消えることのない痛み
「ふふ、私のことを覚えてくれていたのね。嬉しいわ、とっても」
「あなた、どうしてここに……!」
「アルジェントのことは監視していたもの。いつどこで、なにをするのか……きちんと時間を合わせて、私もこうしてここに来たのよ?」
「……残念ですが、アルジェさんはここにはいません」
「ええ、知っているわよ。見ていたから」
こちらが睨みつけても涼しい顔をして、彼女はゆったりとした調子でこちらに歩み寄ってくる。
エルシィの名前を知っている反乱軍の者たちは明らかに警戒を強め、リシェルさんも弓を構えている。
「――!!」
「――」
「っ――」
なにかを話した気配があり、リシェルさんは呆然とした顔で弓を降ろした。
「あなた……古代精霊言語を、喋れるのですか?」
「もちろん。それくらいは生きているもの」
「……なにを言ったんですか」
自らのツタを伸ばして戦闘態勢を取りながら、私は油断なく言葉を投げる。
相手はアルジェさんと同じ、紅の目を楽しそうに細めて、
「心配しなくても、悪いことは言ってないわ。手伝いに来たから、やめなさいと言ったのよ」
「手伝い……?」
「あなただって、私と伯爵の間に因縁があることくらい、分かるでしょう?」
「……そのようですね」
共和国の首都で見た『黒の伯爵』と呼ばれる吸血鬼と、目の前のエルシィ。ふたりの間で、過去になにかあったことは、察しがついている。
こちらの返答に、彼女はゆっくりと頷いた。
「ええ。だから、利害が一致してね。どっちも結果的に帝国と戦うことになるなら、協力した方がいいと思って」
「……信用できません」
実はあのとき、アルジェさんと彼女が話しているのを少しだけ盗み聞きしていたので、そういう約束があったことは知っていたけれど、まさか本気だとは思っていなかった。
むしろこの厄介な状況で、一番面倒なタイミングで邪魔をしてくるとばかり思っていた。
「しなくていいわよ、私だってして欲しいと思っていないから」
こちらの鋭い瞳を受けても軽い調子で答えて、エルシィは歩く。
敵地でありがなら、その様子は気軽だ。自分の力にどこまでも自信があるのだろう。
誰もが彼女に注目しながらも動けない中で、エルシィはクズハちゃんの前で止まった。
「……随分とひどい顔ね、小狐ちゃん?」
「あなた、は……」
「項垂れている暇があるなら立ちなさい。あなたの大事なお友達が危ないのよ?」
「……でも、私は……」
「ふふ、それとも……私がアルジェントを花嫁にしてしまってもいいの?」
「っ……!!」
クズハちゃんの目に、明らかに意思が灯る。
狐を見下ろす吸血姫の目には、言葉とは裏腹に、かつて会った時のようないやらしさはなかった。
「私は諦めないわ。どこまでも、自分のやりたいことを突き通す」
「それは……」
「昔、そうしなかったのよ。それで、死にたい程に後悔したの」
「っ……!!」
「あなたはどう? 過去にそうしたいと思って、そうしなくて……二度と、手に入らなくなってしまったものはある?」
静かな口調で語りかけるエルシィを見て、私はひとつのことを感じていた。
……同じなんですね。
クズハちゃんがどうして、アルジェさんと友人になったのかは聞いている。
母親に「待っていろ」と言われて、彼女は待ち続けて、結果として母親は命を落としたのだ。
そして私も、銀士さんに手を伸ばそうとして、その手が届く前にいなくなられてしまった。
エルシィの過去を、私は知らない。知りたいとも思わない。
それでも、今彼女の瞳に宿る感情のことを、私は知っている。
泣きたくなって、命を捨てたくなって、身を焦がしそうな程に自分を痛めつけるもの。
その感情の名前は、後悔だ。
「……もう、何百年も前よ。それでも、それでも……毎日、もしもあのときこうしていればと、そう思うの」
「エルシィ、さん……」
「……あなたは、どう?」
「私は……わたし、は……!!」
エルシィは手を差し伸べるようなことはしなかった。
