しずくと、かけら
小屋に帰ってみると、クズハちゃんは藁の上で丸まって眠っていた。丈が短くて露出が多い上にあちこちが破けた服では、藁が刺さるだろうに。
自分の尻尾を抱き枕にするようにして眠る様子は、どこか寂しそうに見える。
いない誰かに甘えるように眠っている彼女の近くに、母親を下ろした。藁の上に、寝かせるように。
クズハちゃんを起こすべきかとも思ったけど、他人の眠りを妨げることはあまりしたくない。起きたときに説明しよう。
藁は親子二人で埋まってしまっている。僕は毛布を取り出してくるまって、手近な柱に背を預けるようにして座った。
少し疲れたから眠ろう。そう思って瞳を閉じかけたところで、身動ぎの気配がした。
目を閉じるのをやめて、積まれた藁へ視線を送る。
「ん、んんっ……?」
小さな声を漏らしながら、クズハちゃんが起き上がった。
イエローの瞳はとろんとしているけど、確かに意思が灯っている。
二又の尻尾が波打つと、周りの藁と埃が舞った。
「アルジェ、さん……?」
「起こしてしまいましたか。ごめんなさい」
「いえ、それは構いませんけれど……なんでしょう、今、母様の匂いが……?」
「貴女のお母さんならそこにいますよ」
指を指した先。クズハちゃんの隣には母親が横たえられている。
僕の指が示すものを捉えたクズハちゃんは、まず顔をほころばせた。
とても嬉しそうに、いとおしそうに、母親の胸に飛び込んでいく。小さな狐が親にじゃれるように。
「母様!!」
母様、母様と何度も繰り返して、クズハちゃんは母親の胸元に顔を擦り付ける。
自分が領主の言いつけを聞いて頑張っていたことを誇らしげに語って、褒めてほしいという瞳で見詰めて、母様と繰り返す。
だけど、もちろん母親は反応を返さない。瞳を開けることもなく、指一本動かすこともない。
やがておかしいと思ったらしく、クズハちゃんの顔が曇った。
「かあ、さま? どうしたんですの?」
「……貴女のお母さんは、もう目を覚ましません」
「え……」
クズハちゃんが黄色い瞳をこちらに向けて、すぐに母親に戻した。
彼女は子供で、純心で、騙されやすい。
けれど、僕が言った言葉の意味が――母親が「永遠に瞳を開けない」ということがどういう意味かわからないほど、幼くはない。
元気そうに振られていた尻尾も、ピンと立っていた耳も、瞬く間にしおれていく。小さな肩は震えて、大きな瞳がいっぱいに見開かれた。
ぽとりと、母親の頬に雫が落ちる。
娘の、涙だった。
「母様……かあさま、母様……!」
クズハちゃんは叫んだり暴れたりはせず、母親の顔を見詰めて、呼び掛け続け、涙を流し続ける。
なぜと問い掛けることも、怒りに慟哭するようなこともなく。ただ母様と繰り返して、涙を溢す。
肩を震わせ、しゃくりあげながらも母様、母様と呼び続ける彼女の頭に、僕は手を伸ばして――止めた。
……触れて、撫でて。それでどうなるというんですか。
慰めにはなるのかもしれない。でも、救いにはならない。
母親が生き返るわけでもないのに、そんなことをしてどうする。
僕にできるのは、傷を癒すこと。ただそれだけ。
死人を甦らせたりは出来ない。
救えない手で、慰めても仕方がないじゃないか。
結局、クズハちゃんの涙が枯れるまでの時間、僕はただ眺めているだけでいた。声をかけることなく、触れることなく。
「……申し訳ございません。お見苦しいところを見せてしまいましたわ」
「いえ。構いませんよ」
「そう言っていただけるとありがたいですの……母様を連れてきてくださり、ありがとうございました」
一通り泣いたあと、泣き腫らした瞳を笑みにしてクズハちゃんは深々と頭を下げた。
狐の耳先がこちらに向くほど下げた頭を戻して、鼻をすすった彼女に、僕は手を伸ばす。
触れるのは、肌ではなく首輪だ。
「この首輪は、領主さんからですね?」
「位置を特定できるようにつけておけと……母様が、離れていても場所がわかると安心だからと。そう伝え聞いておりますが、嘘だった、ということですわね」
さすがにもう、クズハちゃんは騙されたままではない。
当たり前だ。母親が死んだことに彼女は「どうして」と問わなかったのだから。
