なかなおり
「……少しは落ち着きましたの?」
「……はい、なんとか」
ずび、と鼻をすすって、僕は頷いた。
どれくらい泣いたのか。終わらないようにも思えた感情の暴走は、少しずつだけど落ち着いて、最後には涙も枯れた。
「あの、えっと……クズハちゃ……ひたっ!?」
なにを言えばいいのかもわからないままに口を開いた僕の額を、クズハちゃんのでこぴんが打つ。怒っているからか、わりと強めだった。
「勝手に納得して、勝手にいなくなって……ほんっとうにアルジェさんは友達付き合いが下手ですのね」
「う……ごめんなさい……」
「巻き込みたくない、なんて……そんな優しさ、いりませんわ。だって私は、巻き込まれたくてここにいるんですもの」
「でも、僕は……みんなに傷ついて欲しくなくて……」
「……アルジェさん、それは自分も当てはまると思いませんの?」
「ふぇ……?」
言われた言葉の意味がわからずに首を傾げると、クズハちゃんはやれやれと首を振って、
「私たちだって、アルジェさんに傷ついて欲しくないと、そう思っているということですわ」
「あ……」
「アルジェさんが私たちを大事に思ってくれるように、私たちだってアルジェさんを大事に思っているんですの。そうでなければこんな所についてきませんわ」
否定の言葉は出てこなかった。
だって僕はもう、それが正しいことだと知っている。
みんながここまでついてきてくれて、これだけ勝手をした僕を助けに来てくれた。
そんなの、大切に思ってくれていなければ、してくれるはずがない。
「アルジェさんは、誰かのために泣いてしまえるほど優しくて、そのくせ自分をすり減らすしか知らないほど不器用で……だから、放っておけないんですのよ」
「う……ごめん、なさい……」
「きちんとみんなにも謝らなくてはいけませんわね。けれど、その前に……アルジェさんのやりたいことを、改めて手伝いますわ」
「……も、もう、怒ってないんですか?」
「心配しなくても、まだカンカンに怒ってますわよ」
「ご、ごめんなさい……」
我ながら、クズハちゃんに怒られて随分としょんぼりしてしまっている。
どうも泣いてから気弱になっているというか、いつものようにフラットな気持ちでいられない。自分でも、自分の変化に戸惑ってしまっているほどだ。
……いつから、こんなに自分の気持ちを動かすのが下手になったんだろう。
思い返してみれば、随分前から自分の気持ちをきちんと制御できない時があったような気がする。自覚してしまうとひどく恥ずかしい気持ちになる。
「え、と……クズハちゃん、そのう……」
「ややこしい話は後ですのよ。今は、そのしょんぼりした顔をなんとかすることからですわ」
僕と違って、クズハちゃんは随分とすっきりした様子だ。
彼女はするり、と自らの服を軽く崩すと、狐色の目をこちらに向けて、
「言いたいことも、聞きたいこともたくさんあります。けれど……まずは仲直りのために、この血をアルジェさんにあげますわ」
「きゅ、吸血しろ、ということですか?」
「ええ。だってアルジェさん、自分から言ってこないんですもの。先ほどの戦闘で疲れもあるでしょうから、吸血は大事ですのよ」
「……でも、友達から血を吸うのは……」
「友達だからこそ、ですのよ」
躊躇う僕の手に、クズハちゃんの手が重なる。
小さくて、だけど、あったかい。まるで彼女の心のように。
「迷惑をかけあっても、喧嘩しても、仕方がない人だと思っても……それでも、好きだと思えるんですの。だから……」
「クズハちゃん……」
「……来てください、アルジェさん」
手を引かれることに、僕はもう抗わなかった。
頭の中によぎるのは、アイリスさんに貰った言葉。誰かを頼ってもいいと、そう言われたことを思い出す。
「……ありがとうございます、クズハちゃん」
抱き寄せられることを、嬉しいと感じながら。
僕は友達の首筋に、牙を突き立てた。
「は、ぅ……!」
耳元で、聞き慣れた声がする。
