害獣駆除の日中
「蜜喰いってどういう生き物なんですか?」
「熊に似た魔物ですの。主食は蜜と虫。蜂も食べますから、蜂蜜を特産とするこの村にとっては最も忌むべき魔物ですわ」
「わふ! クロ知ってる! そういうの商売敵っていうの!」
「言いたいことは分かりますけど、ちょっと違います」
一応、クロさんの言いたいことは伝わる。蜜も虫も食べてしまうなら、レンシアにとって蜜喰いは敵と言ってもいいだろう。
ただ、正確に言うと商売敵というのは商売をする上での競争相手、つまり同業者のことを言うので、少し違う。
「普段は温厚なのですけど、食事の邪魔をされるのを嫌うのですわ。肉食ではありませんが、爪や牙はかなり鋭いですわよ」
クズハちゃんが補足するように説明してくれる。こういう気配りはよくしてくれる子だ。
「あと、蜜喰いのお肉はほんのり蜜の香りがして脂身も甘く、高級食材ですの」
「わふっ。持って帰って、アイリスちゃんに調理してもらうんだよー」
「アイリスさん、調理できるんですか?」
「え、知らない。でも持って行ったらたぶんなんとかしてくれるよ!」
「投げっぱなしなのか信頼してるのか、判断に迷いますね」
他愛のない話を続けながら、僕たちは目的の魔物が来るのを待つ。
今、僕たちがいるのは蜜を摂るための花畑よりも、少し離れたところ。
蜜喰いとやらが来る方角はいつも決まっているらしいので、そこを見張れる草むらに、僕とクズハちゃん、クロさんは身を潜めている。
ハボタンさんとアキサメさんはレンシアの視察を続けて、僕たちは害獣駆除、というメンバー分けだ。
「わふー。暇なんだよー」
潜めているとは言うけど、クロさんはちっとも落ち着かない。そわそわとあちこち動いては草むらを揺らしている。まるで玩具を見失った犬だ。
逆にクズハちゃんは静かなものだ。それこそこちらのほうが獲物を待つ狼だと言われても納得できるくらい、微動だにしない。話しかけなければ、言葉すらこぼさないほどだ。
「クズハちゃん、落ち着いてますね」
「狩りの時は周囲の情報を察知するのが大切ですもの」
少し照れたように微笑んで、クズハちゃんは一本だけの尻尾を揺らした。
既にブシハちゃんも別の場所でスタンバイ中で、いつでも動ける状態にある。あとは相手が来るのを待つだけ、なんだけど。
……確かに、クロさんの言う通り暇ですけどね。
相手が来るまで動けないから草むらで待つしかないのだ。仕方がないとはいえ、それが暇だというのは分かる。
実際僕も、ここで見張りをはじめて半分くらいの時間は寝てしまっている。クズハちゃんが見張っててくれるから、問題はないのだけれど。
そうして暫くの時間、うとうとしては雑談する、というのを繰り返した。
何度目かの雑談の最中、唐突にクズハちゃんが顔を上げる。彼女は、耳をぴこぴこと動かして、
「来ましたわね」
呟いた言葉で、僕の方も気を引き締める。クロさんは相変わらず、あまり落ち着かない。
花畑とは逆方向から、蜜の匂いと獣臭さが来る。蜜喰いとやらの匂いだろう。
「熊に似た、というか、ほぼ熊ですね」
そう。ほぼ、熊だ。
茶色い毛皮に覆われた体躯は今は四足歩行だけど、立ち上がれば三メートル近くはあるだろう大型。
蜜喰いは鉤爪を備えた鋭い前足で、地面を抉るように歩いてくる。目は血走っていて、ひどく興奮しているように見える。
唯一熊っぽくない、だらりと伸びた舌が印象的だ。そこだけは熊というより、アリクイのように思える。たぶんあの舌で虫や、蜜を舐めとるのだろう。
そんなものが、見えるだけで八匹ほど。花畑を目指して真っ直ぐにやってくる。
「随分と、なんて言うか……多い上に、お腹すかせてませんか?」
「おかしいですわね。蜜喰いはどちらかというと餌場を取り合うので、群れるような生き物ではないんですけれど……あんなふうに興奮しているのも、あまり見たことありませんわ」
「わふっ。とにかくあれをやっつければいいんだよね! いっくよー!」
「あ、ちょっとクロさん!?」
クズハちゃんの静止も聞かず、クロさんが待ってましたとばかりに草むらから飛び出していく。これじゃ、どっちが野生動物なのか分からない。
蜜喰いたちの前に躍り出た野生のクロさんは、迫り来る群れに臆することなく大きく息を吸う。
一体、何をする気なのか。そう思った次の瞬間に、それは来た。