母親の遺体を見て、解った。解ってしまった。だから何も問わず、ただ泣いたのだろう。
「これがある限り、どこにも行けませんね」
「そうですわね。私には破れないくらい、強力な呪いがかけられておりますから……」
「自由にしてあげてください」
「え……?」
言葉はクズハちゃんにではなく、首輪に向けたものだ。
呪いを解くための魔法。それが首輪にかけられたものを外す。
魔法によって解呪が成されたと同時に、首輪に大量の亀裂が走った。そのまま鉄の首輪はバラバラに砕けてしまう。
足元に鉄の欠片が散乱するのを、クズハちゃんは呆然とした顔で眺めて、
「アルジェさん、これは……」
「もう、好きに生きていいんですよ」
頼まれたからではない。
面倒を見る気もない。
恩返しでもない。
ただ、そうするべきだと思っただけだ。
僕が眠りたいときに眠るのと同じで、彼女もやりたいことをやるべきだと思った。もう彼女は、ぜんぶを知ったのだから。
望みがあるならその通りにすればいい。それを妨げるものがあるなら、退けるくらいはしてあげられる。
「……解りましたわ」
藁から降りてきた彼女の瞳からは、強い決意が覗けた。
なにかの覚悟を決めたのだと、わかる瞳だ。僕には絶対にできないだろう、黄色の輝き。
「行って参ります」
深々とお辞儀をして、クズハちゃんは大地を蹴った。小屋の天井に空いている穴へと大跳躍して、そのまま外へと出ていく。
……身体能力も高いんですね。
獣人らしい。魔法に関しても僕の耐性を抜けてくるくらいの火力の火属性魔法を操っていたし、分身すらしてみせていた。
まだ子供だけど、十分に力を持っている。少し騙されやすいのが難点けど、きっと、ひとりでも生きていけるだろう。
彼女は自分の力で歩める。誰の手助けも、必要ない。
「少し、寒いですね」
声をかけたのは、クズハちゃんの母親だ。
きっと彼女がやるべきことを済ませたら、きちんと弔われるのだろう。僕ができることは、なにもない。する必要もない。
解っているのに、僕は遺体に自分の羽織っていた毛布をかけた。
「クズハちゃんが戻るまで、暖かくしていてください」
なんの反応もないことが解っているのに、僕は言葉を重ねて、死体から離れる。
どうしてこんなことをしているのか、自分でもよくわからない。
ただ、そうした方が良いと思っただけだ。
……毛布くらいなら、何枚かありますし。
新しい毛布をブラッドボックスから取り出して羽織り、小屋から出る。
クズハちゃんとは違い、きちんと扉を潜って外へ。
夜明けまではまだ遠い。冷たい風が頬を撫でていく。風が運んできた匂いは、知っているものだった。
匂いの持ち主は草原の向こうから現れて、あっという間に僕の目へと前にやってくる。随分と速くなったらしい。
「ネグセオー。来てたんですか?」
「ああ。少し、不穏な気配を感じてな」
「不穏?」
「いや……お前の心が、ざわついているようだったからな。珍しいこともあるものだと思って、様子を見に来た」
「ざわついてる……? よくわからないですけど、ありがとうございます」
……ざわつくって、どういうことでしょうか。
ネグセオーの言っていることに、たぶん嘘はないだろう。
血の契約を交わした間柄だ。僕がネグセオーのことが少しだけわかるのと同じように、向こうも僕のことは感じられる。
彼が嘘をついたりしないことも、もちろん解っている。
だからこそ解らなかった。心がざわつくって、なんだろう。
そもそも僕は、どうしてこんなにも……。
「…………」
「……アルジェ」
「あ、はい。なんですか?」
「乗るといい。国境に向かうのだろう?」
「そうですね。ありがとうございます」
よくわからないけど、ネグセオーは話をやめる気らしい。
僕の方でも答えを出せない話だ。考え続けるのも面倒だから、特に突っ込まないことにした。
ネグセオーの背中に乗る。手綱を握れば、なにも言わなくても歩きはじめてくれるから楽だ。
「少し、眠りますね」
「ああ。何かあれば呼ぼう」
「ありがとうございます、ネグセオー」
遠慮なく瞳を閉じると、すぐに眠気がやって来た。
どうも、思っていたよりも運動で疲れたらしい。そのまま水の底に沈むように、僕は意識を夢に落とした。




