第10話 <天使攫い> (3)
レントハイムの大教会での手続きは円滑に進んだ。アストルフォは読み書きができなかったので用意された資料は司祭に読み上げてもらった。予定している孤児の受け入れ人数は四人。アストルフォはぼんやりと男二人、女二人が理想的だと考えていた。
紹介された孤児たちは貧民街で保護された者や、教会の前に捨てられていた者がほとんどである。他にも、教会で暮らしていたものの村の貧困や教会自体の存続の問題などが原因で別の土地へと移住を検討している者もあった。
アストルフォは出来れば自分と同じ貧民街出身の孤児が良いと考えていた。それであれば自分も彼らのそれまでの暮らしをある程度理解してやることができるし、自分がアネラに救われたように或いはその孤児たちを救ってやることも出来るかもしれないと思っていた。
アストルフォは司祭に繰り返し詳細を確認し、紹介された者の中から貧民街出身の四人を選んだ。司祭は満足そうに頷くと、すぐに手続きを始めますとアストルフォに言った。来週には聖導教会の手配した馬車でアーベンまでやってくるそうだ。先に顔だけでも合わせておきたいとも思ったが、教会側でも色々とやることがあるだろうと思ったのでやめておいた。
一週間後には新しい家族がやってくる。アネラもきっと喜ぶだろう。アストルフォは、アネラが新しい孤児たちを迎える時に浮かべるだろう笑顔を想像して胸が温かくなるのを感じながらアーベンへの帰途へ就いた。
様子がおかしいと感じたのは村まであと数時間というところまで来た頃だった。日が山の向こうへ姿を隠し、空は段々と夜の帳と下ろし始めていた。ところが、アーベンの方を見やると、夕焼けの様に空に赤味がさしていた。今は十一月で祭りの季節でもない。空を染めているのは、一体何の明かりだろうか。
―――厭な予感がする。
風に運ばれてきた焦げ臭い匂いに、アストルフォは疲れを忘れて駆けだした。
走り続けてようやくアーベンの入口が見えてきた頃、そこで起きているのがただの火事ではないことに気が付いた。立ち込めた煙の中に人の叫び声が混じっていたからだ。アーベンは何者かに襲撃されたのだ。
そこまで考えてアストルフォはハッとした。
……盗賊団だ。
アストルフォは咄嗟に茂みに身を隠してゆっくりと進むと、集落の様子を窺った。
広場の周囲にある家屋はほとんどが火をつけられ、今もなお赤く燃え上がっている。住民たちは両手を縄で縛られ自由を奪われた状態で広場に集められている。広場の入口、酒場の前には奴らが乗ってきたものであろう馬が七頭繋がれていた。
全部で七人、ということはないだろう。おそらく丘の上、教会にも何人かが向かっているはずだ。昔と変わっていなければアーベンほどの規模の集落を襲撃する時、奴らは一打の人数で行動する。十二人。つまり五人は教会にいる。
アストルフォは迷っていた。目の前で捕えられているアーベンの住人たちを見殺しにはできない。だが、教会にはアネラと孤児たちがいる。どちらを取る?考えろ、考えろ……。茂みの中でゆっくりと足を進め広場にほど近い場所まで移動する。
ふと、広場に捕えられていた男がアストルフォの隠れる茂みに視線を向けた。
酒場で話した男だった。ダグネルはこちらに気づいたようだった。
……マズい。
アストルフォはいっそ茂みから飛び出すか、と考えた。だが相手は七人いる。奇襲をかけたとしても勝機は薄いだろう。武器も、腰に下げた獣を解体するための小刀しか持っていない。しかし、村人の数人でも解放できれば或いは……?
アストルフォが決断しかねているところで、ダグネルが突然立ち上がった。そしてダグネルは大声で何かを喚き散らしながら走り出すと盗賊の一人に思いきり体当たりを仕掛けた。不意の一撃に、体当たりを食らった盗賊は体勢を崩し倒れこむ。他の六人が一斉に仲間とダグネルに目を向けた。
……今しかない!
