呪いの源泉
「うーん、これはちょっと私ではどうしようもないですね」
サツキさんは棺桶を降ろして、そこに腰を落ち着けていた。重そうな胸をぐにゅっと抱きかかえるようにして腕を組み、首をひねっている。
彼女の視線の先が温泉の根源のようだ。地面からこぽこぽとお湯が湧き出ている。それは水道の蛇口を逆さにして緩く開けた程度の、とても温泉宿の経営ができるとは思えないものだ。
とりあえずは近寄って声をかけようとしたけど、僕よりもクズハちゃんの口が動くほうが早かった。
「あの、サツキさん。直せませんの?」
「おや、おふたりとも。そうですねぇ……ちょっと難しいですね。どうも地脈そのものに呪いがかかってるようです」
「地脈、ですか?」
「あら、アルジェちゃんはご存じないですか。地脈、龍脈、霊脈……言い方はいくつかありますが、世界に張り巡らされている魔力の流れのことですよ」
「はあ」
「この周辺はその流れが澄んでいて、水の属性に寄っているので良質な温泉が湧くんですが、その流れが呪われて淀んだようですね」
言葉の意味はよく分からない。そもそも魔力というものがなんなのか、僕自身で完全な理解が及んでいないのだ。
サツキさんの言葉から察すると、この世界で魔力は生き物だけでなく、世界そのものにも宿っているらしい。そしてここは呪いのせいで魔力の流れが悪くなっている、ということか。
思い出したのは、少し前に見た塞がれた水路。あんな感じで元々あった流れを止めるということが、見えない部分で行われているのかな。
仕組みを理解できているかはともかくとして、その面倒が呪いによって引き起こされたものなら、僕の領分だろう。はあ、面倒くさいなぁ。
魔力的には厳しくはないけど、魔法を使えばそれは疲労になる。疲れるのは嫌だから、しぶしぶ魔力を練っていく。
呪いだけが相手なので、そちらの方に効果の比重を傾けて使おう。少しでも魔力の消費が減るし。
「流れを元へ」
適当な言葉をトリガーとして口に含んで、開放した。
いつも通りに魔法が発動して、この世界では当たり前としての奇跡が起こる。
霊脈だか不整脈だか知らないけど、魔法がなにもかもやってくれるから僕は細かく考える必要はない。遠くへと太陽が沈み、魔法の力が世界を清めて――
「っ!」
――ばつんと、なにかが千切れたような感覚がした。
感覚は手のひらへの痺れを伴い、下から弾かれたように腕が跳ね上がる。ゆっくりと手を降ろして眺めれば、赤黒い模様が手のひらにぶち撒けられていて、それはすぐに消えてしまった。
……呪い、ですか。
模様が消えるとき、肌を指先でつうっと撫でられるような不愉快な感覚がした。あの気持ち悪い感覚は呪いだ。かけられるのは初めてだけど、間違いないと思う。
霊脈の呪いを解こうとするものに、カウンターとしてが呪いが発動するように仕込みがされていたのだろう。耐性が高い僕には効果がなかったけど、手が弾かれるくらいはしたようだ。
「アルジェさん!?」
「大丈夫です。そこそこ強力な呪いだったみたいですね」
エルシィという吸血鬼が何者なのかは分からないけど、流れを止める仕切りの下に地雷を埋めておくようなことをするなんて相当に性格が悪そうだ。
とはいえ、これで温泉の問題は解決だ。呪いは取り除かれて、お湯は戻る。
溜め息をひとつ吐いて、温泉の根源を眺め――その認識が間違っていることに気付いた。
「……え?」
ほとんど無意識で疑問符がこぼれ落ちる。
温泉は相変わらず、子供が水遊びするような可愛らしい量しか湧いてきていない。
先ほどまでと同じだ。なにも変わらず、呪われたままでいる。
変化があるとすれば反射していた夕暮れの光が失われた、ただそれだけ。
「これはまた……随分と面倒くさいことしてますねぇ」
「分かるんですか、サツキさん?」
「解呪をしようとすると別の呪いが発動し、それを起点として呪いの表層を剥がすことで完全な解呪を拒否する、という構築がなされているようです」
聞いてるだけで面倒くさくなるような答えが帰ってきた。
つまり仕切りを取り外そうとすると地雷が爆発するだけでなく、仕切りの上だけが取れるような仕組みの呪いになっているらしい。
「こんなの、やる方が疲れるような式ですよ……呆れるほどに丁寧ですが、ホレボレするほど面倒ですね。誰ですかこんなバカ真面目な呪いかけたの」
「エルシィ、という吸血鬼だと聞いています」
「あー……」
