得だった
「フェルノートさん、いつもの服ですわ。あんまりにもぼろぼろですから、着替えてくださいですの」
「ええ、助かるわ、クズハ。やっぱりこっちの方が落ち着くわね」
いつもの服を渡されて、フェルノートさんが手近な瓦礫の影に消える。
ややあって、いつも通りの格好になったフェルノートさんが戻ってきた。
「……さすがにあの高空では、僕の回復魔法も届きませんね」
空へと飛んで行った黒と赤を見上げて、僕は呟いた。
吸血鬼の視力で充分に見えてはいるけれど、あそこに行こうと思えば僕も蝙蝠に変化する必要がある。そしてその姿で行ったところで、かえって邪魔になってしまうだけだろう。
一応身体の一部だけを蝙蝠にすることも出来なくはないけれど、それも練習している訳では無いので、手伝いにはならない。
「だとしたら、今はおふたりを信じて……この人を見張るしかありませんわね」
「そうですね。放っておくと、なにをしでかすか分かりませんから」
「ええ。こういうタイプは本人の能力がない分、どんな隠し札を持っているか分からないもの」
「……妙な動きをすれば、射貫きます」
「随分と嫌われたものだね、僕も」
「好意的な要素がなにひとつありませんからね」
全員に囲まれても、クロガネさんは余裕を崩さない。
先ほど、ギンカさんが起き上がって『黒曜』が新型になったときには驚いていたようだけど、もう気持ちを落ち着けたようで、
「心配しなくても、この状態で動こうとは思わないさ。たとえ彼女たちがどれだけ強くなろうが、新型の『紅玉』に迫るものではない。僕はのんびりと、王様が仕事を終えて帰るのを待つとするよ。そのとき、立場が逆転するだろう」
「……弱点のひとつでも吐かせるべきでしょうか?」
「無駄よ、アオバ。こいつは喋らないわ。そういう顔をしているもの」
「ふふ。さすが聖騎士様は人を見る目があおりだ」
フェルノートさんの言葉に頷いて、クロガネさんは手近な瓦礫に腰掛ける。
これだけの敵意と、リシェルさんに至っては弓を向けているというのに、その様子は穏やかですらあった。
「……すべてが終わったら、あなたを拘束します」
「良いのかい、銀……いいや、アルジェちゃん。今ここで僕を殺さなかったら、後悔すると思うけどね?」
「そういう判断を下すのは、僕ではありませんから」
僕がここまでやってきたのは、彼と話をするためだ。
転生してもなお玖音を名乗る彼の真意を、知りたかった。
そしてそれは、もう叶ってしまった。断絶という答えを得てしまった。
きっとどれだけ語り合っても、僕たちが相容れることはない。
ならばあとは、この世界に生きる人が彼をどうするかだろう。
僕はただ、自分のワガママでここまで来ただけで、誰かを裁く権利なんか持っていないのだから。
「でも……これ以上、みんなのことは傷つけさせません」
「……そうかい。本当に君は、あの世界に合っていなかったんだろうな」
「僕は、それで良かったと思っていますよ」
あの世界で生きられなかったから、この世界に生まれ変わることができた。
かつての僕が幸せだったとは思わないし、多くの人に迷惑をかけて、悲しませたとも思うけど。
今こうして、僕がこうやって立っていられるのは、転生を得たからだ。
だって、本当は出会えなかったのだ。
旅の仲間だけじゃない、この世界に来て出会ってすべての人に、僕は出会うことができた。
玖音の失敗作として死ぬだけでは得られなかった多くを、この世界で得ることができたのだ。
「きっと、この世界に来たことは僕にとって得だったんです」
ただの虚ろで、空っぽで、生きているなんてとても言えなかったような存在が、こうして生きていることが嬉しいと思えるところまでこれたのだ。
それはかつての辛さを自覚したり、後悔したり、良いことばかりでもなかったけど、それでも。
「僕は今の僕が……アルジェント・ヴァンピールが好きですから」
はじめて自分のことを好きだと思えることができた、そのきっかけをくれたこの世界のことを、僕は気に入っている。
だから、できるだけのことをしようと思う。本当に危なくなれば、『黒曜』の援護にも行くつもりだ。
「……ギンカさん、シオンさん」
言葉が届いていないと分かっていても、僕はふたりの名前を呼んだ。
空の上では黒と紅が何度もぶつかり合い、悲鳴のような激突音を奏でていた。




