元騎士は憤慨する
元騎士は憤慨する
「……困難を払い落とせ。リフレッシュ」
馬車の荷台で、言葉を紡ぐ。紡いだ言葉は私の魔力を変換し、思い描いた通りの現象を引き起こした。
もう何度もやっていることだ。光を取り戻してからは久しぶりだけど、騎士時代にはよくこうしていた。
……苦手なのよね。
実は私は乗り物に弱く、直ぐに気分を悪くしてしまうのだ。
その所為で騎士時代、遠征地につくまでに馬車の中でフラフラになってしまい、現地で役に立たなかったことも多々ある。
お陰で私が騎士になって始めに向き合うことになった課題は、「乗り物酔い体質とどう向き合うか」だった。
結局、回復魔法の勉強をして克服はした。一度酔いざましの魔法を行えばしばらくは平気で、その間大人しくしていれば魔力は回復する。
少し面倒なのだけど、いくら頑張っても体質は変えられなかったのだから仕方がない。
「大丈夫ですか、フェルノートさん」
「平気よ、ゼノ」
馬を操っている行商人が心配そうにこちらに振り返ってくる。
彼の名前はゼノ・コトブキ。今の私の雇い主だ。正確には利害関係というのが正しいのだけど、こちらは賃金を渡されている側なので、雇い主という表現でも間違いではない。
「体調を整える程度の魔法なら大して消耗しないわ。魔物だろうと盗賊だろうと、斬って捨ててあげる」
「それは頼もしいですね。助かります」
「良いのよ。共和国まで、頼むわね」
「ええ、馬車は任せてください」
私たちの利害が合わさる部分。それはお互いに共和国に行こうとしているということ。
私はアルジェを、アルジェント・ヴァンピールを追って。
彼女が国境に向かったのだということは解っている。
後は帝国と、共和国のどちらに行くか。私は共和国の方に賭けている。
帝国は王国との戦いでかなり荒れ気味だ。重税や度重なる徴兵で、国内はかなりピリピリした雰囲気を漂わせている。
対して共和国は、王国と帝国の戦いには関与していない。静観の立場を取り、どちらとも交流がある。
帝国と共和国なら、どちらかと言えば共和国の方が平和だ。軍隊は志願制だし、税は軽くはないけれど帝国ほど法外じゃない。田舎の生活は苦しいようだけど、帝国ほど荒れてはいないと聞く。
あのぐうたら娘が行くとしたら、より安定したところだと私は踏んでいるのだ。
ゼノの方はというと、商業ギルドへの報告があるのだという。
商業ギルドというのは多くの行商人たちが所属する組合だ。
所属しているものは一年に一度本部に赴き、一年の収支を報告し、稼ぎに合わせた組合費を納めることが決まりとなっているらしい。
その商業ギルドの本部があるのが共和国の首都となる、サクラノミヤ。サクラという名前の木々が多く咲く、美しい都だと聞いている。
観光地として人気があり、騎士時代に「ハネムーンはサクラノミヤ」という同僚は多くいた。
……景色も良くて、食べ物も有名なのよね。
コメやテンプラといった独自の食文化が根付いていて、「ヨツバの料理を食わねば食通に非ず」なんて言われることもあるほどだ。
他にも、ヨツバ共和国は同性婚にも寛容という特徴があり、私が所属していた女ばかりの三番隊の中には、引退したあと共和国に永住することにした同性のカップルもいる。
……同性婚。
思わず銀色の髪をした少女を思い浮かべてしまい、私は慌てて想像をかき消した。何を、何を考えているのかしら。まったくもう。
それもこれも、アルジェが悪い。悪いに決まっている。
あの日のご飯は彼女が食べてみたいと言っていた、ちょっと珍しい魚のスープだったのに。
元々希少なもので時期も少し外れていたから探すのには苦労した。だというのに、彼女は帰っては来てくれなくて。待ち疲れて、その日私はテーブルで寝てしまっていた。
そうして帰らなかったどころか、次の日サマカーの屋敷に乗り込……行ってみると「町を出た」と暗に言われたのだ。ふざけるなと思った。あの魚を探すのにどれだか苦労したか。
……いえ、違うわね。
食事のことを言いたいのではない。私はただ、悔しかったのだ。
何も告げずにいなくなられた。その事で自分が放り捨てられたような気持ちになったのだ。
その程度のことで憤慨して、会えるともわからない人を探しに、私は生まれ育った国を出ようとしている。
我ながらどうかしていると思うけど、どうしても会いたい。会って一言言わないと気が済まない。
その後のことは、もうその後考えよう。具体的には式場を……って、違う違う。会ってから、考えるのは会ってからよ。
ゼノと知り合ったのは、市場で旅支度を整えているときに彼が護衛を募集しているのを見掛けたからだ。
ゼノ・コトブキ。コトブキというのは昔聞いたことのあるヨツバの言葉だった。めでたいこととか、祝い事という意味だったと記憶している。
だから彼が共和国出身であることは直ぐに解ったし、もしかして共和国に行くのでは無いかと思って声をかけたら、当たりだったというわけだ。
「向こうに行くまでに、日常会話くらいはできるようにならないとね」
「それなら道すがら俺が教えますよ」
「助かるわ、ゼノ」
「格安で王国騎士様の護衛が受けられてるわけですから、これくらいは」
「元、よ。あまり買い被らないで。ブランクもあるしね」
「『オッドアイの聖騎士』と言えば、国外でも知るものがいるほどの実力者ですよ。直ぐに勘を取り戻すでしょう」
「昔の話よ、あまり言わないで」
懐かしい名前だけど、今思うと少し安直というか恥ずかしい渾名だ。二十歳を過ぎてそこそこにもなる身としては、ちょっと赤面ものね。
遠回しな拒否が通じたらしく、ゼノは「すいません」と一言謝って終わりにしてくれる。
まったく。こんな風に、それも年下相手に気を使わせるなんて。何もかもあのぐうたら娘のせいだ。
少し思い出してみれば、すぐにあのぼんやりとした寝顔が浮かぶ。
毎日毎日気持ち良さそうに、鼻提灯を作ったり涎を垂らしてまで眠っていた、銀色の吸血鬼。
だらしなくローブを半分くらい脱いで、シーツに気持ち良さそうに身体を擦り付けて、すやすやと。
時々、呼気と言葉の中間のような小さな言葉を漏らすのが、すごく可愛らしかった。
それでいて優しく起こすと蕩けるような瞳で、「ふぇるのーとさぁん」なんて甘えるような声を出すものだから、私はついつい乱暴に起こしていた。あまりにも無防備で、堪らなくなりそうだったから。何が堪らないのか、自分でもよく解らないのだけど。
「まったく、もう、もう……アルジェったら」
「え? 今、アルジェって言いました?」
「ええ、そうだけど……どうかしたの?」
「いえ、知り合いが同じ名前と言うか、愛称というか……」
「……アルジェント?」
「ヴァンピール」
私たちはお互いに目をぱちくりさせて、しばし見つめ合うことになった。
世界は狭い――たぶんお互いがそう自覚した瞬間に、馬車の車輪が窪みを踏んで大きく跳ね、私は強かにお尻を打ち付けた。
「いったぁっ!?」
「うわわわっ!?」
今のも、あのぐうたら吸血鬼の所為。そうに違いないわ。
絶対捕まえて、一言文句言ってやるんだから。




