金と銀
「バンダースナッチ、邪魔だからその子を連れて行って! 他の子は子狐の相手をしてあげなさい!」
エルシィさんの言葉通りに、改造魔物ともいうべき生き物たちが動いた。
バンダースナッチと呼ばれた双頭の大型犬が、うつろな瞳のレンゲさんを背中に乗せ、その場を離れる。それ以外はすべて、クズハちゃんへと殺到した。
「風さん――」
「――貴女の相手は私でしょう?」
「っ……!」
魔法を行使しようとした瞬間、目の前で金髪が揺れる。
意識が逸れた一瞬を狙って、踏み込んでこられたらしい。
危険を感じた僕は、速度ステータス任せにブレーキをかけ、そのままバックに移行。結果としてエルシィさんから距離を取れたけど、クズハちゃんとも離れてしまった。
「アルジェさん、こちらは大丈夫ですの! すぐにそっちに行きますわ……!」
僕が離れたのと同じように、クズハちゃんの方も多数の敵に押されるようにして、こちらから離れていく。
……分断されましたか。
明らかに意図的に、クズハちゃんと位置を離された。
目測で数メートル、お互いに詰めようと思えば一瞬でゼロになる距離を挟んで、僕たちは相対する。
蜂蜜を垂らすように甘ったるい、うっとりとした声がこぼれた。
「あはっ……これで二人っきりね♪」
「そうですね、もう帰っていいですか?」
「ふふ……だぁめ。呼吸が止まるまで、あ、そ、び、ま、しょ?」
残念ながら否定された。もともと見逃してもらえるなんて期待はしていないけれど。
じわりと、夜だというのに汗が滲んでくる。不愉快というよりも、不吉な気配だ。
……落ち着きましょう。
確かに相手は強い力を持った吸血鬼だ。それでも、僕の方だって相当数の技能を、しかもカンストで持っている。
勝ち負けを抜きにしても、相手の動きを止めるくらいは十分にできるはず。
落ち着いて相手をして、クズハちゃんを助けに行く。そのためにまず、目の前のことに集中しなくては。
呼吸を整え、気持ちを鎮める。自分の指に牙を差し込んで、押し開く。
甘い血の味が、心を少し落ち着けてくれた。
「ブラッドアームズ、『鎖』」
溢れ出した血液を、吸血鬼の技能で変化させる。
ブラッドアームズ。血液で武器を造り出す技能。鎖は武器かと言われると微妙なところのような気もするけど、造れるのだから武器なのだろう。
速度はそれほどでもないけど、遠隔操作もできる鎖。無数に造ったうちの一本を手繰り、僕は駆け出した。手持ちにしなかった無数の鎖は、遠隔操作でぶつける。
「へえ、思ったよりも早いわね」
「すいませんが、ちょっと大人しくしててもらいます」
「ふふ、貴女がね。ブラッドクラフト、『チェーン』」
「……!?」
唐突に、視界に赤色が差し込まれた。
地面から生えるように、血の色をした鎖が大量に現れたのだ。
ブラッドアームズとは違う技能。けれど、同じものを造られた。
見たところ相手は血を流していないけれど、『ブラッド』と付くならやはり同じ、血液を使用する技能だろう。
「シャドウバインド」
言葉が続き、今度は黒が現れる。月明かりに照らされたエルシィさんの影が、形を変えたのだ。
いくつもの真っ黒な手が、触手のように伸びる。
明らかに質量を伴った影が、赤色の鎖を掻い潜るように迫ってきた。
「物理と、魔法による呪い。両方からの拘束よ。抜けられるかしら?」
「……面倒くさいですね」
魔法の方はともかく、物理の方は厄介だ。
僕が耐性を持っているのは魔法や呪いに対してだけ。物理的な攻撃は、避けるか防ぐかしかない。
防ぐ手段として、自分が造った鎖を操作する。相手の鎖にぶつければ、それで防御だ。
やはりこちらの方が基礎的な能力が高いのだろう。こちらの鎖一本に対して、相手の鎖は三本でようやく拮抗している。これなら――
「――増やすわね?」
「っ! 追加発注、お願いします!」
相手の言葉通りにチェーンが増えたので、こちらも鎖を増やした。血液の消費は増えるけど、構ってはいられない。
そうしてお互いの武器同士が拮抗しても、影の方はそうは行かない。耐性はあるけれど、なるべく避けたほうがいいだろう。耐性技能が最大でも、一定以上の威力があればダメージになるのは今までの戦いで確認済みだ。
迫ってくる『手』を躱しながら、鎖の森を行く。極振りの速度に身を任せれば、そう難しいことではない。
相手と自分の距離を近付けて、鎖を振るう。遠隔操作による補助込みの、捕縛目的の一撃だ。
「ブラッドクラフト、『ミラー』」
「えっ……!?」
唐突に目の前に現れた輝きが、鎖に砕かれた。
舞い散った鏡の破片がきらりきらりと月明かりを撒き散らす。
乱反射の向こう側に相手はおらず、それを理解した瞬間、言葉が耳に触れる。
「シャドウバインド・カレイドスコープ」
砕かれた輝きの群れから、影が飛び出した。破片に映し出された無数の影が、牙を向いてこちらに迫ってきたのだ。
僕の速度を持ってしても回避できない。避けるだけの『隙間』がない。いくら僕の身体が小さくても、この網を抜けるのは無理だ。
