森の守護者、面倒臭がる
朝の平穏はけたたましい鳴き声でかき消された。
鳴き声は多くの鳥たちのもので、彼らが騒がしくする理由はひとつだ。
……侵入者っすね!
俺が守護する森。そこに不届き者がやってきたと、そういうこと。つまり俺を呼び出すための号令だ。
斧を携え、地を強く踏み、森を駆ける。その度に地面がめくれ、花が散ることにすまないという思いを抱くものの、今は気にしていられない。急ぎ駆けつけなければ、森全体が危険となるのだ。
密猟者は何度もやってきて、森の恵みを奪おうとする。
当然逃げられない限り報いは受けさせているが、懲りないのかそれともよほどこの森にあるものが欲しいのか、奴らの数は減らない。
相手をするのは面倒だが、それが俺の役目だし、前よりは遥かに楽になった。その理由は俺の体内で息づく、ひとつの力にある。
……姐さんのくれた契約っす!
銀髪の吸血鬼、アルジェ姐さん。あの人が施してくれた血の契約は、俺に強い力を与えてくれている。
その上で、努力を欠かしてもいない。課題となっている速度は克服するために修練を重ねて、領域の守護者の技能も上がってきている。
最近では、簡単なものなら魔法さえ使えるようになった。俺は確実に成長している。
「ブモオオオオオオオオ!!!」
ほんの少し前には出せなかった速度で森を駆け、咆哮する。
さあ、密猟者たちよ。俺が来たぞ。お前たちを裁きに来たぞ。そういう意図での叫びだ。
大抵これで慌てた密猟者たちが、ゴブリンやコボルドたちの仕掛けた罠にかかる。最近の彼らは前にも増して協力的なので、だいぶ助かっている。
響いてくる鳥たちの声を道しるべに、侵入者の元へ。
相手はこちらに背を向けている。距離は遠いが、これだけ存在を誇示し、足音など気にせずに走っているのだから気付いていないわけはないだろう。誘ってるっすか。なら、乗ってやるっすよ。
跳ねるように、前へと踏み出した。
愛用の武器はすでに振りかぶっている。あとはタイミングだ。
空気を割くというより、潰すように行く。相手の身の丈よりもなお長く、巨大な斧だ。極圧の刃は割くというよりは、やはり相手を潰すのだろう。
「揺らげぇ」
聞き覚えのある言葉が耳に届いた瞬間、俺は武器を手放すことを選んだ。
当然斧は置き去りにされて地面に落ちるが、構わない。勿体ぶらずに捨て、急停止をかけながら回った。
ただ回るのではない。自由になった腕を振り回すようにした、全方向への打撃だ。当たるかどうかは別として、今これをしなければ危険かもしれないという判断での動き。
警戒したのか、それとも余裕なのか。一回転を終えた俺の数メートル先に、相手は立っていた。距離からして余裕で回避したっぽいっすね。
黒く短い髪を揺らす、幽霊のような女。名前は知らないが、その顔は忘れない。
あの琥珀色の瞳をいやらしく細めた笑みをそう簡単に忘れられるほど、平和ボケはしていない。
「また来たのか、お前……!!」
怒りを込めて睨むが、相手はやはり幽霊のようだ。視線すらするりと抜けているとでもいうように、物怖じをしない。
無視されているような不愉快さがあり、すぐに駆け出したくなるが、我慢だ。
この相手に短気を起こせば、それこそ掴めないものを掴もうとするような戦いになる。落ち着け、と自分を律した。
「ふぅん。少しは考えるようになったってわけぇ」
相手は動くどころか、なんの構えも見せていない。ただ言葉だけを送りつけてくる。
「……なんの用だ?」
違う。
そう思ったのは、相手の雰囲気があまりにも変わっていたからだ。
前に俺と戦った時のような底意地の悪さが消えている。先日と比べると、随分と消極的だ。
それは余裕があるというより、森や俺には興味がないというふうに見えた。
相手は呆れたように肩をすくめる。こちらに興味がなくてもいちいち煽るような動きをするのは、どうも素でやっているらしい。性格の悪さが滲んでるっすね。
「決まってるだろぉ? ヴァンピールと決着をつけに来たんだよぉ」
「は? ヴァンピィ?」
「ヴァンピールぅ!!」
アルジェ姐さんじゃないが、いまいち聞き取れなかった。あまり覚えがない単語だったのだ。
あまり覚えがない。そう、あまりだ。どこかで聞いたような気もする。どこだったっすかね……。
「えー……」
「…………」
「あー……」
「…………」
「んー……」
