森の守護者
「ブモォォォォ!!」
横凪ぎに振るった斧は虚しく空を薙いだ。完全に捉えたと思ったが、当たらなかった。
むしろ傷付いたのはこっちの腕だ。傷は浅いが確かに血が流れて、大地を汚す。
……どういうことっすか!?
理解ができなくても、武器を振り続けるしかない。戦闘は継続しているのだ。
しかし幾ら試みても俺の攻撃は当たらない。相手の「見えない攻撃」だけが、少しずつ俺の身体を切り刻んでゆく。
「遅いなぁ……遅いやつに生きる価値はないよぉ ?」
「っ……!?」
耳元で、ひどく楽しげな声がした。乗っている。俺の肩に。いつの間に。
背筋を指先で撫でるようなゾッとした感覚に、俺は素直に従った。斧を手放して顔横に裏拳をぶちこんだのだ。
即座の動き、それも武器を捨ててまで得た速度だ。対応は――
「――流れろぉ」
あっさりと、対応された。
避けられた。通じなかった。
それだけじゃない。片側の耳の感覚が、聴覚ごと失せている。感じるのは鋭い痛みだけだ。
相手は俺から一瞬で離れ、まるで木の葉でもつまむように俺の右耳を見せびらかしてきた。
「ぐ、くっ……!」
「あっはぁ~♪ そんなにノロマで生きてて楽しいのぉ? ボクが牛さんみたいにノロマだったら、つまらなすぎて死んじゃうかもぉ! キャハハハァ!」
「舐めるなよ……この密猟者がぁ!!」
もがれた耳のことを考えている暇はない。
武器は拾わなかった。斧を振っていたのでは遅いと思ったからだ。
……くっそ、今日は翻弄されてばかりっすね!
アルジェ姐さんにも今目の前にいる密猟者にも、触れることすらできていない。
どっちもひどく細身で、当てられれば一撃で倒せそうだ。だが、その一撃がどうしても入れられない。
アルジェ姐さんはとにかく速かった。しかしこいつは――まるで幽霊だ。
「揺らいで、流れろぉ」
攻撃を当てたと思っても、煙のように揺らぐだけ。そして次の瞬間には――
「ぐうっ!?」
――俺の方が傷付いている。
理解不能の一撃。額を浅く割られた。流れ出た血で右の視界が塞がる。
回避方法もそうだが、攻撃の正体も解らない。肉を薄く、しかし鋭く裂かれていることを考えれば斬撃だが、相手は見たところ無手なのだ。
「ヌゥゥ……ブモォッ!!」
見えないが、攻撃されたのならまだ近くにいるはずだと考え、全周囲への回し蹴りを放った。
足先は蹄、足そのものは筋肉の塊だ。自己評価だが、当たれば決して無事では済まない。
「当たれば凄いよねぇ。当たればぁ……流れろぉ!」
その言葉を最後に、もう片方の聴力も切り取られた。
「――――――!!」
もはや自分の苦悶の声さえも聞こえない。
恐らくはただ切り取ったのではなく、何らかの呪いも含んだ攻撃だ。痛みに鈍感なミノタウロスの肉体にも確かに響く上、切り取られただけで鼓膜までも抜かれているのだから。
「――――」
相手が何やら言っているが、当然聞こえない。
底意地の悪い笑みだ。こちらが聞こえないことを解っていて言葉を作っているのだろう。笑いながら俺のもう片方の耳を、ゴミのように捨てた。
怒りはない。ただ、焦りはある。
俺が死んだら、あの密猟者に森のすべてが奪われてしまう。
森の恵みも、それを受けるべきものたちも。
「――――――!!!!」
させるものかよ、という言葉は聴覚には響かなかった。それでも己を鼓舞するための言葉を作り、駆ける。
自分の動きが早いとは思わない。相手の戦い方の正体も解らなければ、どうすれば通用するのかも思い付かない。
相手は明らかにこちらで遊んでいる。その気になれば簡単に俺のことを殺せるはずなのに、いたぶっている。それくらいの実力差があるんだ。
……それでも、退くわけにはいかないんっすよ!
俺の後ろには大切なものがある。じっちゃんの代から守り続けていた森が。
子供の頃からずっと何時かは自分が守るのだと、そう決めていた場所が。
俺の家。守るべき場所。愛すべき仲間のいるところ。
小鳥と獣の声、風の音、水の流れ、暖かな木漏れ日、魔物たちの営み。
ひとつとして汚させはしない。荒らさせはしない。
ここは俺たちの場所だ。俺たちが生きてきた世界だ。
俺以外のミノタウロスは身体はデカいが殆どが温厚で、戦いには向いていない。コボルトやゴブリンも、臆病な気質だ。
まともに戦えるのは俺だけなんだ。俺が守らなきゃ、いけないんだ。
「――――」
相手の笑みが揺らぐ。まただ。また、不可視の攻撃が来る。
「――――!?」
斬られる前に、半分の視界の中に唐突に銀色が現れた。
どこからやって来たのか。いや、いつの間にやって来たのか。その人は銀の髪を靡かせて、俺の方に目を向けた。
「――――」
彼女の小さな唇が動いた。
声は聞こえない。それでも俺は、その人がなんと言ったか解った。見たことが、聞いたことがあったからだ。
それは今日、はじめて聞いた言葉。
小鳥が囀ずるよりも優しく響く、歌声のような言葉。
聞こえなくても、確かに思い出せる言葉。
痛いの痛いの、とんでいけ。




