森を抜けて
「アルジェ姐さん、ほんとに行っちゃうんすか?」
「ええ。長居はできませんので」
本当は長居どころか永住するところを探しているのだけど、この森はちょっと無しだ。
まだ王国の領内だろうし、オズワルドくんは寄生対象としては外れる。
そんなわけでクロムさんを追い払った次の日、僕は出立することにしていた。僕のことを一生養ってくれる人を探しに行くために。
立派な鞍と手綱が着けられているネグセオーさんのお腹を撫でて、声をかける。
「似合ってますよ、ネグセオーさん」
「ふっ、そうか。アルジェントも美しいぞ」
「…………」
「どうした?」
「いえ、ありがとうございます」
ネグセオーさんって呼んでも反応してくれなくなっちゃった。残念。
鞍と手綱はオズワルドくんからの贈り物だ。なんでも、前に来た密猟者の持ち物らしい。
他にも魔力を流せば火がつくコンロやランタン、地図や毛布など、色々と渡されている。
貰ったものはすべて密猟者の持ち物……ぶっちゃけてしまうと遺品だけど、これからの旅には使えそうだから、有り難く頂くことにする。
そもそも密猟する方が悪いのだから、殺されても文句は言えない。僕が心を痛めるようなことでもないだろう。
「どれも中古品で申し訳ないっす、アルジェ姐さん! 一応取っといたもんなんで!」
「申し訳ないなんてことありませんよ。助かりました」
「あざーっす!!」
頭を下げるオズワルドくんの後ろで、同じように頭を下げる森の動物と魔物たち。
……随分と大仰なお見送りになりましたね。
彼らからすれば森を救ったわけだから当然と言えば当然なのかもしれないけど、少し大袈裟すぎる。
昨日は昨日で森のあちこちから動物やら魔物やらが来て、僕を拝んでいったり、貢ぎ物のような贈り物のようなものを渡してきたりした。
オズワルドくんが言うには、持ってきてくれたのは果物や食べられる木の実、薬草などらしい。
そうして貰ったものはすべて、ブラッドボックスに収納してある。
人から見れば手ぶらに見えるだろうけど、今の僕は旅の準備をきちんと整えた状態だ。
飲料水も、湧き水をかなりの量を貰っている。お陰で国を出るまでは、どこかの町や村に寄る必要は無さそうだ。
「国境は、あっちの方で良いんですよね?」
「はいっす! 本当は別の方向に行って街道を通っていけば国は出られるんすけど……出入国に手続きあるんっすよ。アルジェ姐さんはこっそり出たいんすよね?」
「ええ。目立たずに」
「それなら、やっぱりあっちの山を越えると良いっすよ。そうすればヨツバって名前の共和国っすから! 国境警備隊に気を付けてくださいっす!」
オズワルドくんが指差す先には、確かに山がある。
岩山ではなく、木々の多く生えた山だ。まだ遠く、小さな丘のように見えるけど、ここからでも深い緑の色が見てとれる。
彼の言葉では、樹海を抜ければ国の外だ。目的地は見えているのだから、のんびりと行くとしよう。
「あとは、これをどうぞっす!」
「……刀?」
「はいっす! アルジェ姐さん、やっぱ武器は持ってた方が良いんじゃないかって思って、密猟者の持ち物から良さそうなの選んでおいたっすよ!」
「ふむ……」
受け取って、抜刀してみる。
木漏れ日を浴びて鈍く光る輝きは、確かに刃物特有のもの。
刃は明らかに鋭い。落ちてきた一枚の葉に向けて振ってみると、するりと切れた。
「うおっ」
「? どうしました?」
「いや、見えなかったもんで……びっくりして」
一応手加減して振ったつもりだけど、結構速かったらしい。悪いことしちゃったかな。
……異世界にもあるんですね、刀。
日本特有の武器というイメージだけど、異世界にもあるようだ。いや、僕の他に転生した人が、製作方法を持ち込んだ可能性もあるか。
とりあえず眺めて確かめたので、刀を納める。
「魔具らしいっすよ、それ!」
「魔具……ですか?」
昨日も聞いた、というかリーディングでクロムさんのステータスを解析したときに出てきた名前だ。
オズワルドくんはこっちの態度から解らないのだと解ってくれたらしく、説明してくれた。
「特別な力のある道具のことっすね。自分の魔力を与えることで契約ができるっす。一回契約すると、契約者が死ぬまで、契約者にしか使えないっすよ」