これまでに何度も聞いてきて、ひどく聞き慣れた声。
びくんと跳ねた身体を抱きしめて、僕は彼女に傷口を作った。
とぷりと溢れ出る血液を口に含めば、甘くて、熱い。
「ん、く……ぢゅるっ……」
すがりつくように吸い付いて、僕は喉を何度も鳴らす。
……美味しい。
相手の体温を取り込んで、自分のものにしていく感覚。
お腹の奥から温度が広がって、心までが満たされていく。
抱きしめられる感触に安心を感じて、僕は遠慮を無くしていく。
これまでずっと一緒に旅をしてきた友達に、はじめて牙を立てる感覚が、ひどく興奮を煽っていく。
「ん、ぁ……アルジェさん……んっ……」
「じゅる、ごくっ……ん、ふぁ……クズハちゃん、美味しい……」
喉を鳴らす音が何度も響き、クズハちゃんの小さな身体が震える。濡れた、うっとりとしたようにも聞こえる声がする。
甘い声と血の味が脳を痺れさせ、心までを熱くする。おかわりをせがむように傷跡に舌を這わせれば、より強く甘さが溢れ、口の中にもっと深く、濃厚に広がっていく。
「ちゅ、こく、こくんっ……ぷぁ……」
「く、ぁ……あ、アルジェさ……う、ぁ……」
甘くて、優しくて、熱い。
身を震わせて甘ったるい声を漏らすクズハちゃんが、たまらなく可愛いと思えてしまう。
ぴちゃぴちゃと行儀の悪い音を立てて、僕は彼女の血を味わう。
「は、ん……アルジェさん……すき、すきぃ……」
「ん、クズハちゃ……こくっ、おいしい、よぉ……」
血の味も、声も、ぬくもりも、ぜんぶ抱きしめてあげたい。
受け入れられる幸せを食い荒らすようにして、僕は喉を鳴らす。
クズハちゃんの体温が、命が、お腹の奥で弾けて、たまらない。ぞくぞくとしたものが全身を痺れさせて、脳に幸せが満ちていく。
夢見心地で、僕はクズハちゃんを抱いて、血を啜った。
「ん、はぁぁぁ……ちゅ、んんっ……」
「……あ、ぅ……あ……」
「あ……ご、ごめんなさい、クズハちゃん! 痛いの痛いのとんでいけ!」
受け入れられたとはいえ、あまりにも夢中になりすぎた。力を失い始めたクズハちゃんに、僕は慌てて回復魔法をかけた。
ややあって、造血の効果が出てきたのか、クズハちゃんは溜め息を吐いて、
「やっぱり、血を吸われると体力は消耗するものですわね……」
「ええと……ご、ごめんなさい……その、ちょっと吸いすぎました……」
「もう、さっきから謝ってばかりですのよ?」
何度目かになるこちらの謝罪に、クズハちゃんは気にしなくてもいいという風に笑って、
「私が好きで、こうしているのですわ。だから……受け入れてくれた方が、嬉しいんですのよ」
「……ありがとうございます、クズハちゃん」
「ええ。どういたしまして。……もう、勝手はなしですのよ?」
「……はい」
さすがにここまでされれば、鈍感な僕でも理解できる。
もうクズハちゃんにとって、僕は大切な存在なのだ。だから僕がどう思っても、なにを言っても、彼女は勝手に僕のことを心配するし、勝手についてくる。
僕が自分のことを価値がないと思っていても、相手はそう思わずに、大切にしてくれるのだ。
「……もう、置いていったりしませんよ」
そしてそれは、きっと僕も同じだ。
クズハちゃんが危ない目にあっていれば、例え彼女が平気だと言っても、僕は平気ではいられないだろう。
彼女が泣いていたら、例え彼女が放っておいて欲しいと言っても、側にいたいと思うのだろう。
それはどうしようもない程に、さっきまでのクズハちゃんと同じで。
「友達、ですから」
言葉としては知っていても、理解はできていなかった『友達』という言葉を、僕はおそらくはじめて本当の意味で口にした。
触れている相手の手のぬくもりが少しずつ戻ってくる。たったそれだけのことでさえ、ひどく安心してしまう。
「……もう、離したりしませんわ。ぜったいに」
「……はい。それでいいです。ううん……僕も……それが、いいです」
心の奥から溢れてきた肯定はあまりにも自然で。
また、言葉といっしょに涙が流れた。




