行商人と狐娘
「……無事かい?」
声をかけたのは、背後に向けて。
狐色の耳を持った獣人の少女。着ている服は、巫女服と呼ばれるものにどこか似ている。本来のものより少し露出は多いけど、共和国人としては馴染み深い衣装だ。
彼女は三叉の尻尾をくゆらせて、俺の方を見た。小さな口元が言葉を作る。
「ええ、ゼノさん……ありがとうございますの。大丈夫ですわ」
「間にあったみたいでよかった」
……どうしたものかな、これは。
商業ギルドに予定より早く戻ってみれば、アルジェさんがこの村に、レンシアにいると聞いて急いでやってきたのだ。
そうして来てみれば、いつものどかなレンシアはまるで魔物の楽園のような有り様で、彼女が――クズハちゃんが戦っていた。
明らかに状況が危険だと感じ、アルジェさんを探すのをフェルノートさんに任せて、彼女を助けに入ったのが少し前の話。
「なんとか防げたけど、本当にどうしたもんか」
ほんの少し前にこちらに向けられていたのは、バジリスク系の魔物が放つ麻痺毒の息。あれを吸い込むと数秒で動きが止まってしまう。そうなったら致命的だ。
どうにかこうにか風の魔法で吹き飛ばしたけれど、状況はすこぶる悪い。
「ギシイイィ……!」
ブレスを防がれたことがよほどお気に召さないのか、バジリスクの顔が耳障りな唸り声をあげる。
そう、『バジリスクの顔』が、だ。
……こんな歪な魔物、見たことがないぞ。
顔だけを見れば砂漠地方に生息するトカゲ型の魔物であるバジリスクだけど、身体は森林地帯にいるオオカミ系の魔物に酷似している。そのくせ尻尾はタコのようになめらかで吸盤がついていた。
異なる魔物同士を切り貼りしたような、あまりにもバランスの悪い姿。
魔物と呼べるのかも怪しいような生き物が、それも一匹や二匹ではなく無数にいる。
既にいくらか討ち倒しているけれど、それでもまだ数が多い。正直なところ、手が足りない。
「こんなところで……アルジェさんを、助けに行かなくてはいけないのにっ……!」
「大丈夫。なんとかするよ」
「くっ……ダメですの、数が多すぎますわ! 助けてくれたことは感謝いたしますけれど、もう逃げてください!」
どこかが痛むらしく、顔をしかめながらもクズハちゃんがこちらを気遣ってくる。
気遣いはありがたいけれど、アルジェという名前を聞いてますます引き下がれなくなった。
後ろにいる少女があの人の知り合いというのなら、救わずに逃げるなんて選択は無しだ。
「魔力切れを起こした君の方が危険だろう。俺に任せてくれ」
……とはいえ、さすがに状況が悪いか。
多少は腕に覚えがあると言っても、結局のところ俺は商人だ。フェルノートさんやアルジェさんのように、飛び抜けて強いわけじゃない。
周囲の魔物は跳ね返された麻痺毒を嫌がって一時的に後退したけれど、再び襲い掛かってくるのは時間の問題だろう。
「仕方ない、か。余裕はあることだしな」
「……なにを、するつもりなんですの?」
「ん? ああ、ええと……商人らしく切り抜けようと思ってね」
俺があまりにも落ち着いているから、さすがになにか考えがあると思ったのだろう。クズハちゃんが質問してきた。
商人らしく切り抜ける、と言っても買収は通用しない。相手はどれも魔物で、金なんてものに興味はないだろう。
それでも俺は、懐から金を取り出した。
じゃらりと金属同士が擦れて、耳慣れた音を立てる。
「ちょ……魔物にお金なんて、どうするつもりですの!?」
「使うのは魔物相手じゃないんだよね」
言うよりも見たほうが早い。どうせやるなら、盛大にだ。
金、銀、銅。三種三色の硬貨を、ありったけ空へとばら撒く。
「我らが命の輝きよ。その輝きを、買い与えよ」
シリルという名が与えられた世界共通の通貨。国が分かれているのにも関わらず通貨がひとつなのには、ある理由がある。
それはシリル硬貨ひとつひとつに込められた、非常に高度な偽造防止の施しのためだ。
魔力を少しでも通せば、まばゆく発光する。そういった魔法が込められているからこそ、この硬貨はどの国でも使われる。
ただ光るだけだが、それは特別な輝き。一定時間で光量と色が変わっていくとても複雑な魔法で、偽物はすぐに分かってしまう。
つまりシリル硬貨一枚一枚が、魔道具のようなものなのだ。
そのことを踏まえて考えれば、こう言い換えることもできる。
シリル硬貨はその小ささに見合わないほど優秀な、魔力の貯蔵庫である、と。
そして硬貨に込められた魔力を引き出すのが、商業ギルドに伝わる商人魔法だ。
当たり前だが、魔力を引き出した硬貨はただの金属となり、資産としての価値を失う。商人にとって命とも言える金を無価値にしてしまうこの魔法を使うのは、生きるか死ぬかのときだけだ。
いつぞや、アルジェさんに助けてもらったときはこれを使う暇がなかったが、今回は違う。
空に舞った輝きが、強烈な光を放ち、俺へと集まる。
普段ならありえないほど膨大な魔力。制御することも困難だが、その制御さえ『金で買える』。
制御するための魔力すらもシリルから引き出して、俺は魔法を練り上げた。
「金に糸目はつけない。だから、この子の命は俺が買わせてもらうよ。……旋滅の風」
破壊を導く風となった魔力を、周囲すべての敵へと放った。
切り貼りして造られたような魔物たちが、鋭利な風によって微塵切りにされる。
断末魔の悲鳴すらも掻き消して、風が荒れ狂った。
過ぎ去ったあと、残っているのは俺たちだけだ。
「……やれやれ。稼ぎ直しだな」
魔力を失って地面に落ちる硬貨を眺めて、俺はつぶやく。
サクラノミヤで得た利益のほとんどを使ってしまったが、仕方ない。必要経費だと思うことにしよう。
「さて、それじゃあ行こうか。アルジェさんは僕の知り合いでもあるからね」
「……貴方、もしかして、アルジェさんの探していた人ですの……?」
「うん。どうやらそうらしいね」
いつか恩を返すと、アルジェさんは別れるときに言ってくれていたのでその件だろう。
律儀さに心地いいものを感じながら、俺はクズハちゃんに手を差し伸べた。
「……? あれは……?」
ふと、視界の隅をかすめるものがあり、上を見上げる。
月に明るく照らされた空を、黒い影のようなものが飛んでいくのが見えた。
「鳥……いや、コウモリ?」
「ゼノさん、どうかしましたの?」
「ああいや、なんでもないよ」
気にはなったものの、今は彼女と、フェルノートさんやアルジェさんと合流するほうが先決だろう。
差し出された手を握り、僕は彼女を助け起こした。




