大きいもの
「…………」
「ええと、クズハちゃん。そういう日もありますよ」
つい慰めてしまうくらい、クズハちゃんはうなだれていた。
いや、うなだれているなんてものじゃない。燃え尽きていると言ってもいい。狐色の髪や耳、尻尾どころか着ている服からも色が抜け落ちているように錯覚するくらい、クズハちゃんはショックを受けた様子だ。
……まあ、無理もないですよね。
旅館に入り、宿泊の手続きを済ませようとした僕たちに受付の人が投げてきた言葉が、あまりにもひどかったのだ。
「すいません、昨日から温泉が枯れておりまして……宿泊だけということでしたら可能なのですけど……」
誰にとっても、それこそ従業員にすらも予想外だっただろうトラブルで、クズハちゃんの希望は叶わなくなってしまった。
そんなわけで、数分前は上機嫌に、尻尾すら揺らしていたクズハちゃんが今、旅館のロビーとなる場所に置いてあるフカフカの一人がけソファに座って死んだような瞳でいる。
光景としてはちょっと面白いけれど、それよりもまず可哀想に思う気持ちが先に来てしまうくらい、ひどく落ち込んでいる。
周囲にいる他のお客さんも落胆した様子を隠さずにいるけれど、彼女の落ち込み具合はダントツだ。見知らぬ人たちすらもこちらを心配そうに見てくるくらい、クズハちゃんのテンションの下がり方はひどい。
「宿泊はできるそうですし、ご飯も出るみたいですよ。身奇麗にするだけなら僕の回復魔法でできますから、美味しいものでも食べて、ふかふかのお布団で寝て、少し落ち着きましょう?」
誰かを慰めるなんて僕らしくないけど、これはさすがにちょっと心配だ。
クズハちゃんがここに来たのは、傷心を癒やすためや、長い勤めが終わった自分へのご褒美、そして家族との想い出。こんなところだろう。
そうした感情の置き場が、直前で取り上げられてしまった。外から見れば旅館の楽しみのうち、ほんの少し叶わなくなっただけかもしれないけれど、彼女からすればそのほんの少しは大きなことなのだ。
僕にとってお昼寝が大切であるように、クズハちゃんにとってここのお風呂が大切だった。そういうことだ。
「……の」
「え?」
追加でもう少し声をかけようとしたところで、クズハちゃんがなにかを呟いた。
耳がそう悪くはない僕でも、聞き取れないくらいの小さな声。独り言だとは思ったのだけど、つい反射的に疑問してしまう。
「……なん! なん! です! のー!!!」
「きゃっ」
そして、クズハちゃんが爆発した。
彼女は勢い良く立ち上がり、うなだれていた尻尾も獣耳も逆立てて、吠えた。そんな突然の動きに、こっちは思わず声を出して後ずさってしまう。
先程まで色味がなかったクズハちゃんは吹き出した感情ですっかり真っ赤に着色されている。周りのお客さんの目すらも気にせず、小さな足でじたじたと木製の床を踏んで、
「せっかくお友達と親睦を深めるためのお付き合い行事ですのよ! 母も『まず裸の付き合いからはじめるといいんですのよ、そこから組み敷いてからが勝負ですの』って言っておりましたのにっ!!」
「それなんだか意味が違いません?」
過去に行われた教育の認識に親子間で誤差がある気がする。というかあの人、まだ小さい自分の子になにを教えているんだろうか。
……クズハちゃん、そんなこと考えていたんですね。
感傷や休息といったものを求めて、彼女はここに僕を連れてきたのかと思っていた。けれどそれは少し違ったらしい。
僕との友達関係。親睦を深めたいという気持ちもあったようだ。
「ええとクズハちゃん、少し落ち着いて?」
「落ち着いてなんかいられませんわ! すっごく楽しみにしてたんですのよ!? アルジェさんとお風呂で背中を流しっこしたり、並んで数を数えたり! ええ、お風呂上りはもちろん牛乳で乾杯ですの! 将来性ですわね!」
「僕はフルーツ牛乳がいいです……じゃなくて。ほら、周りのお客さんの迷惑にもなりますから」
周囲の目は明らかに仲良しを見る目がほとんどで咎めるようなものは少ないけど、それでもこう視線が集中すると少し居心地が悪い。
クズハちゃんは僕の言葉にはっとして、一気に縮んだ。耳や尻尾をたたむようにするので、余計に縮こまったように見える。
「し、失礼いたしましたわ……!」