「ふむ……そうですか。じゃあ、この刀の特殊な力は?」
「それは知らないっすね……どうもそれ、売り物だったらしいんすよね。契約さえしなければただの刀なんで、使えないわけじゃないんで安心してくださいっす」
詳細不明、か。迂闊に扱わない方が良いかな。変な能力だったら困るし。
刀のことは解らなかったけど、魔具がどういうものかは解ったので、ブラッドボックスの中に刀をしまう。
この刀を使うかどうかはとりあえず保留にしよう。使うにしても、普通の刀として使うことにする。
フェルノートさんは道具鑑定って技能を持ってたから、彼女なら何かわかるのかもしれないけど、いない人は頼れないし。
「それじゃ、僕はこれで」
「アルジェ姐さん、あざっした! 俺、もっと強くなります! 次は俺一人で、この森を守れるように!」
「そうですか……じゃあ、旅支度のお礼に、少しだけお手伝いを」
「え?」
「ん……血の契約」
指に牙を立てて、血を溢れさせる。流れた血をオズワルドくんの体毛に塗るように乗せて、言葉を紡いだ。
地面に水が染みるように、血が彼の身体の内側に染み入っていく。
「お、おおお!?」
見た目には変化はない。けれど、オズワルドくん本人は自分の身体がどう変化したのか解っているようだ。
僕の方でも、彼が明らかに先程までと比べ物にならないくらい強くなったのだと解る。お互いにもう、繋がっているから。
血の契約。血を与えたものを僕として、能力を向上させる技能。
血を与えたものは吸血鬼のようにになるわけではなく、単純に能力が強まる。そして主側は僕側に対して強制力のある命令を行える。
もちろん後半の強制力を使うつもりはない。僕がやっていることは、単純なお礼だ。
……この森も、お昼寝には良いところですしね。
永住はともかく、お昼寝しに来るだけなら良い場所だと思う。
お昼寝に最適なこの森を、是非守っていてもらいたい。そういう気持ちでの、ほんの少しの助力だ。
「……アルジェ姐さん。マジであざっした!!」
短いお礼の言葉。無駄に言葉を重ねなくても通じる程度の繋がりが出来たと、そういうことだ。
地面に頭が引っ付くのではないかというくらいに頭を下げるオズワルドくんの頭を、軽く撫でる。短毛の感触はさわさわしてて心地好かった。
血の契約を与えた相手は連れ回す必要はない。こちらから命令を与えない限り、意思は尊重される。
実は高いレベルの血の契約は相手の意思を完全に剥奪することもできるのだけど、そんなことをする気はない。
ただのお礼で、なんとなく、「良いな」と思っただけだ。
自分の場所があって、それを守るために奮闘したいと言える彼のことを、応援したくなったというだけ。
一通り彼の頭を撫でて、僕はオズワルドくんから離れた。それが別れの合図だと解ったらしくて、オズワルドくんは顔を上げる。
彼の顔は、やっぱり精肉店のマスコットみたいに人懐っこい笑みだった。
「よいっしょ」
馬には乗るのは久しぶりだったけど、意外とすんなり乗れた。身体が覚えていたらしい。
鞍にお尻を落ち着けて、手綱を軽く握る。手綱を絞るようなことをしなくても、言葉さえかければ歩いてくれるので、そうした。
「お願いしますね、ネグセオーさん」
「さんはいらない。ネグセオーで良い」
「良いんですか?」
「嗚呼。開き直ることにした」
「では……お願いします、ネグセオー」
「ふっ。任せろ」
ゆっくりとネグセオーが歩を進める。後ろからは多くの魔物、動物、鳥の声。
こうも声をかけられたらさすがにほんの少しは名残惜しいけれど、振り返ることはしなかった。
声が遠ざかっていくのを感じながら、瞳を閉じる。
「眠るのか、アルジェント?」
「そうですね。疲れたら言ってください、ネグセオー。休憩にしますから」
「嗚呼。そうさせてもらおう」
ネグセオーの足音とそれに合わせて感じる揺れが気持ちいい。
風の匂いと遠くなる声を感じながら、僕は少しずつ意識を暗くしていく。
移動手段を手に入れられて、本当に良かった。凄くらくちんだ。
得たものに満足しつつ、僕の意識は夢へと沈んでいった。
国境まではまだ遠く。
眠る時間は、たくさんだ。




