狭い異世界、広い山
夜遅くにマリタットに辿り着いた僕たちは、そのまま山越えを行うことになった。
オズワルドくんが言うには国境警備隊なんてものもいるらしいから、闇に紛れてこっそりと王国を出ていく方がいいだろう、という理由からだ。
幸いなことに、僕も含めて全員夜目は利く。夜でも視界に不便はない。
ただ、山越えと言うとやはり並大抵のことではない。登山のための整備が成されていない、自然そのままの山なら尚更だ。
斜面は急なところが多く、地面が陥没していたり、逆に盛り上がっているような場所もある。おまけに土は柔らかく、滑りやすい。
マリタットは国境を跨いでいる山のようだし、気軽に来る場所ではないのだろう。山道が作られていないのは仕方がないことだ。
さすがにネグセオーに乗ったままで山を越えるのは難しいという話になり、僕とクズハちゃんは彼から降りて山中を進んでいた。
「アルジェさん、足元に気を付けてくださいですの」
「ありがとうございます、クズハちゃん」
「もし木の枝に服が引っ掛かって破れたりしたら、後できちんと直しますから遠慮なく仰ってくださいな」
先頭を歩くのは、人型に戻ったクズハちゃんだ。
彼女は随分と山歩きに慣れている様子で、するすると登っていく。比較的なだらかな坂を見つけては先に登って、こちらを促してくれるのだ。
そんな彼女の指示に従って、僕たちは少しずつ山を攻略していた。
「ネグセオーさんの方は大丈夫ですの?」
「大丈夫ですか、ネグセオー?」
「これくらいの斜面なら問題ない」
「問題ないそうです」
「良かったですわ。それにしても……意外と時間がかかってしまっていますわね」
そう言って、クズハちゃんは空を見上げる。
彼女の動きに釣られるように見上げると、空には柔らかな朱の色が見えた。
明けの近付きを示す、オレンジとも赤とも違う淡い光だ。
太陽が完全に顔を出すまでに、それほど猶予はないだろう。
「夜が明けてしまいますか」
「そのようですわね。かといって、さすがにまた夜が来るまで留まっているというのも危険ですわ。なるべく早いうちに降りてしまいましょう」
「そうですね……すいません、歩くの遅くて」
時間がかかっている理由は、明らかに僕だ。
別に眠っていたわけじゃない。ネグセオーに乗ったままでは山越えが出来そうにないと解ったときは少しがっかりしたけれど、仕方がないとは解っている。無理に乗っていて転んだりしても危ないし。
面倒くさいとは感じるし渋々ではあるけど、ちゃんと歩いているつもりだ。
とはいえ、僕が山登りに慣れているのかと言えばそれは違う。
マリタットを登り始めたばかりのとき、クズハちゃんがあまりにも涼しい顔で進むものだから同じように気軽に歩いたら、危うく転ぶところだった。
森とはまた違った歩きづらさだ。オズワルドくんたちと出会った森は、マリタットと同じで整備されておらず木の根っこなどもあったけれど、まだ平面だったし地面はここよりも硬かった。山の方が歩きづらい。
……意外と大変なんですね、山越え。
霧になって進むという方法も考えたけど、移動速度が歩き以上に遅いし、結構疲れる。
かといって蝙蝠になって飛んでいくのも問題だ。ネグセオーとクズハちゃんを置いて、僕だけが先にいくわけにもいかない。
結果として、僕が一番足を引っ張るような形になってしまっていた。
「気にしないでくださいな」
「ん、でも……きゃっ」
「っと……ほら、危ないですわよ」
今も軽くふらついたところを、クズハちゃんに手を取られる形でなんとか持ちこたえる。
クズハちゃんの方は気にした様子もなく笑ってくれているけど、手間をかけてしまうのはちょっと申し訳ない。
けれど、謝罪は今否定されてしまったばかりだ。ここは重ねて謝るよりも、こう言うべきだろう。
「ありがとうございます、クズハちゃん」
「どういたしまして。お二人とも、お疲れになってはおりませんの?」
「ネグセオー、疲れていませんか?」
「ああ。気遣いは無用だ」
「大丈夫だそうです。僕も平気です」
「承知いたしましたわ。この辺りが山頂付近ですから、下りはもう少し早く行けるはずですの。お二人とも、もう少し頑張ってくださいですの」
クズハちゃんの先導に従って山下りに入ろうとしたとき。ふいに、嗅覚に違和感を感じた。