アストルフォは意を決すると広場を避けるようにして、教会のある丘へと駆けだした。ダグネルは、茂みの中のアストルフォに気づいていた。その上で自分が囮になり、アストルフォが教会へと向かう隙を作ったのだ。盗賊に体当たりし倒れこんだダグネルの眼は、アストルフォにそう語っていた。
すまない、と心の中で何度も謝りながらアストルフォは教会への道を急いだ。
教会の近くまでやってくると、聖堂が燃やされているのが分かった。巻き上がる大きな炎の前に人影が見える。立っている者は五人。計算は間違っていなかったようだ。アストルフォは物陰に隠れながらゆっくりと移動し、様子を窺う。
岩陰に隠れ、十数メートルのところまで近づくと聖堂の前に二人の人間が倒れているのが見えた。片方は既に首が無く、もう片方はうつ伏せに倒れこんだその腹の下に水たまりを作っていた。服装から判断するに、神父と老修道女であった。アストルフォは小さく十字を切ると、短く祈りの言葉を呟いた。
そして、二人の遺体から離れること数メートル。どうやらアネラと孤児たちはまだ無事なようだった。住民たちと同じように手を縛られた状態で一箇所に集められている。アストルフォはアネラたちがまだ無事であったことに安堵し、今度は火に照らされた襲撃者の顔を一人一人確認していく。だが、最後の一人を確認したところでアストルフォは息を呑んだ。
―――首領だ。首領のジャーメイルがここに来ている。
ジャーメイルは危険な男だ。かつて盗賊団にいた頃、ジャーメイルは残忍な首領として知られていた。自分が少しでも気に入らなければ部下だろうが誰でも、すぐにその首を刎ねて殺す。襲った村の住民を皆殺しにしたことも数知れない。ハルマには幾つかの盗賊団があったが、その中でもジャーメイルの率いるこの一団は特に残忍であった。他の盗賊団連中ですらそのやり方に閉口するほどだった。
いつもであれば、既に商品にならないであろう人間は殺されているところだ。だがアーベンの人間がほとんど殺されていないところを見ると、奴らの狙いはやはりアストルフォだと思われた。彼がこの場所に戻ってくるまで、なるべく殺しを避けているのだ。そして、アストルフォの眼の前で一人一人を殺し絶望を味わわせた後、最後にアストルフォを嬲り殺す心算だろう。
アストルフォは口の中が乾ききっていることに気付いた。ゆっくりと唾を飲み込みながら、アストルフォは考える。どうする。相手は五人。ジャーメイルも来ているとなると状況はかなり悪い。
まずは武器だ。大きく迂回して自室まで辿り着ければ長剣があるが、ここ数年は手入れをしていない。他にあるのは狩猟の為の短弓。だが、矢は足りるか?……弓で数人を殺したあとは長剣で戦うしかない。
アストルフォは心を決めると、丘の影に隠れるようにして自室へと向かった。幸いなことに連中は聖堂の前の一箇所に固まっていたし、聖堂の火も家屋にまでは届いていなかった。アストルフォは長剣を腰に佩き、弓と矢を手にすると部屋を出た。
……アネラと孤児たちは必ず助ける。アストルフォは拳を握りしめた。
「おーい、アストルフォの奴ァ遅すぎねぇかァ?なぁ、ベルサ」
「へ、へェ……しかし、サイラスのやつが近くまで来てるのを確認してるはずでさ」
「……まァいいけどよ。これでアイツが来なかったらテメェがそこのクソ神父と同じことになるからな、覚えとけよ」
「お、お頭ァ……なんで俺が……」
風を切る音がしたかと思うと、ベルサの喉に白い矢が突き刺さった。ベルサは口から赤黒い血液を噴出させ白目を剥くと、そのまま崩れ落ちた。
「……やっと来たかィ。」
二射目。今度はジャーメイルの脇に控えた色黒の男の眉間を射抜く。男はガッ、と短い絶命の声を上げると仰向けに地面に倒れ、動かなくなった。
「弓の腕は落ちてねェみたいだな、アストルフォ!」
アストルフォは自室の屋根の上から無言で矢を射続ける。三射目はジャーメイルを狙ったものだったが、その肩を掠めただけで背後の地面に突き刺さった。
「カカッ!久々の再会じゃねェか、ちったァゆっくり話そうぜ!」
四射目。最後の一本。ジャーメイルの眉間を狙う。放たれた矢は鋭い音を立てて勢いよくジャーメイルへと向かう。だが、ジャーメイルは腰の剣を一閃させてこれを叩き落とした。
……剣での戦いになるか。アストルフォは弓を投げ捨てると腰の長剣を抜き放ち、屋根から地面へと飛び降りた。
「弓はもう終わりかィ?あと一発撃ちゃ当たってたのによォ~」
