矜恃の行き先を
……速いですね!
率直な感想を置き去りにするように、僕は回避を選択した。
流れる景色は既に高速。その中で、クロムちゃんは更に前へ出る。吸血鬼として極振りの速度で転生した僕に、追いすがってくる。
「……揺らげぇ!!」
言葉通り、クロムちゃんの姿が揺らいだ。
過去に森で見せた、残像を残しての動き。こちらの前に虚像を置いて、クロムちゃんは跳躍した。
それが虚像であると分かっていても、ほんの一瞬、相手の姿が増えたことに迷ってしまう。
……でも、本体は上です!
クロムちゃんのその技は、既に見た。
おそらくは魔法と速度の複合で、残像をその場に残して移動する攪乱技。
「っ……!」
刀は抜かず、ただ落ちてくる相手へと、僕は構えた。
たとえ回復魔法があるにしても、なにかあってはいけない。なにより、悪戯に傷つけるのも避けたい。
前のようにはいかないかもしれないけれど、ただ無力化すればいい。そう考えて、僕はクロムちゃんが落ちてくるのを待って――
「死ねぇ!!」
――寒気がしたのは、首筋の方だった。
「く、あっ……!?」
防御するのではなく、防御させられた。
虚像だと思っていた方が本体で、本体だと思っていた方が虚像だったのだ。
クロムちゃんが、受け止められた手刀をギリギリと押し込んで来る。それは吸血鬼の膂力を持ってしても押し返せないほどの勢いで、ゆっくりとだけど確実に首筋へと迫ってくる。
「ちっ……防いだかぁ……」
「あのう、やっぱり木剣とかにしません?」
「魔法はしっかり防いでおいてよく言うよぉ」
クロムちゃんがまとっている風の攻撃魔法は僕の魔法耐性によってかき消されてしまっているけれど、このままだと首に手をかけられてしまいそうだ。
息がかかるほどの距離で、クロムちゃんはにんまりと笑い、
「言っておくけどぉ、手抜きなんかするなよぉ? 自分の得意な戦い方じゃないとぉ……模擬戦にならないだろぉ?」
「く……ええいっ!」
「わっとぉ」
思いっきり力を入れて押し返すと、さすがにクロムちゃんは離れた。
先ほどと同じくらいに距離をとったクロムちゃんの雰囲気は、鋭いけれど落ち着いている。
殺気の粘っこさや、雰囲気のしつこさはそのままだけど、明らかに根底が違う。
前のクロムちゃんにあったような、焦りや固執が完全に消えているのだ。
「相変わらずぅ、力も強いなぁ。ああ、本当にややこしい相手だぁ。前のボクで勝てなかったのも分かるよぉ」
過去を振り返り、確かめるような言葉。
くっくっ、と喉の奥からの嘲笑は、恐らくはこちらではなく、過去の自分に向けられていた。
「だからこそ、やっぱり許せないよなぁ……ボクより速いお前はぁ……」
「クロムちゃん……」
「ここに来てたくさんの戦いを経験したぁ。速さだけじゃどうにもならないことも理解したぁ。それでもぉ……」
ゆらり、ゆらり。
身体を揺らして、クロムちゃんが再び力を抜く。
速度を発揮するための準備運動。それを行いながら、クロムちゃんは琥珀色の瞳を鋭くこちらへと向けた。
「ボクの矜恃はぁ! そこにあるんだよぉ!!」
誰よりも速いことを掲げて、彼女は瞬発した。
爆発的な速度は『滲む音死児』によって、無音となる。
風の音も、足音もなく、ただ純粋な殺意と濃密な血の臭いが迫ってくる。
「寄越せとは言わないよぉ! 奪っていく、それだけだぁ!!」
「くっ……!」
もう、手抜きをして勝てる相手ではない。思考を切り替えて、僕は防御のために動いた。
振るわれてくる手刀はもはや連打であり、蹴りや足払いまで絡めてくる。
速度任せの一撃必殺ではなく、速度によって自らの身体を振り回すような連撃。
一撃で仕留めるなんて期待はせず、ただ相手の息の根が止まるまで、攻撃を止めない。そんな意思が感じられるほど、クロムちゃんの攻めは苛烈だった。
……模擬戦なんてレベルじゃないですね!
先日のフェルノートさんたちの模擬戦がそうだったし、クロムちゃんの雰囲気からこうなるだろうとは思っていたけれど、まさかここまで彼女が研鑽しているとは思わなかった。
振るわれてくる手刀をさばき、蹴りを躱し、足払いをいなす。集中した視界の中でさえ、今の彼女の動きは目で追うことが困難だ。
「ここまで迫りますか……!」
「逃がさないって決めたんだよぉ! そらそらそらそらぁ!!」
体術は身体を振り回すかのようで、まだ荒いことが見て取れる。
けれど、明らかに前のような速度任せで技術の無い動きではない。油断するとこちらの手を取り、組み敷いたり、投げようとしてさえくる。
素手で相手をするのは素直に難しい。けれど、刀を使うことは避けたい。
迷った末に、僕はひとつの選択をした。
「っ……えい!!」
一度大きく距離を取るために、下がるのではなく前へと踏み込む。
攻撃が来ると思ったのだろう。身構えた相手の脇を抜けて、僕は一瞬で加速。
音を置き去りにするほどの速度で距離を開け、くるりと踵を回せば、相手は慌てた様子もなく、
「……ちょろちょろと動くなぁ。ボクを見ている相手も、いつもこんな感じなのかもなぁ」
「ん……ブラッドアームズ、『鎖』」
指先に噛みついて、流れた血液を変化させる。
生み出された鎖は無数であり、這うようにして周囲に庭を作った。
「へえ……自分でこんなに複雑にしちゃっていいのかぁ?」
「ええ、構いませんよ」
寧ろ平地の方がじり貧だ。
クロムちゃんは押しに押してくるけれど、こちらはそこまで殺意を持って相対することができない。それならば、少しでも遮蔽物がほしい。
ほんの少しでも隙ができれば、そこから崩すことができる。
「ふぅ……」
頭上にまで伸びた無数の鎖は、まるでいびつな籠のようだ。
息を整えることで無駄な力を抜いて、僕は改めて身構える。
「……相対する理由は分かったし、クロムちゃんが前よりずっと強くなっていることも分かりました」
明らかに、過去に戦ったときとは物が違う。別人といっても良いほどだ。
能力だけではなく、技術さえ練り上げて、甘さを捨てて、クロムちゃんはより強くなった。
「そうだろぉ? おらぁ、少しは本気出せよぉ」
「……あくまで模擬戦ですから、刀は抜きません」
「……舐めてるのかぁ?」
「いいえ。大真面目です」
クロムちゃんが眉をゆがめて、こちらを見据える。
バカにしているわけじゃない。彼女の覚悟や矜恃が理解できないわけでもない。
「……これは、僕のわがままですから」
矜恃という言葉は、相応しくない。
これはあくまで、僕のわがままだ。僕がそうしたくない、クロムちゃんを傷つけたくないという、それだけのこと。
甘いのかもしれないし、馬鹿にされているとられても仕方が無いけれど、それでも、僕はそうしたい。
「全力で、殺しに行くよぉ」
「全力で、終わらせます」
フィールドを用意したことで、複雑な動きができるようになったのはどちらも同じだ。
再開の合図は必要なく、ただお互いが、お互いの目的を果たすために動いた。