木の匂いでもなく、土の香りでもない。獣の臭いとも違う。
よく知っていて、それでいてこの場所――山中では違和感を得る香り。
この甘い香りは、人間の匂いだ。
「……人間臭いですわね」
クズハちゃんはこちらに振り向くと、明らかに顔をしかめてそんなことを言う。
臭いと表現することから察するに、クズハちゃんにとっては人間の体臭は少し不愉快なのだろう。
対して僕は、この匂いを「甘くていい匂い」だと感じている。やはり吸血鬼だからか。
僕とクズハちゃんが同じ香りから感じることの差異は少し面白いと思ったけど、それを深く考えているほどの余裕はない。
この匂いが漂ってくるということは、近くに人間がいる証拠なのだから。
「方角は向こう……真っ直ぐ、こちらに向かってきてますね」
「どうする、アルジェ?」
「そうですね……ネグセオー、装備を僕に預けてください。いざというときは、ネグセオーは野生の馬のように振る舞って、クズハちゃんは荷物をどこかに置いて狐に。僕は影にでもなってやり過ごします」
「承知した」
「解りましたわ!」
「少しでも距離を稼ぐために、ギリギリまで進みましょう。引き離せるならその方が良いですし」
相手が通り過ぎるのを待っても良かったけど、人が増えてきても面倒だ。早めに降りる方が良いだろう。
どちらとも頷いてくれたので、すぐに動く。
ネグセオーに装備されている鞍や手綱をブラッドボックスに回収。足取りを早めて、僕たちは山を下り始めた。
注意深く斜面を降りながら人間の匂いのする方向、背後を振り替える。
「……!」
朝日の差し込む木々の隙間から、明らかに異常な光の反射があったのを、僕の目は見逃さなかった。
なるべくゴロゴロしていたいけど、必要とあらば素早く反応し、動く。そのことを考えて設定した身体だ。異常の発見は即座で、対応も即時。
明らかになにかが飛んできている。その事を理解して、僕の身体は動いた。
「ふぅっ……!」
ブラッドボックスから刀を取り出して、居合いの要領で抜く。
刀の扱いは前世で軽く学んでいる。玖音の家はそういうことも子供に習わせるからだ。
硬質な音がして、飛来したものを叩き落とす。間に合ったのだ。
……ギリギリでしたね。
元々拙く、それでいて何年ものブランクがある動きだった。
自分でもあまりよくできたとは思えない。速度任せで無理矢理に対処したようなものだ。
その証拠に、攻撃は防いだものの、僕は斜面に足を取られて転んでしまった。落ち葉と柔らかな土がクッションになってくれたけど、お尻を打ち付けてしまう。
「ふにゃっ!」
「アルジェさん!?」
「大丈夫です、それよりも……」
飛んできたものは刃物で、軌道は低め。つまり、こちらの足を潰すために放たれたものだ。
そう言うことをして来る理由は、ひとつしかない。
相手は確実に、僕たちを狙っている。
差し出されたクズハちゃんの手を取って立ち上がる。お尻についた落ち葉を払いたかったけど、そこまでの猶予はなさそうだ。
匂いはどんどん濃くなってきている。さっきまでと比べて、明らかに早く接近してきている。
木々の間を縫うように、それでいて軽快な動き。クロムさんほどの速度ではないけれど、彼女と違うことがひとつある。
この正確な動きは、明確に悪路慣れした動きだ。単純な身体能力ではなく、技術で速度を得ている。
注意深く観察すれば、相手の数は三人だということが解った。
そして三人、各々が別々の木々の隙間から現れた。
三人は別々の場所から飛び出したというのに、わざわざ同じところに集まってそれぞれポーズを決める。
その姿には覚えがあった。聞き覚えのある声で、三人は口上を述べ始める。
「鎖ガマのチワワ!」
「爆弾のダックス!」
「投げナイフのテリア!」
「「「三人揃ってテリア盗賊団たぁ、俺たちのことよ!!!」」」
前にも似たような流れを見た。見たからこそ、僕が言うことはひとつだ。
出会ったときと変わらずにマントをつけた禿げ頭と、相変わらずちょっと出ている鼻毛と、どういうわけか脛毛を惜しげもなく晒した短パンを順番に指差して、
「芸人が来た……!」
「「「誰が芸人だコラァー!!!」」」
期待通りの返答が、山の中に響いた。
異世界って狭いですね(挨拶)
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