吸血鬼さんは働かない
「何っ……!?」
アビスコールが悲鳴のような声を漏らした。
理由は簡単。ピスケス号が消えたからだ。今まさに沈めようとしていた物体がいきなり消失したら、それは驚くだろう。
触腕の群れは叩き潰すべき相手を見失い、海を穿ち、薙いだ。
結果として激しい水しぶきが上がるけど、それだけだった。
僕の方はというと、アビスコールが慌てて周囲を見渡す様子を、文字通りの高み――空から見下ろしている。
やったことは簡単だ。ブラッドボックスにピスケス号と服、そしてメガホンを収納して、蝙蝠化の技能を使って肉体を変化させてさっさと逃げただけ。
小さな蝙蝠になっても、素早さ極振りなのは変わらない。降り注いできた触腕の合間を縫うように高速で飛翔して、高空へと逃げ仰せることができた。
……触手プレイはちょっと。
イカの触手は僕の体よりも太いから、プレイ以前にぷちっと潰されてしまうだろうけど、どっちにしても嫌だ。
今、蝙蝠になった僕の身体にはあるものがぶら下げられている。これだけは、ブラッドボックスで収納できないから。
技能レベルが10であっても技能の特性として絶対に収納不可なものだから、ずっと身に付けていた。
落とさないように慎重に、それでいて素早く飛ぶのはひどく面倒くさかったけれど、これが必要だったから仕方ない。
充分な高度を取ってから、蝙蝠化を解く。
裸体を晒すのは寒いし心許ないけれど、ブラッドボックスから服を取り出して着用すれば解決できる。
着用といっても、袖を通す必要はない。ブラッドボックスは血液の中に物品を存在ごと溶かし込んでしまう技能だからだ。
血液は全身に循環している。血管のない髪の毛や爪を除けば、僕が望んだところから物品を取り出せる。
肌くらいなら存在は通り抜けられるから、血を流すために傷を得る必要はない。
身体の内側から染み出すように服が現れて、自動的に着替えが完了した。
当たり前だけど、蝙蝠化を解除をすれば翼を失った僕の身体は重力に捕まえられて、海へと落ちてしまう。
けれど、かなり高い位置にまで飛んでいるのでそうなるまでには充分な猶予がある。
あのイカを排除するために、充分な猶予が。
「何処だ!? 何処へ消えた!?」
ヒステリックな声をあげて、手当たり次第に触腕を振り回すアビスコール。イカスミまで吐いて、ずいぶんと苛立っている。
そんなイカを見据えて、僕は自分の身体にずっと身に付けていたもの――革のベルトを手繰り寄せた。
ベルトの先に吊られているのは大きめの水筒だ。蓋を開ければ、よく知っている香りがする。
……血液です。
サマカーさんに頼んで、兵士さんたちから少しずつ提供してもらった血液。それが水筒の中身だ。
そう、血液だけはブラッドボックスで収納できない。「存在を溶かして無限に保存」なんて出鱈目な効果の技能でも、この前提だけは覆せない。
血液を血液には、混ぜられないのだ。
「ブラッドアームズ」
やることは簡単。空に血を振り撒いて、力を使う。面倒くさくなく、実にシンプルだ。
ブラッドアームズのアームズは腕の複数系ではなく、武器、あるいは武装する、といった意味の方だ。
能力は血の武装の言葉が示す通り、血液から武器を作り出す。
技能レベルが上がれば上がるほど、より強固に、より多数の武器を、より少量の血液で作り出すことが出来る。レベル最大なら、血が一滴あれば剣くらいは作れてしまう。
与えられた力。決して自分で選んだのではないロリジジイさんおすすめの技能を、僕は遠慮なく行使した。
空中に振りまかれた血が元々の質量を完全に無視して膨張。形を成しつつ、凝固していく。液体ではなく、明確な武器として確立していく。
イカはあの大きさだ。一つ一つ、あの巨体を貫けるだけの長さが必要だろう。鋭く、長く。そうやって僕が想像した通りに、無数の武器が創造される。
「『トライデント』」
選んだ形は三つ叉の槍。
理由は単純。漁師が使うモリみたいな形だから。相手は海の生き物だし、これでいいでしょ。
穂先から石突きまでは大体五メートル。当然太さも相応にしてある。重さも自由だから、しっかりとした重量に。
