英雄さんの話
「クロムは気付かれていないと思っているが、実は結構な数の人間が彼女の趣味に気づいている」
「まあ、そうでしょうね」
これだけキッチンに甘い匂いを漂わせているのだ。
片付けたって気づかれるだろうし、そもそも反乱軍にも結構な人数がいる。厨房が共用である以上、誰にも知られていないなんてことは無いはずだ。
「やっぱりクロムちゃん、ちょっと浮いてるんですか?」
「まあ、少しな。呪い風のクロムといえば元々名の知れた……それも悪い意味で名の知れた人間だ」
「裏稼業として、ですか」
「ああ。それで少し、遠巻きに……いや、違うな」
紡ぎかけた言葉を、ギンカさんは己の首を振ることで否定した。
金色の瞳に宿っている感情は複雑で、けれど、クロムちゃんのことを気遣っていることだけは分かる。
実際、彼女は何度もクロムちゃんに気軽に話しかけて、お茶会に誘ってもいるのだから。いつもそっけなく扱われているけれど、それでも何度も話しかけるのは、クロムちゃんのことを気にしているからだろう。
「みんな彼女のことはもう認めているんだ。どんな理由でやってきたのであれ、この反乱軍という場所で、彼女が担っている役割と、実績の大きさはみんな理解している」
「……そうみたいですね」
クロムちゃんの実力は疑うべくもないし、その力を振るってきたというのなら、実績はきっと積み重なっているだろう。
彼女が帝国へと流れ着いたのは僕を追ってのことだけど、反乱軍に身を寄せた経緯は僕とは無関係だ。つまりクロムちゃんが自分で考えて、選んだことに他ならない。
どんな理由があったにせよ、クロムちゃんがやってきたことは、クロムちゃんの実績だ。
「ただ……彼女が踏み込んでこないから、周りも踏み込むタイミングが分からないのだろう」
「まあ、とっつきにくそうですもんね……すぐ怒りますし」
「いや、普段はもう少し静かというか……クロムがあそこまで感情を顕わにするのは、君だけだぞ」
「え、そうなんですか?」
「気付いてなかったのか……クロムは周りにはもっと一歩を引いて付き合うタイプだ。引きすぎているから、周囲も必要以上には近寄れないという人種だな」
僕にとっては表情豊かでキレ芸が得意なクロムちゃんだけど、周りにはそうでもないらしい。
てっきり、周囲を威嚇しすぎるから距離を置かれてるだけだと思っていたのだけど。こう、猛獣を見るような感じで。
驚いていると、ギンカさんはふっと笑って、
「だから、少しだけ嬉しいとも思っている。あそこまで感情を爆発させるクロムは、出会ってからはじめて見るからな。私にも少しは見せてくれていたが……君が来てから、それがより顕著になった」
「はあ……」
「本人も最近はまんざらでもないようだし、良ければ構ってやってくれ」
「まあ、クロムちゃんと話すのは楽しいので、僕で良ければ」
こちらの答えに満足したのか、ギンカさんはクッキーをひとつ手に取ると、無造作に空中に放り投げた。
当然のように、なにもない空間に人工精霊が顕われて、それをすくい上げた。
流れるような動作でクッキーを口に含むと、シオンさんは目を丸くして、
「……美味しい。本当にお料理上手なんですね、クロムちゃん」
「シオンさんもいたんですか」
「いたというか、シオンはギンカさんと一心同体ですから。一定距離以上は離れられませんし、お互いの状況は常に把握しているんですよ」
ふわふわと浮かび上がったシオンさんが当然のように膝に座れば、当たり前のようにしてギンカさんがそれを受け入れる。翡翠の髪と銀髪の絡まりは、まぶしいほどに絵になった。
「守護霊……」
「あ、そうですそうです、そんな感じですね。おはようからおやすみ、着替えからご飯まで見つめてますよ!」
「……着替えをまじまじと見られるのは素直に恥ずかしかったりするのだが」
少しだけ頬を赤らめたギンカさんに対して、シオンさんは満面の笑みで、
「シオンの趣味ですから」
「つまり止める気は一切ないということだな……!?」
相変わらず仲良しのようなので、良いことだと思った。
ギンカさんは気を取り直すかのように咳払いをすると、改めてこちらを見つめてきた。
金色の瞳は真剣で、優しくはあるけれど、緩くはない。紡がれる言葉も、やはりそうだった。
「どうも、クロムは君を気に入っているようだ。憎んでもいるのだろうが……複雑なのだろう」
「そういうものなんでしょうか」
「ああ。あの子はちょっと複雑というか……面倒くさい系だから。冷たいようでいて優しいのに、こちらから近づくと逃げていってしまう。たまに家にくる猫のような感じだ」
なんとなく、言いたいことは分かる。
なんだかんだと文句を言うしすぐに怒ってしまうけど、クロムちゃんは優しい。
でなければ割ってしまったクッキーを作りなおしてはくれないし、自分で貰ったり、作ったものを分けたりしてくれないだろう。
「嫌われているのに、良いんでしょうか?」
「そうだな……うむ。では、こうしよう」
ぽん、と手を叩いたギンカさんの雰囲気から、面倒を感じたのはつかの間。
「いっそお互い、一度本気で戦ってみると良い」
思った通り、明らかに面倒くさそうな言葉がやってきた。