必要以上の優しさや、馴れ合いはない。私たちは結局のところ、利害が一致しているだけで友人ではないのだ。
けれどクズハちゃんには、それで充分だったらしい。
「っ……ふざけるんじゃ、ありませんわよ!!!」
咆哮は高らかに響き渡り、夜の空気を揺らした。
隠れているという状況を完全に無視した声だけど、誰もそれを咎めはしなかった。
立ち上がったクズハちゃんの瞳は未だに濡れていて、けれど強い意志を宿していた。
「なんなんですの! 聞かれたくないんだろうと思って聞かなかったですけれど、結局ああやってひとりで行ってしまって……友達ですのよ! 私は! あの人の! アルジェさんの! 友達!!」
「く、クズハちゃん、さすがにちょっと落ち着いて?」
「落ち着いてなんていられませんわ!!」
むきーっと歯を剥き出して、クズハちゃんは吠える。
敵にはとうに見つかり、気配が近づいてくるけれど、クズハちゃんは止まらない。
「私はあの人の傍にいると、そう決めたんですの! もう嫌がられたって構いません、首根っこを掴んででも、連れ戻しますわ!!」
「いたぞ! 反乱軍の残党どもが――」
「――うるさいですの!!」
仲間を呼ぼうとした敵に、狐が炎を投げつけた。
家屋に激突した火はあっという間に広がり、大騒ぎとなる。
まるで激情のように燃え盛る炎を背景に、クズハちゃんは反乱軍を見渡して、口を開いた。
「皆さん。手伝いをお願い致しますわ。私の友達を……助けたいんですの!」
「……ああ、そうだな」
「あのお嬢さんももう、俺たちの仲間だ」
「貴重な回復手だしな」
「私、あの子に足を治してもらったのよ。今、こうして立っているのは、あの子のお陰」
「じゃ、今度は俺らが助ける番だな」
「そうだな。あの子、うちの子の面倒よく見てくれたし、いなくなられたらうちの子が悲しむ」
「俺、作業中にお腹鳴らしたことあって、あの子が手作りのパンくれたぜ」
「なに羨ましい目にあってんだお前、後で倉庫裏こい」
「バーカ、この戦いが終わったら反乱軍は解散だ。倉庫なんて無くなるよ」
少しだけ笑いが起きて、反乱軍のみんなが立ち上がる。
誰もが傷を得て、それでも、まだ瞳に力が灯っている。
「残党で結構、まだ闘志は残ってるわよ」
「おう! きっとリーダーだって、まだ戦おうとしてるぜ!」
「だったら俺たちも、まだ、負ける訳には行かねえな」
「……行きますわ! ほら、あなたも手伝ってくれるんでしょう、エルシィさん!」
「……くす。当然でしょう」
エルシィが髪をかきあげて、その隙間から紅の破片がこぼれ落ちる。
血の塊のような、深い紅色。それらははじけて、そこから無数の生き物たちが現出した。
魔物や生き物を無理やり繋ぎ合わせたような、キメラと呼ぶに相応しい存在たち。それらを愛おしそうに眺めて、エルシィは言葉を作る。
「私の配下たちよ。反乱軍たちは襲わないように言ってあるから、心配せずに行きなさい」
エルシィが指を振り、それを合図として、無数の魔物たちが放たれる。
「それじゃあ、私は好きに動かせてもらうわね」
「……ありがとうございますわ」
「ふふ。利害が一致しているだけなのだから、気にしなくていいわよ」
にんまりと笑うと、金色の吸血姫は跳躍した。そのまま、金髪のなびきが夜の街に消えていく。
本当に、必要以上の協力をする気はないと、そういうことだろう。
「……クズハちゃん」
「ええ、青葉さん! 着替えましょう!」
「え、今ですか!?」
「健全な精神は健全な服に宿りますわ! もう潜入作戦は失敗なのだから、元の服に戻るべきですの!! ええ、その方が気合が入りますわ!!」
「わ、わかりました」
よく分からないけれど剣幕が凄いし、やる気になったのならなによりだ。
反乱軍のみんなと慌てて服を着替えながら、私はこれからのことを考える。
「……きっと助けますよ、ぎん……いいえ。アルジェさん」
もうあなたは、ひとりではないのだから。




