初めてレントハイムへ行ったときか。
「お前が教会に出入りしてたことにも驚いたが、どうやら小さい集落の教会に落ち着いてるって言うじゃねェか。」
ジャーメイルが淡々と語る間にもアストルフォは渾身の力で前進する。額から流れた血が目に入り、視界が赤に染まる。それでもアストルフォは前進する。
「教会……しかも孤児たちと一緒にいる。今までさんざカミサマに喧嘩売ってきた<天使攫い>のお前がだぜ?こんな滑稽な話はねェだろ!」
ジャーメイルはカッカッカッ、と肩を揺すりながら笑った。
「俺はお前に結構期待してたんだけどよ……まァ最期にこんな面白いことやってくれたんなら、ある意味期待通りか。カカッ!」
ここでジャーメイルは肩越しにアストルフォに目を向ける。
「でもよォ、俺は悲しかったんだぜ?手塩にかけて色々仕込んだお前が、俺を裏切って……」
ジャーメイルは肩に担ぎ上げていた剣を握りなおす。
その足元には手足を縛られたアネラ。
彼女はこの状況でなお、子供たちを守るようにジャーメイルを睨みつける……
ダメだ、やめろ……
「……だから、お前はもうちっと苦しめ」
「やめろおぉぉぉ……!」
ジャーメイルの大剣はそれが当然であるかのように、するりとアネラの胸に吸い込まれていった。
アネラの胸元が見る見るうちに赤く、紅く染まっていく。
恐怖に怯えながら状況を見守っていた孤児たちが一斉に悲鳴を上げる。
「あぁ……よく見りゃかなりの上玉だったじゃねェか。こりゃ損しちまったかな」
「……あがッ……かはッ!!」
胸を貫かれたアネラは鮮血を吐きながらなおジャーメイルを睨みつける。
「カカッ!しかも強気な女か。嫌いじゃねェが、ま、もう遅いわな。」
そういうとジャーメイルはアネラの胸から乱暴に剣を抜く。そのはずみでアネラの体は前方に倒れこんだ。そして、地面を這いずるアストルフォと目が合う。
「ア……アネラ……アネラ……」
自分の耳にすら届かない声でアストルフォが修道女の名前を呼ぶ。そのアストルフォを見てアネラは苦痛の表情を和らげると、微笑んだ。
『……あなたのせいじゃないわ』
アネラの、弱々しく動かされる唇から出た最期の言葉は、しかしジャーメイルが振り下ろした大剣によって音に乗ることはなかった。切断された黒髪の修道女の首が無情にも地面を転がった。
アストルフォは一瞬にして自分の心の奥底の憎悪が激しく燃え上がるのを感じた。全身の血液が沸騰したかのような怒りと、眩暈がするほどの殺意が全身を支配していく。
「ジャー……メイル……き、きさま、貴様アァァァァ!!」
アストルフォは死力を振り絞り叫ぶ。
「殺して、やる……殺してやるぞ、ジャーメイル……」
「そんな状態何が出来るってんだよ、アストルフォ。……楽しくなったのは分かるけどよォ、今から残りの孤児も殺してやるから、待ってろ」
自身を突き動かす黒く激しい衝動に、アストルフォは血が噴き出るのも顧みず軋む身体を立ち上がらせた。がくがくと震える手で握られたままの折れた長剣をジャーメイルに向ける。
「順番も待てねェのかよ。焦らなくてもちゃんと殺して……」
その時、突如としていななきが聞こえたと思うと、猛烈な速度で一頭の馬がその主を乗せて近づいてきた。馬に跨っているのは白銀の鎧の騎士。兜に付けられた赤い羽根飾りが印象的だった。そして騎士はその手に握った短槍を逆手に振り上げると、力を込めて投げ放つ。
「うおッ、危ねェッ!……一体なんだってンだよ!」
騎士の狙いはジャーメイルにつけられていたが、ジャーメイルはこれを躱し、投げ放たれた短槍は虚しくも地面に突き刺さった。すかさず馬上の騎士は腰から鞘から既に抜き放たれていた剣でジャーメイルへ斬撃を加える。ジャーメイルは頭上からの激しい一撃を大剣で捌く。だが、騎士の攻撃は二撃三撃と続けざまに放たれた。
「チッ……鎧のその紋章、白獅子騎士団かィ」
斬撃を弾きながらジャーメイルは忌々しげに呟いた。騎士はその問いに答えることなく、無言で攻撃を続ける。騎士の剣撃は変幻自在の軌道を描き、さしものジャーメイルも防戦を強いられている。ジャーメイルの顔から先ほどまでの余裕の表情は消えていた。
そして、そこへさらに追い打ちをかけるように数頭の馬が駆ける音が近づいてくる。馬には先にやってきた騎士同様に胸に白い獅子の紋章が刻まれた白銀の鎧を纏った者が乗っていた。