サツキさんは呆れたように、あるいは諦めたように空を仰いだ。上にはさわさわと揺れる木々があり、それを見るサツキさんはポーズ的に胸を見せつけるような状態になる。やっぱり大きいな、この人。
やがてサツキさんは傾けた頭を落とし、溜め息。動きによってたぷんと揺れる胸を両腕で押さえつけるようにして、
「それはまた災難というか災害というか」
「知ってるんですか?」
「知っている、というよりは聞いているという感じですね。ランツ・クネヒト協会から懸賞金がかかっている危険人物ですよ」
「ランチクリオネ?」
「ランツ・クネヒト。分かりやすく言えばお金で武力を提供する人たちです。主に国の臨時戦力や、危険地帯の探索、商隊の護衛などを請け負います。協会はその人たちの管理や、危険な存在に懸賞金をかけてそれを退治する人を募ったりしていますね」
話をまとめると、傭兵や賞金稼ぎみたいなもののことらしい。
そんな人たちから狙われている、ようはお尋ね者がエルシィという吸血鬼。うーん、これはもう絶対面倒くさい人だ。会っても関わらないようにしよう。
まだ見ぬ危険人物への対応を決めて、もう一度意識を集中させる。今度は、出し惜しみなしで。
相手が置いたものが取り除かれるのを拒否するような造りになっていて、一度通らなかったのだ。面倒であっても全力を込めるべきだろう。
向こうが使っているような小器用な手は僕には使えない。だから力技で対処する。
頭を水に落とすように、ゆっくりと意識を冷やす。
どうすれば魔力を多く込められるかは分かっている。ただ強く考えればいいだけだ。苦手なことだけど、今はそれが必要な時間だから仕方ない。
温泉が湧く音。木の葉が揺れ、夜の虫が鳴き出した。音の波をかき分けるようにクズハちゃんからの声がする。
「アルジェさん、無理はしなくても……」
特に無理ではないから無視した。ただたまらなく面倒で、早く終わらせたいだけだから。
両手を上げることに意味はない。気構えの問題だ。冷たさを帯びてきた空気に、もう一度言葉を投げる。
「流れを、元へ」
噛むようにして紡がれた言葉で、再び魔法が生み出された。
当然のように反動が、いやしっぺ返しが来る。今度は我慢した。やはり撫でられるような感覚があり、ぞわりとする。
一息を吐いて魔法の結果を見てみれば、少しは効果があったらしい。ごぽんっと大きな音がして、湧き出るお湯が増えた。
でも、まだ完全とは言いがたい。温泉が湧いているのは地面からで、周囲にある岩などには普段はそこまでお湯が来ていた証としての色の変化がある。
長年の間陽の光を直接受け続けた部分とそうでないところの境目は、この程度では届きそうもない。
嘲笑うかのように山風が吹き、ヘッドドレスを乱された。心まで乱れてしまわないように、意識してそれを直す。
……全力でもここまで抑えこまれるなんて。
僕の回復魔法と魔力強化は、技能値が最大まで引き上げられている。つまりはこの世界において、間違いなく最大の効果を持つ癒やしの力を使えるのだ。
魔法が当たり前に存在する世界でもなお、誰もが目を丸くして奇跡でも見たような顔をするだけの力。それだけの力を扱って、でも、防がれている。
完全に無効化されているわけじゃない。少しずつ、呪いの力は弱まっている。
幾度か解呪を繰り返せば呪いは完全に除去できるだろう。それが何度目になるかは分からないけど。
「時間がかかりそうですね。もう少し待っていてください」
背後のクズハちゃんに視線を向けずに声をかける。え、という吐息なのか言葉なのか判別がつかないものが耳を撫でたけど、それだけなので返答はしなかった。
もう一度でダメなら、何度でもだ。成果はあり、魔力もあるのだから、焦る必要はない。
「ストップですよ、アルジェちゃん」
集中させようとした意識に水を差されて、言葉が来た方向へ振り向く。いつの間にか、サツキさんが近くまで来ていた。目と目が合う。
同じ色だけど、僕よりもずっとあたたかそうな眼差しだ。
サツキさんはにっこりと笑って指を指した。背は高く、それでもやはり女性特有のほっそりとした指先。
爪先のおしゃれはしていないんだ、なんてことを考えながら指が示したたものを見る。そこには彼女がずっと背負っていたものがあった。
黒色の、今は地面に横たえられた棺。夜の闇に溶けこむようにして存在しているそれ。
意味が分からずに困惑する僕の手を取って、サツキさんは笑みを深くした。
「少しだけ、おやすみしましょう?」
え、アレで?




