消せない記憶
「……ひどい状況ですね」
言いたくはないし、言うべきではないのかもしれない。
それでも、弱音が漏れてしまうことを止められない。
周囲には怪我を得た人ばかりで、回復する手段はなく、せいぜいアルラウネである私が生み出せる疲労回復効果のある果実を食べさせることくらいしかできない。
遠くから聞こえる戦闘音ははぐれてしまった仲間か、あるいは時間を稼ぐためにあの場に残ってくれたフェルノートさんのものか。
私たち、アルジェさんたちの旅についてきていた仲間ははぐれることはなかったけれど、それでも、ふたりともひどい顔をしている。
リシェルさんはなにも語らず、ただ強く手を握り締めて下を向いて、クズハちゃんはずっと泣いているようだった。
「……銀士さん」
もはや私の声を聞いている人などいないだろう。
だから私は遠慮なく、彼の名前を呼んだ。
「……馬鹿な人」
あの人はいつもそうだ。
優しいようでいてどこか意固地で、人の話を聞かずに、普段はのんびりしているくせに、気がついたら勝手に自分がしたいことを決めて、いなくなってしまう。
そうしてあの人は玖音という世界から消えた。
そして今度は、この世界からも消えようとしている。
「……何度も置き去りになんて、させませんから」
私をひとりにすることだけじゃない。
転生前の世界よりもずっといい人に囲まれているのに、彼はいつの間にか、またひとりになろうとしている。
私がひとりになることも、彼がひとりになることも、もう許せない。許したくない。
たとえ嫌がられても、面倒な女だと思われたって構わない。
玖音の世界で、もっと早く彼を助けるべきだったと、檻を壊して、無理矢理にでも手を引っ張るべきだったのだと、私は死ぬほど後悔した。事実、彼の後を追って死んだ。
「っ……!」
死ぬことよりも辛いことがあることを、私はもう知っている。
大切な人に手を伸ばせない無力感を、二度も味わうつもりはない。
呼吸を整え、月の光を吸い、私はやるべき事を明確にする。
「まずはアルジェさんの救出。戦況はそのあとで打開します」
私情であると同時に、これは大事なことだ。
アルジェさんの魔法であれば、主戦力のすべてを無限ではないけれど、回復させ続けることができる。
つまり彼女がいるだけで、兵力の差は埋まるのだ。逆に言えば彼女を奪還できなければ、私たちはひとりひとり追い詰められて潰されてしまう。
「……大事な要が捕まるなんて、面倒なことをしてくれますね、もう」
だからあれだけひとりで抱え込まないように、心配したのに。本当に、いつだって人の話なんて聞いてくれないんだから。
あとで絶対お説教してやろうと心に決めて、私はクズハちゃんの肩を叩く。
「クズハちゃん、行きましょう」
「……どこへ、ですの」
「決まっています。アルジェさんを、助けに」
落ち込んでいる子供に、立て、なんて言うのは正直つらい。
けれど彼女は、それを承知でここに来たのだ。立ってくれなくては困る。
「……私、アルジェさんに……アルジェさんが……関係ないって……う、うぅ……」
こちらを見上げる狐色の瞳からは、ぼろぼろと透明なしずくがこぼれていた。
彼女からすれば、それは捨てられたことにも等しいのだろう。友人が自分を頼ってもくれず、手を振り払ってしまったのだから。
……本当に、いいお友達です。
玖音の世界に、こんないい人はいなかった。いたらきっと、銀士さんはもっと違う生き方ができていだろう。
そんな相手の手を振り払うなんて、本当に馬鹿な人だ。
「アルジェさんは、巻き込みたくなかったんですよ。あなたのことも、私たちのことも。だからひとりで……自分だけが傷つけばいいと思って、行ってしまったんです」
「そんな……そんなのって――」
「――あらぁ? 随分と沈んだ顔ね?」
クズハちゃんがなにかを言おうとした瞬間、声が聞こえた。
それは聞き覚えがある声で、ひどく甘ったるい、やわらかなぬかるみのような声だった。
嫌な予感とともに振り返れば、そこには金色の髪をした少女がいる。
満月の光を背に、亀裂のように唇を歪ませて、彼女は笑う。
「こんばんわ」
「金色の、吸血鬼……エルシィ……」
最悪のタイミングで、面倒がやってきた。