ジャーメイルがおどけた様子で言う。敵は残り三人。どう切り抜けるか。アストルフォは様子を見ながら少しずつジャーメイルとの距離を詰めていく。残りの二人の盗賊も腰の剣を抜き放つと、アストルフォと向かい合った。
「なんだよ、しばらく見ねェうちに随分と腑抜けた面になったじゃねェか」
「……確かに変わっただろうが、アンタを殺すくらいなんてことはない」
「カカッ、言うじゃねェか。……おい、お前らとりあえず遊んでやれ」
ジャーメイルが鼻を鳴らすと、横に並んでいた二人が一斉に動き出した。ジャーメイルが連れているということは盗賊団の中でも腕の立つ者だろう。二人の盗賊は左右に分かれ、一定の距離を保ちながら瞬く間にアストルフォとの距離を詰めてくる。挟撃する心算だろう。
アストルフォは相手が接近するのを長剣を手に待ち構える。……上手くやれよ、アストルフォ。過去にも商人隊の護衛を相手に似たような状況はあった。あの時は四対一。今回の方がずっと簡単だ……。
左右前方から襲いかかる刃をアストルフォは後方に飛び退り躱した。躱しざまに腰に下げた小刀を抜き、右から来た革帽子の男の鎖骨の上、首元に向かって投げつける。不意を突かれた男の首には深々と小刀が突き刺さり、赤黒い血を滴らせた。男は最期に卑しい言葉を喚き散らすとそのまま動かなくなった。
だが、仲間の死を気にも留めず、左から来た髭面の男が二撃目を振りかぶっていた。小刀を投げた姿勢から立て直せていないアストルフォは無様にも地面を転がりながら、振り下ろされた斬撃を躱す。そして回転の勢いを利用して立ち上がると長剣を構えなおした。斬撃を躱された髭面の男はアストルフォの動きに動じることなく自身の体勢を立て直す。
斬られた。アストルフォの肩には男の斬撃が命中していた。服が裂かれ、傷口から血が溢れる。骨には達していないが、かなり深い。鈍い痛みにアストルフォの額にぶわりと脂汗が浮かんだ。
アストルフォの様子を見ながら、長髭の男はニヤリと笑った。自分の一撃に手応えは僅かだが、確かにあった。いくら盗賊団にいた頃は首領に次ぐ実力者と言われた男も、下らない怠惰な暮らしに飼い慣らされればこの程度。自分の勝てない相手ではない。
アストルフォは短く息を吐き、呼吸を整える。集中しろ。そして思い出せ、アストルフォ。命のやり取りは数年ぶりだが、お前は何人もの命を喰らった獣だ。目の前の男を超える剣の使い手など、何人も切り捨ててきたではないか。思い出せ、あの頃の野獣のような殺意を。
覚悟を決めたアストルフォは上半身を捻り、わずかに体を前に倒した。長剣を体の捻りに沿わせて横一文字に構え静かに息を吐くと、目を瞑り、そのままぴたりと動かない。
長髭の男は背中を見せるようなアストルフォの構えを見て訝しく思ったが、同時に自らの勝機を見た。目の前の男は目を瞑り、隙だらけではないか。……怪しげな構えなど、単なる虚仮おどしに過ぎない。長髭の男は剣を握る手に力を込めると、渾身の一撃を浴びせんとアストルフォに襲いかかった。
一瞬。
炎に照らされた刃が煌めいたかと思うと、長髭の男が崩れ落ちた。
漸近する男にアストルフォが放った一撃は目にも止まらぬ速さで光の軌跡を描き、男の胴を横薙ぎに切り裂いた。倒れた男の肚からは血と臓物がずるりと零れ落ち、炎に照らされぬらりと悍ましく輝いた。
アストルフォは長剣を振り、刃にこびり付いた血を落とす。そして、盗賊団の首領―――ジャーメイルに向き直った。ジャーメイルの後ろではアネラが手を縛られてなお守るように孤児たちに寄り添っていた。その眼は恐怖に怯えながらも、アストルフォをしっかりと見つめている。
……待っていろアネラ、この男を殺し、お前たちを救ってみせる。アストルフォの胸の内にジャーメイルに対する殺意が沸き起こる。常人であれば毛が逆立つほどの殺意を向けられてなお、ジャーメイルは退屈そうに首を鳴らしアストルフォを鼻で嗤った。
「おいおい、やっぱ腕が鈍ってんじゃねェか。昔のお前ならもっと上手く殺ってたぜ」
「……黙れ、外道」
「名付け親に向かってその口の聞き方、なっちゃいねェなあ。反抗期って齢でもねェだろ」
「俺は……親殺しを躊躇う人間でもない。」
アストルフォの猛禽の様な鋭い眼がジャーメイルを睨みつける。アストルフォの激しい殺気を受けながらジャーメイルはニィと歯を見せて笑うと、腰に下げた大ぶりの剣を鞘から抜き放った。
「カカッ、いいぜェその眼!……さァ、親子喧嘩と行こうかァ!!」
「ウオォォォオッ!!」
炎の紅に照らされた二頭の獣の咆哮が、夜空の下に響いた。
もうちょっとだけ続くんじゃ(by アストルフォ)