周囲に対してペコペコと頭を下げだしたクズハちゃんを眺めつつ、僕は溜め息を吐いた。
……意外と元気なのかもしれませんね。
もう少し落ち込んでいるのかと思ったけど、そういう感じでもなさそうだ。心配しすぎだったのかもしれない。
悲しんでいないのかと言えばもちろん違うのだろうけど、僕が思っていたよりもクズハちゃんは前向きらしい。彼女に対する評価を改めながら、僕の方も一応周囲の人に軽く頭を下げておく。
僕が騒いだわけではないけど、クズハちゃんは僕の連れ合いだ。こうしておく方が、周囲の印象もいいだろう。ふたりとも美少女だし。
「ふふふ。仲がいいんですね」
ふいに、後ろから声をかけられた。
まあ、ここまで騒いでいたら声くらいかけてくる人もいるだろう。僕もクズハちゃんも小さな女の子だから、そういう意味でも話しかけやすくはある。
なので警戒はせず振り向いて――圧倒された。
……おっきい。
口に出していたら失礼になるところだったので、危なかった。飲み込んだからセーフ。
背後に現れた人物は、あらゆる意味で大きかった。
まず、身長だ。170、いやもう少しはありそうかな。僕よりも頭ひとつ分以上、背が高い。女性にしてはかなり大きい方だろう。
半ば着崩して肩までを露出させた緑の和服からは、それでも窮屈そうな巨乳が存在を主張している。フェルノートさんも大きかったけど、彼女も相当だ。
それでいて全体の線は太くなく、振袖という身体のラインが出にくい服を着ていても分かるほど、プロポーションがいい。
艶やかな黒髪は長く、赤い花の髪留めで飾られている。かんざしで纏めるのではなく、ただ飾るためというような配置で髪型そのものはストレート。
手には和傘があり、全体としては妖艶さのある和服美人という感じだ。和服を着崩してはいるものの下品な印象ではなく、寧ろうまく着こなした結果のように見えてしまう。
「……大きいですわね」
クズハちゃん、それどこのことですか。
突っ込みたくなるけど、そう言いたくなる気持ちも分かる。実際僕も我慢したくらい、目の前の女性の第一印象は「大きい」だ。
身長、胸。そしてもうひとつ、大きいと評価できるもの。それは「棺」だ。
彼女はどういうわけか、大きな棺を、リュックサックのようにベルトを通して背負うようにしている。
全体的に和で構成された格好に対して不釣り合いな棺。そのせいで少し異質さが出ているけれど、それを差し引いても、彼女は美人だ。
「……貴女は」
けれどそういった何もかも特徴よりも、もっと強く、強烈に、僕の目を引くものがみっつあった。
黒髪からちらりと覗く、浅く尖った耳。
笑みの口から見える、印象的な八重歯。
優しそうな垂れ目に宿る色彩は、血色。
「あら……吸血鬼なんて、珍しいですね」
同胞。彼女が口にした言葉で、僕の予想は確定した。
……同じ吸血鬼で、こんなに大きさに違いあるものなんですね。
色んな意味で、サイズ比がひどい。
別に悔しいわけではないけどなんだか理不尽な気持ちになり、僕は自分の小さな胸をぺたぺたと触りながら、はあ、と気のない返事をして、彼女を見上げた。笑みを深めて、相手が更に話しかけてくる。
「吸血鬼が日中に出歩けるなんて、珍しいですね!」
「いえ、それは貴女もじゃ」
「いえいえサツキちゃんは直射日光に当たるとダメな半熟デイウォーカー。傘が無いと外になんてとってもとても!」
「はあ、そうですか。ええと」
「そ、れ、よ、り、もっ! おふたりとも凄く可愛らしい……はああ! いいですねぇ、銀髪ロリ吸血鬼と和服ロリ狐娘のキャッキャウフフ! 見てるだけで幸せになったんで、ちょっとお姉さんに奢られなさい! 拒否権はありませんよ!!」
「ええ、ちょ」
「な、なんですのこの人ー!?」
「あら、まだ名乗ってませんでした? サツキ・イチノセ、それがサツキちゃんのお名前です。はい、覚えましたね。それじゃお団子食べに行きましょう、ええいますぐ!」
言葉を差し挟む余地すらなく、クズハちゃんとまとめて引きずられる。
僕以外の吸血鬼が、どんな人かも気になるところだし。なによりこういうタイプにいちいち抵抗するのは面倒くさいので、僕はすぐに諦めて、されるがままになることにした。
なんだかちょっと変な人だけど、奢ってくれるならそれでいいか。わぁい、タダ飯大好き。