「っ……痛いじゃないですか」
「耐えるのね、さすが私が見初めた花嫁! 素敵よ!」
「だから、言ってる意味が……分かりませんってば!」
纏わりつく影を魔法耐性と呪い耐性で弾きながら、無理やりに突っ切る。
影に絡みつかれた部分は鈍い痛みのようなものを生じ、足が少し重くなっていくのを感じる。やはり完全に防御はできないらしく、ある程度は呪いの影響を受けるようだ。
「痛いの痛いの、とんでいけ」
邪魔っけな呪いを回復魔法で洗い流し、依然として数を増やす影を、今度こそは躱す。足は前へ。声がした方へ。
反射光と影の向こう側で、金色が笑っていた。
「まだまだ、夜はこれからよ? カースメイカー、『ケージ』」
「……!?」
足元、地面から茨のようなものが顔を出した。
見ただけで呪いが込められていると分かるくらいに、強い魔力をまとった似た黒い茨が、僕を囲むようにして伸びる。
黒い棘の群れはゆるやかな曲線を描き、やがて僕の頭の上でお互いを喰い合うように縫い合わさった。
「う、くっ……また、面倒くさいことをっ……!」
籠になった瞬間に、身体が一気に重くなる。
いきなり水の中に突き落とれたような不自由さに、僕は顔をしかめた。
「貴女ではなく空間そのものを呪えば、肉体の回復は無駄だと思うのだけど、どうかしら?」
「……抜けます!」
身体を薄め、霧にする。
意識までも希薄になってしまうのであまり使いたくない技能だけど、この檻から抜ける方が優先だ。このままだとなにもできない。
影化でも抜けられないことはないと思うけど、相手は影を魔法で操ってきている。影になるのは避けたほうがいいだろう。
「一通りの能力は使えるのね。いいわ。それなら少し教えてあげる」
薄い意識、耳がなくなった状態でも、エルシィさんの声が聞こえる。
「技能も、身体能力も、たぶん貴女がほとんど上だけど――それだけですべてを決めることはできないのよ?」
薄まった意識が、引っ張られるような感じがした。
眠りに落ちるときに似た、意識が重くなる感覚。けれど、それよりももっと暴力的だ。
足元から感覚が喰われていくような不愉快さ。うっすらとした聴覚や視覚が黒く塗りつぶされて、止まらない。
形のない喉がねじ曲がり、悲鳴をあげた。
……気持ち悪い、気持ち悪い、キモチワルイ!
「やっ……!?」
底のない沼に沈められるような感覚から逃れるようにして、僕は霧化を反射的に解除していた。
曇りがなくなった視界の中にあるのは、金色の霧。ぐらぐらとした頭で、それがなんなのかを考えて、口にする。
「きり、か……」
「そう、これが私の霧化……びっくりしたかしら?」
金色の霧が収束して、形を組み上げる。
ふわりとドレスと揺らして、再び夜に金髪を踊らせるのは、紅い瞳の少女。
「ブラッドクラフト、『チェーン』」
「きゃっ……!?」
まだ頭がぼうっとしているところを、当然のように狙われた。手足を絡め取られ、自由を奪われる。
それだけでは終わらなかった。鎖は僕の身体を一定の方向に引いた。仰向けに倒れる方向、すなわち、後ろへと。
「ブラッドクラフト、『ベッド』」
声が聞こえたと同時に、背中に柔らかな感触が生まれた。
抱きとめるようにして全身を受け止めてくれたのは、ふかふかのベッド。血で染めたように真っ赤なシーツの上に、鎖とともに投げ出されたのだ。
「知らなかったでしょう? 霧化した吸血鬼同士がぶつかると、意識が混ざるの」
「意識が……?」
「技能の数値も大切だけど……強い意志にぶつかったら、弱い意志は飲まれるのよ」
言われている言葉は単純だ。まだうまく働かない頭でも、理解ができる。
相手の意志の方が強いから、『喰われた』。相手の意志に、自分の意志が塗りつぶされかけたのだ。
僕ほど意志の弱い存在もそうはいないだろう。カラクリを知ってしまえば、こうなるのは当然だと言える。
意識が強く保てない。集中することも、動くこともできない。
そして、ゆっくりと金色が覆いかぶさってきた。
「はぁぁ……ようやく捕まえたわ……アルジェント。うふ、うふふふふ……」
「やっ……はなしてくださいっ……」
「だぁめ。もう絶対に逃さない。だって逃がしてしまったら、次に捕まえるのが難しくなってしまうもの……シャドウバインド」
すっかり興奮した様子で、エルシィさんが魔法を使う。
伸びてきた影が鎖の赤を伝うようにして巻き付いてきて、赤黒い拘束になる。
さっきまでの魔法とは少し性質が異なるのか、痛みはない。けれど、魔力をうまく練ることができない。
霧化して融合したときに受けた精神のダメージを、かさ増しされたような感じだ。集中が妨げられる。
なんとか抜けようともがいてみるけれど、力を込めても壊せないし、変化系の技能を使うこともできない。
ただただ、嘲笑うかのように鎖がちゃりちゃりと揺れた。
「お楽しみは、これから……♪」
女の子らしい、細くて薄い爪が添えられて。
その見た目からは信じられないような鋭利さで、クズハちゃんから贈られた和服が引き裂かれた。




