花の舞う町
「……桜ですか」
ほとんど無意識で口にした言葉が、花びらまじりの風にさらわれる。
ネグセオーの背に乗ったままで見るのは、見事な桜並木。
町の入り口、そこから伸びる道を囲うように桜の木が植えられているのだ。大通り一面に桜色が溢れて、目を奪われる。
大通りを真っ直ぐ行った先には、大きな山が見えた。そちらには桜はないけれど緑は深く、景色としてみた場合、山が桜の額縁に囲われているようで美しい。
「満開にはもう少しですけれど、相変わらず綺麗なものですわね」
ネグセオーから降りて人の姿に戻ったクズハちゃんがそう呟いた。
桜の花びらが降る町並みという背景は、和服の彼女によく似合っている。尻尾に桜の花が積もるのが煩わしいのか、定期的にわさりと尻尾を振っては花びらを落とす姿が可愛らしい。
狐色の耳をぴこんと揺らして、彼女が笑みでこちらに振り返る。
「どうですの、アルジェさん! ヨツバ共和国の数ある観光地のひとつ、サクラザカですわ! 首都のサクラノミヤからわざわざ持ってきた桜の並木道が有名ですのよ!」
「はあ、なるほど。確かにこれは凄いですね」
名前いじりを忘れ、素直に受け止めてしまう。それくらいに僕は眼前の光景に心を奪われていた。
なんというか、ひどく親しみが持てる光景だ。
はらはらと桜の舞う並木道はもちろんだけど、道行く人は和服が多く、建物も木造平屋でそのすべてが瓦の屋根を備えている。
日本の古都にやってきたかのような錯覚。ここが異世界だということを、ほんの一瞬忘れてしまいそうになる。
大河ドラマの撮影所に来たような気持ちだ。無駄にすり足で歩きたくなる感じ。
すり足はともかく、町に入るのに馬に乗っているのは危ないかな。そう考えて、僕はネグセオーから降りる。
地面に立ってみると、桜の香りがより色濃く感じられるような気がした。懐かしい感覚に、浸りそうになる。
……桜なんて、何年も見てませんでしたからね。
ある時期から、僕はずっと外に出られなかったのだ。そのせいで本物の花を見る機会は、ほとんど失われた。
昔、花を見せてくれる人はいたけれど、彼女はあの部屋の前に桜を持ち込むことはなかった。
桜は弱い。折ってしまうとすぐに枯れてしまうこともある。その辺りに、彼女は気を遣ったのだろう。優しい人だったから。あの世界で、元気にしてくれているといいのだけど。
生の桜を見て、まして花びらが頬や髪に触れるなんて、本当に久しぶりだ。桜の塩漬け美味しいんだよね。
「アルジェさん? どうかしたんですの?」
「なんでもありませんよ。クズハちゃん、この町のどこに用があるんですか?」
「ふふふ、それは行けば分かりますわ。さあ、参りましょう。はぐれないように手を繫いでくださいな」
クズハちゃんが上機嫌な様子でこちらの手を取ってくる。右手はネグセオーの手綱を握っているので、握られるのは左手だ。
手の引かれに抗わなければ半ば自然に自分の足は出て、クズハちゃんに追随する。ネグセオーの方も引かれた手綱に素直についてくる。
上機嫌にぴょこぴょこと揺れるウルフカットと獣耳を追うように、ネグセオーを伴って前に出た。
視界のあちこちには桜と町並みが映り、端には僕自身の銀髪が顔を覗かせる。
いざ歩いてみれば、入り口で感じた懐かしさはより色濃くなる。
流れていく景色もやってくる景色も「和」を感じられるもので、全体の感想としてはやっぱり「懐かしい」だ。気付かないだけで、醤油とか味噌の匂いでもしてるんじゃないだろうか。
……これで歩いてるのが人間だけなら、ほんとにタイムスリップしたように感じますね。
歩き、すれ違っていく人たちは基本としては人間が多いけど、そうでない人も多い。
クズハちゃんのように獣の耳を備えた人。
身体のあちこちがウロコで覆われた、人と爬虫類の中間のような外見をした褐色の人。
両手の肘から先が鳥の翼に、膝から先がやはり鳥の足になっている人。
明らかに、僕の世界よりも様々な人種というか、人じゃないものまでがうろうろしている。
王国と比べると随分なんというか、人外率が高い。さっき町の名前で遊べなかったから、片っ端から面白いあだ名を付けたくなってくる。
湧き上がる悪戯心を抑えて、僕はクズハちゃんに話しかけた。
「随分と人間以外の種族がいるんですね」
「ここは観光地ですのよ。色んなところから人が集まりますわ」
「だいたいの人が和服……着物を着てるようですが」
「着物の貸し出しもやっていますもの」
「ますます映画村チックですね……」
「えいがむら?」
「ああ、いえ。こちらの話です」
クズハちゃんがそんな言葉を知っているわけがないのは分かるけれど、話したところで彼女にとっては異世界の話だ。疑問符に対しては言葉を濁して応じておく。
クズハちゃんは僕の言葉に首を傾げたものの、また直ぐにこっちに後ろ頭を見せる。
脇道にそれること無く、大通りとなる桜並木をふたりと一頭で歩く。暫くすると、大通りの終わりが見えてきた。そして道の終わりには、ひとつの建物があった。
山を背にし、そびえるようにある和風の建物。平屋ではなく二階建てだ。
家ではなくお店だと一目で分かるくらい大きな入り口と、その上の木製の看板。看板に書いてある文字は僕の知る言語ではないけれど、意味を解読するのは簡単だ。そういう技能を持っているのだから。
看板の文字になんと書いてあるのかを理解したのとほぼ同時。クズハちゃんがその言葉を口にした。
「『桜湯の庭』。サクラザカの誇る、温泉旅館ですの!」
「横暴なミサ?」
「『桜湯の庭』ですの!」
さっきできなかったことをやれたことで満足をしつつ、クズハちゃんがここに来た理由を考える。
……お風呂に入りたかったんですね。
僕の回復魔法で身奇麗にできるとはいえ、お風呂に入るのはそれはそれで気持ちがいいものだ。
僕としてはお風呂よりお昼寝が好きだから、回復魔法でささっと汚れを落とすだけでお風呂には入らない、というスタイルでも特に問題には思わない。
けれどそれでは味気ないという気持ちは分かる。まして、クズハちゃんはずっと強制労働を強いられてきたのだ。
母親を喪った想いだって、きっとまだあるだろう。そういうものを解決とまでは行かなくても、落ち着けるためにゆっくりとお湯に浸かるというのは、十分に理解できることだ。
「ネグセオーを繋いでおけるところってありますかね」
「ええ、もちろんですの! こちらへどうぞ!」
「ありがとうございます。ネグセオー、こっちに来てもらえますか?」
「ああ、分かった」
クズハちゃんの案内は、この辺りのことをよく知っていると分かるものだ。
恐らくは何度もここに来たことがあるのだろう。もういない家族と、そういう機会があったからこそ、きっとここに来たのだ。
疲れや傷心以外のもの。懐かしく思うような雰囲気が、彼女から感じられる。
だからそれについて掘り返すようなことはせず、僕はただ案内に従って、ネグセオーの手綱を引いた。