分が悪いと判断したジャーメイルは腰に下げていた袋を引きちぎると、それを地面に激しく投げつける。するとパンッ!という激しい炸裂音とともにおびただしい煙が辺りを包み込み、その場にいる者の視界を奪った。炸裂音に反応した馬が暴れ出し、騎士が慌てて落ち着かせる。
「アストルフォ、次に会う時にはちゃんと殺してやるからなァ……」
ジャーメイルは殺気の籠った捨て台詞を残すと、煙の中に消えて行った。後から来た二人の騎士がその後を追おうとするが、先にやってきた赤い羽根飾りの騎士がそれを制止する。
赤い羽根飾りの騎士は馬を降りると、固まったように折れた長剣を構えたままのアストルフォに近づき、ゆっくりとその剣を下ろさせる。アストルフォはもはや身体を動かす力を残してはおらず、騎士にされるがままに剣を手放した。
アストルフォは目の前の騎士が兜を脱ぐのを見た気がしたが、脅威が去った安堵からか、愛する女を喪った絶望に耐えきれなくなったのか、そのまま暗闇に呑まれる様に意識を失った。
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「……長くなったが、こんなところだ。」
思わぬ長話になった、とアストルフォは軽くため息をついた。
アルシェスとナインライムはアストルフォに連れられ、今はランプの明かりだけが照らす狭い部屋の中にいた。
レントハイム近郊の廃墟となった教会の地下には長く掘られたトンネルのような地下室があった。アストルフォの言った通り、従僕のリアムをはじめとした奴隷たちが地下室に保護されていた。百人はいると思われる奴隷たちを易々と収容できるほどの地下室はかつて地下墓地として掘られたものだということだった。
アルシェスはひとしきりリアムとの再会を喜んだ後、アストルフォに案内された小さな居室の長椅子に座り、彼がここに至るまでの経緯を語るのを聞いていた。アルシェスがアストルフォの昔話を眼を輝かせながら聞いている横で、ナインライムはすっかり舟を漕いでいた。
「後に知ったのは、俺を助けた騎士の名はバージェスと言った。つまりお前の……」
「……ええ、僕の兄です。」
「やはり、な。顔立ちと髪の色が良く似ている。」
「……」
アルシェスの心中は複雑だった。自慢の兄がかつて目の前の男を救ったことは誇らしかったが、兄は今や国に追われる身なのだ。
アストルフォは苦い顔をするアルシェスを見ると小さく、優しく笑った。
「……二年前、バージェスがアーベンに駆けつけたのは偶然だった。騎士団の警護任務中の彼がアーベンの空を照らす炎に気が付かなければ俺は死んでいたし、集落の皆も全員が殺されていただろう」
アストルフォの話によると、アーベンの集落の住民たちを捕えていた盗賊団は白獅子騎士団が一掃したらしい。住民は教会で殺された三人以外は全員無事だったということだ。決死の体当たりをしたダグネルも無事だったという。
「ええ、その時の兄はまだ……」
アルシェスが唇を噛みしめ、再び苦い顔をする。すると、今まで大いびきをかいて眠っていたナインライムが唐突に目を覚ました。起き抜けに大きなあくびを一つ。キョロキョロと辺りを見回すと、半開きの眠たそうな目で口を開く。
「んぁ……話終わった?」
「ああ、終わった」
「まったく……アストルフォ、アンタの話長すぎるのよ」
「やめなよ、ナイン」
ナインライムが礼儀知らずにもアストルフォを責めるので、アルシェスは思わずそれを非難した。だが、謝罪の言葉を口にしたのはアストルフォの方だった。
「……退屈な話をしてしまってすまなかったな」
「あ……いや、ごめん。気の毒な話だとは思ったんだけど。」
「構わないさ、これは俺のことだからな」
アストルフォはナインライムの態度に腹を立てるでもなく、ただ静かに首を横に振った。ナインライムも途中までは話を聞いていたので、集落が盗賊に襲われたということは分かっていた。思わず悪態をついてしまったことを、ナインライムは少し反省した。
「それで、アストルフォ。今回の奴隷市場の火災の件だけど」
「ああ、それは……」
「それは、俺の方から説明しよう」
唐突に声が割って入り、部屋にいた全員が声のした方に顔を向けた。部屋の入り口を見やると、髭を生やした隻眼の男性が戸に体をもたせ掛けるように立っている。
男性がニヤリと笑うと咥えられたパイプの紫煙がゆったりと揺らめいた。
2016.02.15 一部文言を修正しました。