花の都へ
「……ん」
瞳を開けると、桜の匂いがした。
くすぐったさに手を伸ばすと、指先に触れたのは花びら。寝ているうちに、顔に乗っていたらしい。
薄く開けていた窓から桜を逃がして、溜め息を吐く。古い夢を見たのは、匂いのせいだろうか。
「おはようございますわ、アルジェさん」
「ええ、おはようございます、クズハちゃん」
隣で狐耳をぴょこんと揺らすクズハちゃんに挨拶を返して、窓を大きく開け、外を見る。馬車の揺れによってぶれる景色はのどかで、晴れ模様だ。
風が草花を揺らすのを一通り眺めて、今度は車内を見た。
今、僕たちが乗っているのはサツキさんが手配してくれた馬車。ゼノくんの馬車とは違ってきちんと人を乗せて運ぶためのものなので、造りは豪華で、快適だ。揺れはあるものの、それほど気にはならない。
ちゃんとした屋根があり、座っているのもソファに似たふかふかの座席。対面にはサツキさんがいる。棺桶は「中身」ごと荷物として預けられているので、彼女は身軽な状態だ。
「あまり開けないでくださいね。アイリスちゃん、直射日光には弱いので」
「すいません」
「いえいえ、気をつけてくれればそれで。そろそろサクラノミヤも近いですから、景色を見ておくのはいいと思いますよ」
サツキさんはそう微笑んで、赤い髪飾りを揺らす。
相変わらず和服を着崩していて胸がこぼれそうだけど、気にした様子はない。恥じらい以前に直射日光がダメなら、肌を晒すのは控えるべきだと思うんだけど。
直射日光でない限り平気というのは吸血鬼としてはかなり日光に強い方なのだろうけど、それでも本人が明言するくらいには、日に当たるのは危険な身体なのだから。
とはいえ、格好は個人の趣味だ。和服を着崩すというのは本来ならだらしないものだけど、この人の場合は妙に妖艶で、似合っている。
本人が言うには胸が苦しいから着崩しているらしいので、快適さを求めた結果なのだからありだろう。視線が集まることは気にしていないようだし。
「お昼頃には到着しますから、まずはうちで食事にしましょうか」
「サツキさんの家、ですか?」
「ええ。家であり、職場ですね」
「サツキさんって、どんなお仕事をされてるんですの?」
「ええ、喫茶店を営んでおります」
喫茶店、と言われてまず、僕たちはサツキさんを見た。
着崩されてはいるけど、和服だ。緑色で派手ではないけれど、出るところがしっかりと出ている身体のせいか、どこか魅惑的にも見える。
夢の中で見た青葉さんの和服がそれだけで艶やかだったのに対して、サツキさんの方は彼女自身の身体や雰囲気込みでの妖艶さだ。
長い黒髪と、それを飾る花の髪飾り。かんざしではないけれど、黒髪と花という取り合わせは、やはり和を強く感じさせる。
話してみると邪気がなく、落ち着きがないと思えるような言動も多い。ただ、そうして静かに佇んでいると「妖艶な和服美人」というのがぴったり来る見た目だ。
これで化粧が派手で髪飾りではなくかんざしでも差していれば、遊女で通りそうなほどに。
「……茶屋ではないんですの?」
思った疑問を口にしてくれたのは、クズハちゃん。
茶屋と喫茶店は意味としてはたぶんあまり変わらない。どちらも一息をついたり、軽食を摂る場所だ。
ただ喫茶店というと洋風で、茶屋というと和風のイメージがある。細かいことのようにも思えるけど、流れとして今相応しいのはクズハちゃんの言うように、茶屋だと思う。
「いやいやいや、共和国に茶屋なんて山ほどあるじゃないですか。うちは元祖喫茶店。共和国に初めて、ケーキやパフェ文化を持ち込んだ開祖ですよ!」
サツキさんは大げさに手を振った上で、大きすぎる胸をふんっ、と張った。
この異世界で、ケーキやパフェというのがどこ発祥となるのかは分からないけど、共和国でそれを始めたのは彼女が初らしい。
……ありえない話ではないですね。
吸血鬼の寿命がどれくらいかは知らないけど、たぶん人間より相当長いだろう。僕の前世、つまり別の世界からのイメージでしかないけど、吸血鬼というのはあまり年を取らないものだ。
サツキさんが何歳かは聞いたことがないので謎だけど、見た目通りの年齢ではないように思う。
今のは自己申告だけど言ったことは、本当なのだろう。
「あの、サツキさん何歳なんですの……?」
「永遠の十七歳です……!」
親指をびしっと上げていい顔をするサツキさんのテンションは確かに十代な感じもする。まあ今のはさすがに嘘だろうけど。
「ちなみにアイリスちゃんは687歳ですよ」
「え!? アイリスさんって母様より300歳以上も歳上なんですの!?」
「ふたりとも、本人がいないところでひどいこと言ってません?」
女性の年齢系話題はアウトのような気がするけど、女同士ならありなんだろうか。そのわりにはサツキさん、自分の年齢は濁したようだけど。
精神的には男なので、そういうのは分からない。馬車の中で咲くガールズトークにやりづらいものを感じながら、僕はもう一度外を見た。
窓から見える景色には桜だけでなく、色とりどりの花たちがいる。
ここは異世界だけど、桜はある。ならばこの窓から見えているあの花たちも、やはり僕の世界にもある花なのだろうか。
記憶の中、きっとまだあの世界にいる彼女ならそういうことが分かるはずだけど、僕にはさっぱりだった。
盛り上がるサツキさんとクズハちゃんを放置して、僕は瞳を閉じる。
お昼寝してる間に街にはつくだろう。もう少しだけ、眠ることにした。