「あおおおおおおおおんっ!!!」
こちらの鼓膜を破くのではないかと思うほどの、盛大な叫び声、いや、遠吠えというのが正しいのか。
暴力的な大音声が、周囲を打撃した。
「っ……人狼の、狩りのための咆哮ですわね!? 獲物の恐怖心を揺さぶって、動きを止める技能ですのっ……!」
相当耳に響いたらしく、頭をふらふらと揺らしながらクズハちゃんが説明してくれる。
僕の方も、クロさんに続くべきか迷っていた足が完全に止まった。
遅れて周囲の草むらが騒がしくなるのは、恐怖状態から我に返った小動物たちが逃げていく音だろう。
「わふ? あれ?」
クロさんだけがのほほんとした声で、しかし疑問符を出す。
その彼女の頭めがけて、蜜喰いの鉤爪が振り下ろされた。
「あぉんっ!?」
慌てた動きでクロさんが頭を下げる。前転に似た動きで蜜喰いの脇を抜けて、無傷で回避。
「無視された……!? ふつうは動きを止めますわよ!?」
「ふつうじゃないってことですね」
明らかに蜜喰いたちは興奮している。狼に睨まれる、というか吠えられる恐怖以上のなにかが、彼らを突き動かしているということだ。
その理由を今考えてる時間はない。隊列としては今、クロさんだけが敵のど真ん中にいるのだから。
すくんだ足の復帰を確認して、すぐに駈け出す。ブシハちゃん、クズハちゃんも一緒だ。
「クロさんが真ん中にいると、魔法が撃ちづらいですわね……!」
「じゃあ、僕が止めますね。ブラッドアームズ、『鎖』」
軽く指に噛み付いて、血を流す。後はいつも通りに吸血鬼の能力で鎖を作り、絡めとっていくだけだ。
動きが止まれば、クズハちゃんたちもやりやすいだろう。そしてその目論見は、期待通りに効果を発揮した。
血の鎖が蜜喰いたちを捕まえて、抑えこむ。
……かなり暴れますね。
理由は不明だけど、やはりひどく興奮しているようだ。自分の身体に鎖が食い込むことすらいとわず、蜜喰いは暴れ回る。
引きちぎれるようなことはないけれど、その様子は明らかに異常を感じる。一体なにが蜜喰いたちをそこまで突き動かしているのだろう。
「三重――鎌鼬!!」
クズハちゃんお得意の風の魔法が、三重奏で吹き荒れた。
分厚い毛皮と、その下の筋肉すらも風の刃が断じていく。吹き出した血液を巻き込んで、クロさんの周囲に真っ赤な嵐が発生する。
……あんな魔法を僕に向けてきたんですよね。
はじめて出会ったとき、クズハちゃんがこちらに魔法を放ってきたことを思い出す。
僕に魔法耐性が無かったら、かなり酷いことになっていただろう。転生するときに、ロリジジイさんのおすすめを聞いていてよかった。
「わふ、クズハちゃんすごいすごい!」
「まだ浅いですのよ……!」
「わふぅ! それならクロが――やるよー!!」
フリルスカートをはためかせ、クロさんが行った。指を軽く曲げた、引っ掻くような形の手を蜜喰いの首元にぶち込んだのだ。
打つのではなく、引き裂く音がした。蜜喰いの胴体と頭が綺麗に分断される。絶命による力の抜けが、鎖を派手に鳴らした。
「人狼はやはり、膂力がとんでもないですわね」
「わふ! どんどん行くよー!」
魔法で攻撃するクズハちゃんとは対照的に、クロさんは素手、というよりは爪で行く。返り血が服を汚すことを気にせず、一撃で頭を砕くか首を落とすかで、蜜喰いを狩る。
数分とかからずに、蜜喰いたちは殲滅された。ほとんどクロさんとクズハちゃんがしたことだ。僕は鎖で動きを止めただけの楽な役目。
「様子はおかしかったけど、それほど脅威ということはありませんでしたか」
「わふ。でもでも、この村の人はきっと困ってたんだよ」
「そうですわね。見たところあの村に、蜜喰いに対抗できる人はいなさそうでしたもの」
「確かに、規格から外れてるのは僕たちの方ですか」
吸血鬼に獣人ふたり。僕の方は転生した恩恵として冗談みたいに高い能力を与えられているし、クズハちゃんとクロさんはたぶん獣人の中でも強い方だ。
蜜喰いたちが弱いというより、相手が悪かったと考える方が正しい。
「とりあえず、戻りましょうか」
「わふっ、了解なんだよー!」
「ええ、分かりましたわ!」
元気よく返事をするふたりを引き連れて、僕はその場を後にした。
クロさんは持てるだけのお肉を抱えて戻ったので、またハボタンさんが微妙な顔をしたけれど、特に問題なく害獣の駆除は成功したのだった。




