戦うべき場所
「ふうう……」
胃が痛い。
きりきりと締め付けられるような痛みは、朝食がひっくり返って出てきそうなほどに深刻だった。
……ああ、こんなときにアルジェさんがいてくれたらなぁ。
彼女の魔法であれば、この胃の痛みなんてさっと消してしまえるだろう。
もっと言えば彼女がいてくれるだけでやる気がでる。なにせあんな絶世の美少女なのだから。
とはいえ、その彼女と別れると決めたのは自分自身だ。居ない人に縋っても、救いは降りてこない。
「ふむ。サマカーよ。この茶は美味いな」
「王。それは共和国の特級品ですね。もてなしとして最上位です」
「ほほう! これが茶か! わらわは知っておるぞ! 書で読んだからな! ごくっ……んまいっ!!」
「お気に召したようでなによりです」
動揺が顔に出ないように、商業用のスマイルを顔に貼り付けて、俺は深々と頭を下げた。
今、目の前にいる三人は、アルレシャの領主サマカー様、海底都市を統べる海魔の女王クティーラ様、そして王国のプレイアデス王。
一介の商人である俺、ゼノ・コトブキでは会うどころか、お目にかかることすら困難な三人と、俺は対峙していた。
「して、そこの商人。この会議の目的はなんだ?」
ほんの数秒前までお茶を楽しんでいたはずの王様が、鋭い瞳をこちらに投げてくる。
……展開が早い!
さすが一国の王。さっさと要件を言えと、そういうことらしい。
ちらりと他のふたりを見れば、海魔の女王様は相変わらずお茶に興味津々で、領主様はそれに紳士的な態度で説明をしている。自由だ。
「それについては、もうふたり、呼んでいる人がいまして……」
「待てと、そういうことか。王の時間を使うか」
「う……すみません」
「……良い。余はそれを許そう。他でもない、アルジェントの名を出されているわけだからな」
「ありがとうございます」
アルジェさんが旅立つ前に、ここまでの事情は整理済みだ。
だからこそ、彼らをここに招くことが出来た。
「いやあ、気に入ってくれましたか。うちの会議場。本当は部外者はいれられないんですけどね」
待ち人のうちのひとりが気軽な調子で入室して、席に着く。
鬼の従者を引き連れた彼は、ヨツバ議会の最高責任者のひとり、アキサメ・ヒグレ。
「良い雰囲気だ。共和国の独特な雰囲気は、余は嫌いではないぞ。公務もあり、なかなか行くことはできないからな」
「わらわも満足じゃ! 地上は面白いのう! 国の者どもにたくさんお土産を買ってやらねばのう!」
「あっはっは。それは良かった。あとで良い土産物屋を紹介しますよ、海魔の女王様」
胃が痛いこちらと違って、どこまでも気軽そうに三人は話している。ああ、その脳天気さが羨ましい。
一通り挨拶を済ませ、アキサメさんがこちらに視線を投げてくる。当然、他の三人の視線もこちらだ。
「それで、一介の商人くん。君がここまでの大舞台を整えた理由を聞きたいね。商業ギルド長の許可まで取り付けて」
「……ええ、そうですね」
本来ならば、この状況は絶対にあり得ないことだ。
商人は国に干渉することは許されない。個人間取引はできても、政に関わることは御法度となる。
その基本的なルールを、ギルド長へと直談判して曲げてまで、俺はこの場を整えた。
「その前にもうひとり、役者がそろっていません」
「それは私のことかな、商人くん?」
凛とした声が、場内に響いた。
全員の視線を受け止めるようにして現れたのは赤毛を持ち、強い意志を瞳に宿した女性だった。
「ご足労様です、大金庫の主」
シリル大金庫の管理者である、人工精霊イグジスタ。
これで、役者はすべて揃ったことになる。
頭を下げると、イグジスタさんはゆっくりと首を振って、
「いやいや。久しぶりの外だ。気持ちが良いとも。それにこの子にも、旅行というものを経験させたかったからね。ほら、出ておいで?」
「あ、うん……」
促されて出てきた相手に、誰もが息を呑んだ。
「アルジェさん!?」
「アルジェント!?」
「親善大使どの!?」
呼び名は違えど、感じることは同じ。
銀色の髪の吸血鬼によく似た、しかし泣きぼくろを目の下にやどした少女。
その姿を、俺は知っていた。
「し、シリル・アーケディア……?」
大金庫を設立した、シリルという女性。
彼女の魔力から、アルジェさんが生まれたということを、俺は知っている。
飛び出した名前のすべてを否定するようにして、イグジスタさんは首を振った。
「いやいや、この子はアルジェでも、シリルでもないよ。私とアルジェの可愛い妹さ。ほら、ご挨拶は?」
