大脱走
「ふう……少しずつですけど、落ち着いてきましたわ」
「ありがとうございます、クズハちゃん」
「気にしないでくださいな」
前までなら、その言葉で気にしないということはできなかっただろう。
だけど今の僕なら、それでいいのだと理解できる。
プラスマイナスゼロにしなくても良い関係。それが、友達というものなのだろう。
寄りかかるばかりではダメだけど、寄りかかることは悪いことじゃないと、そう思える相手、そう思っても良い相手なのだ。
回復魔法が効いてきたらしく、クズハちゃんは自分の身体の調子を確かめるようにして、その場で数回ジャンプして、
「では、そろそろ行きますわよ、アルジェさん。他の方々も、アルジェさんの回復魔法を頼ってあなたを助けに来ていますわ」
「あ……そうですよね。すみません」
「そういうの、ちゃんと私以外にも言った方が良いですわよ」
「う……そうします」
たぶん、青葉さんやフェルノートさんあたりは凄く怒っている気がするので、またちゃんと謝らないといけないだろう。
今回の件に関しては僕が全面的に悪いので、素直に怒られよう。
「ほら、いつまでも辛気くさい顔になってないで、さっさと行きますわよ」
「……謝るときのことを考えると気が重いですが、仕方ありませんね」
不思議な気分だった。
さっきまで僕は、玖音の家に怯えて、みんなに逃げて欲しいと思っていた。
それなのに今は外に行って戦闘があることよりも、仲間に謝ることの方が面倒に感じてしまう。だって間違いなくフェルノートさんとか、もの凄く長いお説教してくるだろうし。
友達に怒られて、泣いた。
たったそれだけのことなのに、随分とすっきりした気分だった。
「ところでクズハちゃん、ここってどこですか? 気がついたら拘束されてたんで、よく分からないんですけど」
「塔みたいなところの上の方ですわ。正確な位置は分かりませんけれど、だいぶ登りましたわよ」
「ふむ……いちいち階段で降りるのも面倒くさいですね」
たぶんこれだけの技術を持ち込んでいるのならエレベーターのようなものもあるかもしれないけれど、それを探すのも手間だし、早くみんなと合流したい。
面倒を感じた時点で、僕はさっさと動いていた。
僕がクロガネさんに施されていたのは単なる拘束であり、物を取り上げられたりはしていない。恐らく、その必要を感じなかったのだろう。
「……『夢の睡憐』」
するりと空気を揺らして、刃を抜き放つ。
手の中に宿る感触が、熱くなった心を冷やすようで心地良い。
「アルジェさん、どうするつもりで――」
「――面倒くさいんで一気に行きますね」
言葉通り、一気に行った。
刃を突っ走らせるのは床。抜くときのように、すんなりと切っ先が床を開く。
形の無いものを斬るという効果以前に、『夢の睡憐』は単純な刀としても優れている。吸血鬼の膂力と僕の速度で扱えば、足下にある薄い鉄板を斬る程度なら、造作も無いことだ。
望み通りに床板が抜かれ、僕たちは床ごと下層へと落下した。
「……アルジェさん、派手なことをするならその前に説明してくださいですの」
「え、ああ、すみません、つい……」
「まあ、確かに早いですけど……下に人が居たらどうするんですの」
「あー、言われてみればそうですね……」
クズハちゃんの言うとおり、これで降りると真下に誰かいた場合、下敷きにしてしまう。
幸い今は誰もいなかったようだけど、味方を潰してしまったら大変なので、さすがに止めた方がいいか。
「仕方が無いですね、歩いて行きましょうか……ん……?」
「……嗅ぎ覚えがある匂いがしますわね」
お互いに、同じものに反応していたらしい。
漂ってくる匂いは、親しんでいるわけではないけれど、どこかで嗅いだ覚えがあるものだった。
周囲を見渡せば、いくつかの檻のようなものが並んでいる。
「……ここは牢獄?」
僕以外にも、吸血鬼を捕まえて兵器に仕立て上げていたのだ。捕えたものを置いておくためのスペースがいくつもあっても不思議ではない。
だとすると、このどこか懐かしいと感じる匂いは――
「――ダークエルフの皆さん、ですか?」
「お客人……!?」
「あ……やっぱり」
リシェルさんが治める領地で、猟犬部隊はダークエルフたちを攫っていった。
短い間だったけれど、あそこで過ごした優しい時間のことは忘れていない。
なにより、彼らはリシェルさんが取り戻そうとしている領民たちなのだ。ここで見つけることができたのは幸運だった。
ひとりのダークエルフが僕たちのことに気付くと、檻の奥から何人ものダークエルフたちが顔を出してきた。
「どうしてここに、お客人が……!?」
「ええと……リシェルさんと一緒に、助けに来ました」
「領主様が、来てくれたのか……」
「ええ。ですから……行きましょう、皆さん」
答えは、聞くまでもないだろう。
戦えない人もいるのだろう。見渡せば子供もいるし、誰も彼もが疲れた顔をしている。きっと良いものなんて食べていないし、不安でろくに眠れても居ないはずだ。
それでも、彼らの瞳は強かった。さっきまでの僕よりもずっとずっと綺麗な、諦めのない瞳だった。
「檻を壊しますわ!」
「ええ。お願いします、クズハちゃん」
クズハちゃんと協力して、ダークエルフたちが捕えられていた檻を手当たり次第に壊していく。
当然彼らは武器なんて持っていない。だけど魔法は得意な人が多いはずなので、充分に頼りになる。守りながら行くと考えるよりは、戦力だと思ってもいいだろう。
「元気になあれ」
回復魔法をかけてあげれば、軟禁生活で疲弊した魔力と体力も、少しは戻る。
なんらかの呪いがかけられていたりするかもしれないので、それを消す意味でも、僕はダークエルフたちに回復魔法を施した。
「さて、それじゃあ……」
「脱走開始、ですわね!」
「俺たちもやるぞ!」
「お客人に助けられてばかりじゃいられないからな」
「みんなで、領主様のところに帰るんだ!」
いつの間にか、随分と騒がしくなってしまった。
だけどそれが今、不思議と嫌ではない。
とてもお昼寝なんてできるような雰囲気ではないのに、どこか嬉しいとすら思ってしまっている自分がいる。
「……ふふ」
「どうかしたんですの、アルジェさん?」
「分かりません。でも……たぶんきっと、これは悪くない気分です」
自分の中に生まれてくる感情が、自分でも理解できない。言葉にできないから、説明もできない。
分からないけれど、不安はない。胸の奥に宿ったあたたかさは、手放したくないと思えるような心地よさだ。
「……ああ」
玖音の家では、こんな気持ちにはなれなかった。
あの世界では一度として、心から笑えた記憶が無い。
そんな僕を見て、救おうとしてくれた人がいる。今なら分かる。
使用人として仕えてくれた流子ちゃんと、花を届け続けてくれた青葉さん。
僕はそんな優しさにも気付くことができずに、あの世界を去ってしまった。
「……このため、だったんだ」
ようやく、僕が転生したことに納得がいった。
僕はきっと、この気持ちのことを、この胸のあたたかさを知るために、この世界にやってきたんだ。
玖音がいた世界では決して得ることができないものを得るために。玖音という檻の中から、出て行くために。
「行きましょう、皆さん!!」
了解を示す言葉が返ってくることを心地良いと思いながら、僕は誰よりも前へ出た。
胸の奥に灯った感情。その名前を、探しに行くために。




