岩の壁、水の音、立派な角
「……にゃ?」
目が覚めると知らない光景だった。
眠る前に見たような広く、気持ちのいい景色ではない。狭く、暗い景色だ。
暗闇でも吸血鬼の目は鋭く、周囲を完璧に把握する。日が落ちたのではないことは、すぐに分かった。
こちらを拒むように組み上げられた石の壁。ぽつぽつとどこからか水の音がして、響いてくる。つまりここは室内で、割と狭い場所だ。
寝転がった半身に触れる感覚は固くごつごつとしていて、敷物にしていた毛布は見当たらない。
「ん……あれ?」
もう少し周囲を知るために起き上がろうとして、できなかった。
動かそうとした手足は重く、じゃらりとざらついた音を立てる。
視線を向ければ、両方の手首と足首を繋ぐように、硬質なものが存在していた。
ふたつの拘束具は鎖で地面に繋がっている。鎖は短く、立ち上がることすらできないほどだ。
「霧化」
煩わしいから、すぐに拘束を抜けた。
手足を一瞬だけ霧に変え、手かせと足かせから脱出する。
……どういうことですかね、これ。
確か僕はお城の屋根で、クロさんとお昼寝をした。それは覚えている。分かる。
そして起きたら、日も届かないような暗い部屋で鎖に繋がれていた。これは分からない。
とりあえずもっと情報を得て、クロさんのことも探さないと。そう結論して、僕は周りを更に観察する。
「……鉄格子?」
振り返った先にあったのは、見覚えのある拒絶の証。
前世で毎日目にしていた、狹い空間と外界を隔絶するためにある鉄の仕切りだ。
近づいて触れてみれば、懐かしさのある冷たさが手のひらを撫でていく。
「ということは、ここは牢屋ですか」
つまり僕は、寝ている間に牢屋に入れられたということだ。
「どう考えても、お昼寝した場所が悪かったんでしょうね」
クロさんは大丈夫だと言っていたけど、大丈夫ではなかったのだろう。
捕まってしまったものは仕方ない。これくらいの鉄格子なら変化系の技能で簡単に出られるけど、それでお尋ね者になったりしても面倒だ。
まだゼノくんにも会ってないし、僕のことを養ってくれる人を探してもいない。人が来るのを待って、事情を説明しよう。
そう結論したところで、聞き覚えのある声がした。
「わふー!」
闇に響く、遠吠えのような声。
反響しているから少し分かりづらかったけど、僕がいる部屋の隣からだ。
同時に、ばきんという甲高い音が二度。硬質なものをちぎったような、いや、間違いなくちぎった音だ。なんて乱暴な。
「わうう? なんでクロ、こんなところにいるの? おーい、アルジェちゃーん」
「ここですよ、クロさん」
「わふー! アルジェちゃん、すぐそっちに行くね!」
なにかを無理やり曲げるような鈍い音がして、それからすぐにクロさんが鉄格子の向こうから顔を出した。
今度は格子を曲げたのだろう。とんでもない馬鹿力だ。
クロさんは僕の牢屋の鉄格子を掴むと、一息に広げた。鈍い悲鳴をあげて、隔絶のための鉄が曲がる。
「もう大丈夫! クロが来たよ!」
「えーと、ありがとうございます」
たぶんこれは大丈夫じゃない。だって脱獄だもん。どう考えても言い訳ができない感じだ。
ただ、向こうはちっとも悪びれないというか、悪気が微塵もない。本心からの善意で、尻尾はちぎれんばかりだ。咎めるのも気が引けるので、渡すのはお礼の言葉にした。
こうなってしまったら仕方ないから、もうさっさと逃げてしまおうか。そんなことを考えたところで、新しい気配がした。
足音はなく、無音だ。それでも僕の嗅覚が、なにかが接近していることを教えてくれる。
人でも、獣でもない血の匂い。甘いと感じるということは、美味しい血の持ち主か。
誘われるように、曲げられた格子の隙間から顔を出してみれば、匂いの持ち主が見えた。
「……随分と大きいのが来ましたね」
やってきた人は、サツキさんよりもまだ大きい。というか常識外れと言っていい身長をしている。二メートルはある。
当然それに見合った肩幅と、パーツの大きさ。胸も大きいところを見ると、女性だ。
それだけのサイズで足音がないのは、体捌きがうまいからだろう。
瞳は無い。というより、黒髪が鼻付近にまで伸びていて見えない。黒髪の隙間からは、一本の角がすらりと伸びていた。
褐色の肌を黒い装束に包んで、彼女は闇を歩く。全体的に暗く、闇に溶け込むような印象のある人物だ。マフラーのように首に巻かれた布が、尻尾のように揺れる。
「……鬼の忍者?」
総合的な感想を口にする頃には、相手は目の前までやってきている。
結んだ口がほどかれて、歪む。紡がれる言葉は明らかに呆れの色を含んでいた。
「クロさん……貴女、何回これをやれば気が済むんですか」
「わふ?」
「わふ? じゃありません! ここは国の重要施設、ヨツバの中心! お昼寝する場所でも遊ぶ場所でもないんですから、気軽に入ってこられたら困ります! 部外者まで連れて! 拘束しないと示しがつかないんですよ、こっちの手間も考えてください!!」
「わふ、そうなの?」
「何回言わせるんですかこの人もうやだぁぁぁ!」
大人と子供以上のサイズ差があって、大きい側が泣かされていた。
どうも知り合いのようだけど、力関係は明らかにクロさんに傾いている。だいぶ振り回されてそうだ。
「うう……あと、その人誰ですか……?」
「アルジェちゃんだよ!」
「……それから? 出身とか、職業とか」
「えーと……かわいい吸血鬼!」
「なにひとつ安全面が約束される情報がない……!?」
「ええと、出身は王国で、職業は旅人です。その人の勤め先で宿や食事をお世話になってます」
「うう、ありがとうございます……」
半泣きの声でお礼を言われた。目は隠れてるけど、たぶん涙目だろう。
……向かい合うと凄いですね。
サツキさんやフミツキさんも背が高いけど、これは完全に規格外のサイズだ。いろいろと大きすぎる。
相手はこちらを見下ろして、すまなさそうに肩を落として口元を緩める。目は見えなくても、動きから見える感情は豊かだ。
「ヨツバ議会所属。御庭番衆、ハボタンと申します。申し訳ありませんが、ついてきていただけますか」
「わふー! ハボちゃんおやつー!」
「違いますからっ!?」
完全に遊ばれている感じだけど、相手は議会に所属しているという。格好からすると議員という感じではないけど、公務員なのは間違いなさそうだ。
名前も知られてしまったことだし、逃げるという選択肢はもう選べそうにない。ここは素直に従うことにしよう。