「……シャーリィです。よ、よろしくお願いします……」
「シャーリィ、君はずいぶんと性格が変わったなあ……来る前はアルジェお姉ちゃんに会えるかもしれないってあんなに喜んでいたのに」
「だ、だってお姉ちゃん……知らない人ばっかりだし……うう、アルジェお姉ちゃんに会いたい……」
どこかおどおどとして、借りてきた猫のような態度は、確かにアルジェさんとは大きく違っていた。
けれどその顔つきは確かにそっくりで、アルジェさんの妹と言われると、ひどく納得ができるものだった。
「驚いた……彼女に妹がいたとは」
「私もアルジェも、そして彼女も、シリルの魔力から生まれた。だから私たちは姉妹というわけさ」
驚愕に目を見開く領主様に、イグジスタさんは軽く説明をする。
もちろんそんな話は初耳だったので、こちらとしてもかなり驚いた。業務用スマイルがちょっと崩れてしまったくらいだ。
「え、ええと……ごめんね。アルジェさんはここにはいないんだ」
「ええ……!?」
「いや、えーと、会える! 会えると思う! そうさせるつもりだから! 手紙も預かってるし! だから泣かないで!?」
知り合いの顔で露骨に悲しそうな顔をされると、さすがにやりづらい。
なんとかなだめすかして落ち着いてもらってから、俺は改めて全員を見回した。
「さて、それではお初の方も多いと思いますので、まずは自己紹介からはじめましょう。俺はゼノ・コトブキといいます。どこにでもいる行商人ですが……こうして集まってくださったこと、感謝します」
「アキサメ・ヒグレ。こっちの子は従者のハボタン。共和国の政治担当、ヨツバ議会を取り仕切っている四家のうちのひとりです」
「余は王国の王。それだけだ」
「王のお付きとしてお邪魔している、アルレシャの領主、サマカー・スワロだ」
「わらわは海魔族の王、クティーラじゃ!」
「イグジスタ。シリル大金庫の主をしているよ」
「……シャーリィ。イグジスタお姉ちゃんと、アルジェお姉ちゃんの妹……です」
本当に、凄い面々が集まったものだ。
国を動かしている大物たちに加えて、経済を取り仕切る管理人までもが今、この場に集まっている。
……しかも、たったひとりの為に、だ。
アルジェント・ヴァンピール。
この名前を出して要請をかけた。たったそれだけのことで、彼らはここまで来てくれた。
政治的な立場があり、そうそう時間も取れないはずのメンバー。それを集めることができたのは、ひとえにアルジェさんという存在のおかげだ。
彼女は自分のことをいつだって価値がないように言っていたけれど、そんなことがあるものか。少なくともこれだけの人々が、彼女の価値を認めて、ここに集まっているのだ。
「ふぅ……」
一息を吐き、俺はこれから言うべき言葉を考える。
……俺は足手まといだけど、それだけで終わりたくはないんだ。
アルジェさんたちが今目指している場所は、間違いなく戦闘が起きる場所だ。
俺は一介の行商人。フェルノートさんのように戦いに長けているわけじゃない。
あの旅のメンバーは、全員がひとりで一軍に、いや下手をすれば一国に匹敵するほどの実力者たちだ。
俺だけが違う。俺はどこまでも商人で、自衛程度のことしかできない。
それではもうダメなのだ。事態はそれほどに大きくなってしまっている。
だから俺は、彼女たちについていかなかった。
ここから先に必要なのは旅の知識などではなく、純粋な戦闘力だと思ったから。
「……それでは、本題に入ります」
だから、ここだ。この会議場が俺にとっての戦場だ。
口先と話をまとめる能力で、俺は今までやってきた。行商人として、生きてきた。
ここで俺は踏ん張る。戦えなくてもできることで、アルジェさんの助けになってみせる。
アルジェさんの顔を思い出して、軽く息を吸う。それだけで気分が落ち着いた。
ここに集まってきた面々は、アルジェさんの名前を聞いて集まってきた。彼女が俺たちを繋げてくれた。だからきっと、彼女にとって利益があると知れば聞いてくれるだろう。
だが、聞いてくれるだけではダメだ。そこから自分たちにとっての損得を考える。少なくとも、シリル大金庫の主以外のメンツはそうだろう。誰もが国を動かし、信念と立場を持っている相手だ。
……今までで一番、大口の仕事だな。
だから、言うべきことはひとつだ。
大げさに、商人らしく、けれど期待を持たせるように。
「未来を、買いませんか?」
ただ、はじめの言葉を口にした。
さあ、商談を始めよう。




