元騎士と行商人の旅路
「……っと」
下から突き上げられるような揺れを受けて、身体が跳ねる。浅く眠っていた意識が覚醒するには、それで十分だった。
街道はよく整備されているけど、主に土魔法による押し固めでできている。何度も馬車が通ればそこは歪みとなり、最終的には揺れを得るだけの段差になるのだ。
「すいません、フェルノートさん。大丈夫でしたか?」
「ええ、平気よ」
馬を操っているゼノからの言葉に対して、腕の振りをつけて応じる。お尻が痺れて、胸が跳ねた程度なので大したことはない。収まりの悪くなった胸を落ち着かせるために、軽く位置を調整して、それだけ。
今、相手が喋っているのもこちらが喋っているのも、共和国語だ。日常的な会話をある程度覚えた今、実践として普段使う言葉を共和国語にしている。
王国の言葉とはだいぶ違うし、言い回しが少しややこしいところはあるけど、ようは慣れだ。使っていればある程度は嫌でも身につくものよね。
覚えてみると、そのややこしい言い回しは綺麗なものをより綺麗だと言ったりするためで、いわゆる共和国語で言うところの「風流」なのだと分かる。
「サクラノミヤまでは、もう少しかしら?」
「そうですね。日暮れまでには到着すると思います」
ゼノは行商人だ。ここに来るまでにいくつかの町で仕事をしていたこともあり、ここまで来るのには意外と長く時間がかかっている。
……まあ、アルジェよりは早くつくでしょう。
あの子はとんでもなくのんびり屋だ。首都を目指すにしても、どうせぐうたらと寝ながら来るに決まっている。
誰かに拾われて運ばれでもしない限り、先についてるなんてことはない。間違いない。
「アルジェさん、本当にサクラノミヤに来ますかね?」
「たぶんね」
ここはさすがに、絶対とは言えない。でも、恐らくアルジェは首都を目指すだろう。
彼女の目的は三食昼寝おやつ付きで養われたいという、とんでもなく世の中をバカにした感じのものだ。本人が大真面目なので余計にたちが悪い。
そんなふうにちょっとおかしな目的を持っている彼女だけど、意外と冷静な部分もある。
動くのなら、より自分を養ってくれる人がいる可能性のあるところ。つまり可能性を上げるために、人が多い首都に行こうとするはず。
どう探すかは考えていないけれど、手はいくらでもある。ゼノの方も他の行商人に聞いて回ってくれると言ってくれた。
銀色の髪、尖った耳、絶世の美少女と言える美貌と、彼女はやたら目立つ見た目をしているのだ。一度会っていれば忘れようもないし、町を歩いていれば見付けるのは簡単だろう。
見付からなかったときのことを今考えても仕方ない。そう開き直れるくらいの時間はここまでにあった。ええ、見つけてみせるわよ。
絶対にとっつかまえて、説教するのだ。そして真っ当な生き方にさせてみせる。
「……あ」
「どうしました?」
「今、桜の花びらが降ってきて……」
「そうですか。もうサクラノミヤが近いですし、このあたりの村や町にも植樹されてますからね。ここまで舞ってきても不思議はないでしょう」
手のひらに収まった小さな花びら。
触れるかどうか迷っていると、馬車が再び大きく揺れた。どうやらまた段差に突っ込んだらしい。
「あ」
声を漏らす頃には花の断片はもう、空に身を投げている。
風が花びらをすくい、馬車の動きがそれを置き去りにする。草原の向こうへと見えなくなる花びらを、私は見送った。
「意外と道の整備は悪いのね」
「行き交いが多いですから、整備をしてもすぐにダメになるんですよ。整備自体は、商業ギルドが主だってかなりやっているんですけどね」
言われてみれば、確かにその通りだ。首都に近い道なら重要度は高く、整備されていて当然。
だとすると彼の言うとおり、整備しても「へたる」のが早いというのが正解になる。
ここまでで何度も他の行商人や商隊とすれ違ってもいる。確かにあれだけ馬車の通りが多ければ、道も痛むだろう。
少し、短絡的に結論してしまったみたいね。 彼の所属を馬鹿にするような言葉になってしまったし。
「ごめんなさい、ゼノ」
「いえ。こちらこそ、あまり快適な道を通れずにすいません」
「そこはゼノのせいじゃないでしょう」
相手は今、こちらに言葉を送ってくるときだけ視線をよこしてくる。基本は前を向いて、馬を操っているからだ。
見えるのは背中。そこからでも、相手の苦笑の気配が分かる。
もう十日以上寝食を共にしているのだ。相手のことによほど興味がないか、他人をどう見るかが分からないでもない限り、それくらいの機微は悟れるようになる。
……気は遣わせているでしょうけどね。
寝食を共にしているといっても、「なにか」あるわけではない。
その上で男女なのだ。お互いに気を遣うものだけど、たぶん比率で言うと向こうの方が重くやっているだろう。
着替えのときなどに、やはりそれが見えることがあって申し訳なくなるときはままある。そこでこちらも気遣いを見せてしまうとややこしいので、なにも言わないようにはしているのだけど。
時折強く揺れる馬車の中で、私は浅く腰掛ける。振動を逃がせるように深く座らないのはお尻を保護するためと、なにかあったらすぐに動けるようにだ。
首都が近いので盗賊団や魔物の襲撃はないと見ているけど、油断は大敵。つい今しがた街道に対して感じたような見誤りが戦闘中に起これば、致命となりかねない。
あと少しの道のりを面倒が無いように祈りながら、私は馬車に揺られるのだった。
サクラノミヤは、もうすぐだ。