水筒一本分で都合できたのは三十本。それらは僅かな時間で空中に展開して、三つ叉の先をイカへと向けた。
高レベルのブラッドアームズの特性として、簡単な動作なら触れずとも動かせる、というものがある。今の状況に、とてもぴったりな特性だ。
ほんの少し後押ししてあげれば、重力が目標へと道案内をしてくれるんだから。
……まったく、無粋なイカです。
あの町はあんなにも暖かくて、お昼寝に最適なのに。それを壊すとは何事だ。
僕はもうあそこを離れなきゃいけないけど、これから先、きっといろんな人があそこでお昼寝をする。その幸せな時間を壊す権利は、誰にもない。
相手がどんな理由で攻め込んできたのかなんて、心底どうでもいい。
僕はただお昼寝に最適なあの町を、潰されたくないってだけだ。それと少しの恩返し。相手のことなんて知ったことじゃない。
それは向こうだって同じだ。僕の言い分なんて心底どうでもいいだろう。でなければ、話を切って攻撃してきたりはしない。
だから話を聞かない者同士、さっさとやって、さっさと終わらせよう。
僕は早く、お昼寝がしたいんだから。
「……良い町です」
港町アルレシャ。気候が良くて、潮風が心地良くて、お魚が美味しい。
潮の香りを感じながらするお昼寝は最高だったし、貿易拠点ということで魚以外の食べ物も豊富にあった。
真面目すぎるくらい真面目な元王国騎士さんがいて、その人は見ず知らずの吸血鬼を助けて、血や寝床を提供してくれた。
領主さんは女好きでセンスはないし、自分のことをイケメンだと勘違いしている節はあるけど、有能な領主だ。
サマカーさんはアルレシャという町を平和に保っているし、何より――町人から笑われて、それで怒って済ませられる人だ。目下の人たちが笑えるくらい、慕われているということだ。
本当に良い町だ。
だから、この町はこの町の人たちが守る。
僕のようなぐうたらじゃなく、この町の人たちで守れる。
僕がするのは、ほんの少しの後押しだ。
ぐうたら吸血鬼の僕がやっても良いと思える、ほんの少しだけのこと。
この町の人たちの血を、守る力へと。
「では、皆さん――自分の町を、守ってください」
後押しに従って、三つ叉の槍たちが己の身を前へと飛ばす。
与えた初速は重力に引っ張られて加速。あとは僕が何もしなくても、皆が、皆の血が倒してくれる。
僕はぼうっとしているだけだ。働かないし、働きたくない。
三つ叉の群れは速度をぐんぐん上げる。やがて僕を追い抜いて、イカ目掛けて降り注いだ。
「なっ……おおおおおお!?」
気付いたところでもう遅い。
今まで自分がやっていたように、海に浮かぶ小舟を沈めるように。
ただ飲まれて、消えていくだけだ。
「さようなら」
降り注ぐ三つ叉に、別れの言葉を添えて。
アビスコールが無数に貫かれて海に沈んでいくのを見届けながら、僕は身体を蝙蝠に変える。
イカの巨体が沈んで、海の底へと消えていくのをきちんと確認してから、その場を飛び去った。
……勿体なかったなあ。
ちゃんと話を聞いてくれてたら、今頃サマカーさんが用意してくれた血液は、全部僕のものだったのに。
吸血鬼になってから、既に何度か血を飲んでいる。最近は吸血行為が「常識から外れている」という感覚がなくなり、寧ろフェルノートさん以外の血液の味にも興味が出てきていたのだ。
いろんな人の血がブレンドされたミックス血液。おやつとして結構楽しみにしてたのに。本当に残念だ。
蝙蝠の身では吐けない溜め息を心の中で吐いて、僕はアルレシャから離れていくのだった。
……飛ぶのって、結構疲れますね
。
ピスケス号に乗るのは目立つから、面倒くさくてもこれで飛ぶしかない。
霧化と影化は移動するには速度が遅いから、これが一番早くて目立たないのだ。
あーあ。早く地面のあるところに戻って、寝転がって休みたいなー。
日は傾き始めている。もうすぐ夜、つまりは寝る時間なのだ。
早く休みたい。夜は吸血鬼が活発になる時間帯だとか、ほんと、心底どうでも良いから。




