狐とディナー
「――アルジェさん? アルジェさんったら。起きてくださいな」
「にゃむ?」
起こされたので素直に起きた。
眠い目を擦りながら起き上がると、天井の穴から見える景色は星空だ。この小屋、雨の日はどうするんだろう?
「まだ夜でしたか」
「もう夜、ですわ。よく眠るんですのね」
「えへへ、それほどでも」
「褒めてませんわ!? あとどうして声だけ喜んで顔は真顔なんですの!?」
「吸血鬼の特技です」
「そ、そうなんですの? 凄いのですわね」
微妙な顔をしつつも、クズハちゃんは納得した様子だ。
うーん、こんな嘘あっさり信じる時点で、この子絶対チョロいよね。
ふかふかの藁の上で眠ったからかあまり凝ってる感じはしないけど、一度伸びをすると気分が切り替わる感じがするから、いつも通りに伸びをした。うん、スッキリ。
「アルジェさん、前! 前ですの!」
「ふにゃ? 嗚呼、すいません」
くるまっていた毛布がずり落ちたらしい。クズハちゃんが指摘してくれたので、羽織り直した。
別に僕は気にしないけど、相手に気を遣わせるのは失礼だもんね。
元を辿れば原因は向こうのような気がするし、さっきまで裸の人に炎だの風だのぶつけてきた人が気にするのも、ちょっとどうかと思うけど。
毛布を体に巻いて藁から降りてみると、地面にはお皿が二枚、並べられていた。
「なんですか、これ」
思ったことがそのまま言葉になる。そうしてしまうくらい、目の前のものはなんだかよく解らなかった。
お皿そのものは平たくて丸く、底が少し深くなっている、いわゆるスープ皿と呼ばれるものだ。よく解らないのは、その上に乗せられているもの。
明らかにスープとは言い難い。色は黄ばんだ白色で、粘りけがあるように見える。そんなものが、お皿にこんもりと盛られていた。
嗅覚に届く臭いは、甘いような酸っぱいような不愉快なものだ。
……腐ったおかゆ?
そうとしか言えない。これはどう見ても、食べるものとは言い難い。犬の餌よりもひどい。
クズハちゃんはお皿の前で正座をし、両手を合わせた。そのまま狐色の髪を垂らして深々とお辞儀をして、
「頂きますわ」
「待ってください」
殆ど反射的な動きで、僕は彼女の前からお皿を取り上げる。
お皿の上にある食べ物の成り損ないような、成れの果てのようなものをさっさとブラッドボックスにしまう。恐らくは僕の分であるもう片方の皿からも、同様に消した。
「……アルジェさん?」
クズハちゃんが不思議そうな顔をして僕に目を向けてくる。
食べようとしていたところ悪かったけど、今のは止めて正解だと思う。
……さすがにこれは、お腹を壊します。
こんな食べ物とも呼べないようなものを食べるのは、良くない。
目の前で食べられることすら気分が悪くなるようなものだ。子供には、もっと新鮮で栄養があるものを食べさせるべきだと思う。
恐らく彼女は日常的にこういうものを食べているのだろうけど、それでも見過ごせなかった。
「……ご馳走さまでした。このご飯は、領主さんから?」
「え、ええ。アルジェさんが眠っている間に頂いて来たものですわ。その、あまり美味しいとは言いがたいもので申し訳ないのですが……今の、食べたん、ですの?」
「はい。吸血鬼は手からご飯を食べられるんですよ」
「そうなんですの!?」
「そうなんです。肘からも食べられますよ」
「す、凄いのですわね……!」
うん、本気で信じちゃっててちょっと面白いから、訂正せずに置いておこう。キラキラの猫目、いや狐目が可愛いし。
ブラッドボックスから木の実と果物をいくつか取り出して、クズハちゃんに渡す。
こういうものの方がいいでしょ。食べ物かどうかも怪しいようなものを食べるよりは、ずっといい。
「食べちゃったお詫びです。どうぞ」
「……いいんですの? 本当に?」
「ええ。お詫びですから」
「……ありがとうございますわ」
小さな頭をさっきの「頂きますわ」の時より深々と下げて、クズハちゃんは木の実を食べ始める。さすがに意図は伝わっているようだ。
僕は数日食事を採らなくても大丈夫だし、食料にはまだ余裕がある。
ネグセオーも今のところその辺に生えてる草を食べているようだから、童女の一食分くらい大した消費じゃない。
クズハちゃんが食べ終わるのを待ってから、僕は言葉を作る。
「クズハちゃんは、今の扱いに満足なんですか?」
「何が、ですの?」
「母親と離れて、ここに一人で居て、ご飯も今のようなもので。辛かったりとかしません?」
「……母は立派に勤めを果たしておりますわ。私が弱音を吐くわけには参りません」
「そうですか……寂しくはないですか?」
「……ほんの少し。もう何ヵ月か、会っておりませんから。いつも言伝という形で。一目、母様に会って、私はよく頑張っていると……自分の言葉で報告したいとは思いますわ」
領主も親もひどいのかと思ったけど、クズハちゃんの話を詳しく聞いていると、もしかすると事情が違うのかもしれないと思ってきた。
……親も、かな?
子供だけではなく親も騙されやすいのだとしたら、なんとなく今の状態は納得できる。
親が子供に酷い扱いをすることが絶対にないとは言わないけど、他人が他人に害をなす方が、可能性としては高いことだから。
視線を落とすと、空のお皿が目に入った。中身をブラッドボックスに回収したあとの、何も入ってはいない器が。
お皿に乗っていたものは決してまともな食事ではなかったけど、彼女にとってはきっと精一杯のもてなしだったのだろう。
「すいません、クズハちゃん。少し出てきますね」
「え? どちらへ行かれますの?」
「お腹いっぱいなので、風に当たりに。遅くなったら先に眠ってくれても構いませんので」
クズハちゃんの返答を待たず、僕は立ち上がって出口へ向かう。
もはやドアの役割を果たしていない、穴の空いた木の板を押して、外へと。
「それじゃ、行きますか」
充分眠って、食事も採った。
軽く運動した方が、またゆっくり眠れるだろう。
嗅覚に集中して、人間の匂いがする方向を探り当てる。アルレシャほど大勢の匂いを感じないから、たぶん小さな村だ。
毛布をブラッドボックスに収納して、僕は自分の身を蝙蝠へと変えた。
……これもひとつの恩ですからね。
出されたのは食事と呼べるようなものでは決してなかったけれど、そこは問題じゃない。
相手からの気持ちを、僕がどう感じるかが大切だ。さっきのは僕にとっては充分な恩で、重荷なのだ。
彼女の母親に会って、真意を確かめて、可能なら連れてくる。
運動のついでに、それくらいの恩返しはしよう。
蝙蝠の翼を羽ばたかせて、僕は飛んだ。面倒くさくない最短距離を、一直線で。




