大きな触手と小さな吸血鬼
「寄れば寄るほど、大きなイカですね」
素直な感想が口から漏れる。お刺身何人前できるかな。
今僕がいるのは、中型の武装船の船首だ。
船の名前はピスケス号。イカに近づくためにサマカーさんから貰った、廃船にされる予定だった古い船だ。
ピスケス号は巨大イカ――アビスコールを目指して微速前進の真っ最中。
船を動かしているのは船員さんではない。この船に乗っているのは、僕一人だ。
……これもまた、トンデモ技能ですね。
血の契約。自分の血を与えたものを、従者にする技能。
本来ならば生き物に使う技能なんだけど、レベル最大になっていることで無機物すら使役対象になっている。
そして高レベルの血の契約には、従者を自由自在に操る力もある。
つまり僕は船を従者にして、それでひとりで動かしているというわけだ。望めば帆は勝手に張りを調整するし、操舵輪に触れずとも方向転換をしてくれる。
考えるだけで動かせるって、すごく便利。ピスケス号は帆船――帆に風を受けて動く構造でエンジンは付いてないけれど、風なら魔法で起こせるし。
さすがに大砲まで自由に撃てたりはしないけど、近付くために貰ったものだから、これで十分。
血の契約。ものぐさな僕にぴったりの技能だ。ふふふ、ロリジジイさんってば気が利くじゃないですか。
さっきまでイカが大暴れしていたために海は荒れていて、ピスケス号は結構揺れているものの、きちんと前には進んでくれている。
問題があるとすれば、船に乗る前から肩に掛けてある革ベルトの位置が、時折ズレてちょっと気持ち悪いことだけだ。今もまた直した。
血の契約の効果には「下僕にしたものの能力を上げる」という効果もあるので、廃船寸前のボロ船であるこの船でも、難なく荒れた海を走っていけるというわけだ。
イカの方は明らかに僕のことを認識しているけど、急に船団が退いたことに戸惑っているのか、明確に攻撃を行おうとはしてきていない。
問答無用で来ないなら、先ずは会話をしてみよう。そう考えて、僕はブラッドボックスからあるものを取り出す。
取り出したのは、ピスケス号と同じくサマカーさんに用意して貰ったもの――メガホンだ。
と言っても、選挙とかに使われるスピーカーが付いているようなものじゃない。スポーツ観戦などで使われるような簡易なものだ。プラスチックみたいな材質で、ほんとにそんな感じの表現がぴったり。
「もしもーし、聞こえますかー」
とりあえずメガホンを使って呼び掛けてみる。言語翻訳の技能の効果範囲を拡げてあるので、これで相手が知性がある生き物なら僕の言葉が通じるはずだし、相手の言葉もわかるはず。
ややあってから、相手の返答が来た。
「何者だ」
……うわ、おっさん声。
種族的なものなのか、それとも個体的なものなのか。イカの声は壮年というか、おじさんって感じの表現がばっちり当てはまる、乾いたような印象のある低めの声だった。
「えーと……通りすがりの吸血鬼です」
「吸血鬼だと? 何の冗談だ、娘。日のあるうちから、吸血鬼が動けるものか」
「いえ、日照耐性持ってますから。えーと……おっさんイカさん」
「おっさんイカ!?」
「あ、すいません、イカオヤジの方が良かったですか?」
「大して変わってないぞ!?」
人外相手にまでネーミングに突っ込まれてしまった。
バッチリな名前だと思ったんだけどな、おっさんイカ。なんか美味しそうで。
「なんだその残念そうな顔は……」
「あ、いえ、こっちの話なので気にしないでください。それより、町への侵攻を止めてくれませんか?」
「断る」
短く、それだけに解りやすい返答。それが来たあとで、視界が大量の触腕で埋まった。
「何が狙いかと思ったが、くだらない冗談に付き合う気はない」
……嗚呼、やっぱりこうなっちゃいましたか。めんどくさいなあ。
なんて判断を僕が心の中で下したと同時。無数の白い腕がピスケス号に向けて叩き込まれた。