「アルジェント! アルジェント・ヴァンピールぅ!!」
「え? あ、あー!」
すべてを言葉にされて、ようやく理解できた。
アルジェント・ヴァンピール。つまりアルジェ姐さん。俺はアルジェ姉さんと呼ぶので、後ろの名前が微妙に曖昧になっていた。
そもそも、吸血鬼には家族名というのはふつう存在しない。名乗るのだとすれば、なにか特別な理由があるときだ。忘れていても仕方ない。
「隠してもいいことはないよぉ……?」
脅しを込めた言葉はやはりこちらの気分を逆撫でしてくるが、どう見ても相手は本気だ。相手の言葉通りにすれば、戦闘は避けられないのだろう。
……どうするっすかね。
アルジェ姐さんが今どこにいるのか。方角くらいなら分かっている。
元々共和国の方に行くのだという話は聞いていて、血の契約による魂の結びつきもあるのだ。
正直、俺がこいつとやり合うのはかなり厳しいだろう。今の俺でも、自信はない。
だからといって、アルジェ姐さんの居場所をこいつに話すのもダメだ。こいつがあの人とまた相対したところで負けることはないと思うが、それ以前の問題として恩人を危険人物に売るような真似ができるわけがない。
だいたいこいつ、言動はおかしいわ動きはゆらゆらして気持ち悪いわ性格は悪いわで、どう見たってロクなやつじゃないのだ。
アルジェ姐さんだって付きまとわれても迷惑なはずだ。決着もなにも、もう勝負ついてるだろ。
「さぁ、ヴァンピールを出せよぉ!」
ヴァンピールヴァンピールうるさいっすね。
「あー……あの人ならここにはいない。そもそもあの人は、この森の住人ではないからな」
「……だったら、どこにいるか教えろよぉ」
よしよし、うまく乗ってきたっすね。
顔が笑いそうになるのを堪え、俺は森の外を指差す。アルジェ姐さんがいる方角じゃない。まったく違う方へだ。
相手が俺が指差した先へと目を向けるのを待って、ゆっくりと告げる。
「帝国、と言ったか。あの人はそこに行くと言っていた」
「帝国ぅ? なんでそんなところにぃ……?」
「そこまでは俺も知らぬことだ。なにか大きな目的があるように見えたがな」
「目的ぃ……ふぅん、そっかぁ。なら、それを滅茶苦茶にしてやればいいんだなぁ……」
独り言には反応せず、俺は神妙な顔をして仁王立ちをしてみせる。あくまで相手の出方を伺っているような顔で、装う。
こういうことをするのは初めてだが、この相手は戦わなくて済みそうな相手なのだ。アルジェ姐さんと同じで、この森の価値を気にしていないのだから。
それならなるべく、姐さんに迷惑のかからなさそうなところに行ってもらえばいい。鳥たちの話によると帝国は荒れた国らしいので、そっちで野垂れ死んでもらおう。
「……嘘はないだろうねぇ?」
「森に関係のない人だ。隠す意味はないだろう」
「ふぅん。それなら見逃してあげるよぉ」
ゆらりと、相手の姿が揺らぐ。
動きを見るのは二度目だが、二度目も捉えきれない。気付いたら相手はいなくなっていた。
危機は去った。そう判断して、身体の力を抜く。嫌な汗が風で冷やされるのを受け入れて、手近な岩に腰を下ろした。
「アルジェ姐さん、元気にしてるっすかね」
血の契約の力で、お互いの調子は分かる。今の姐さんは健康そのものだ。
それでもやはり、こうして話題になると顔くらいは見たくなる。どうにかして役に立てないものか。そういう気持ちも抱くが、それは自分で否定した。
……足手まといっすね。
今、俺はあいつを、あの気持ちの悪い女を前にしてほとんど動けなかったのだ。
アルジェ姐さんは違う。あいつを見事に撃退してみせた。ああして恨みを買うほどに、プライドを叩き潰した。
それだけのことができる人に、俺がなんの役に立てるというのか。
溜め息をつき、手を見る。あれから鍛えて、一段と太くなったような気がするが、まだ足りない。
もっと強くなって森を守らなければ。そしてもしも叶うのならば、俺の力をアルジェ姐さんのために役立てられれば。
「そのために、鍛えるっすよ」
広げた指をたたむ。力はある。やる気も。ならばあとは、磨くだけだろう。
俺はきっとまだ、強くなれるのだから。
身体に宿るあの人との繋がり。それがまたいつか結ばれることを信じて、俺は腰を上げた。
気がつけば、日はもう随分と高い。あの人が見れば昼寝日和だと、そういうのだろう。
俺にとっては、特訓日和だ。




