目覚めの涙
「……ん」
瞳を開けると、天井があった。
見覚えのある景色は、メイの居住区で僕にあてがわれている部屋のものだ。
「ええと……」
「アルジェさん!!」
「わっ」
身を起こしてみると、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
目に涙をいっぱいにためてこちらを見るのは、狐の少女。僕の友達の、クズハちゃんだった。
「目を覚ましたんですのね……!」
クズハちゃんは飛びつくようにして、僕へと抱きついてきた。
相手の体重を感じながら、僕は疑問を投げかけた。
「ええと……どれくらい寝てました?」
「6時間くらいですの。でも、いつもよりずっと深く眠ってるみたいでしたから……」
6時間なら昼寝としてはいつも通りだけど、倒れた状況が状況だけに心配をかけてしまったらしい。
夢を見ることもなく深く眠っていた、或いは気絶していたようだ。
「すみません、心配をかけてしまいました」
「いいえ。間に合いました。間に合いましたから……良かったですの……母様のときみたいに、間違えなかった……!」
ぎゅっと抱きしめられるのは少し苦しいけれど、僕はそれを拒否しようとは思わなかった。
彼女は母親のとき、助けに行くのが間に合わなかった。そのことをずっと心の中に抱えている。
僕がダークエルフの里で消えてしまってから、僕に追いつくためにネグセオーと共にずっと頑張ってくれたのだ。
「クズハちゃんがいてくれて、助かりましたよ」
そうして急いできてくれたから、黒の伯爵の魔法を防ぐことができた。
彼女がいなかったら、どうなっていたか分からない。それくらい、あのときエルシィさんを守れたのはギリギリのところだったのだ。
過去のことが消えるわけじゃない。これからもずっと、クズハちゃんは母親のことを後悔し続けるだろう。
それでも今日、彼女は僕を助けに来てくれた。今回は後悔しなくて済んだのだ。
流れてくるあたたかなものを改めて感じながら、僕はそっと彼女を抱き返した。
「うぅ〜……ぐすっ、ううっ……」
「ん……」
髪に指を通せば、もふもふしていて気持ちいい。
相手が震えることを受け入れるように抱き寄せて、僕は彼女の頭を撫でた。
友達らしいことなんてなにひとつ分からなくて、それでも。
今は少しだけ、こうしていたいと思った。
「……そろそろ良いかしら?」
「っ!?」
「そんなふうにびっくりした顔をされると傷付くのだけど……さっきからずぅっと居たわよ?」
さも当然のように、異常なものが居座っていた。
金色の髪を揺らして笑うのは、知っている顔だった。しかも、悪い方の意味で知っている存在だ。
「エルシィさん……!?」
「ふふ、おはようアルジェント」
優雅に微笑んで、エルシィさんは手の中のグラスを揺らす。中に満たされている赤い液体がなんであるかは、想像に難くない。
まるで自分の家のようにくつろぐエルシィさんに対して、クズハちゃんは露骨に歯を見せて威嚇した。
「言っておきますけれど、アルジェさんに酷いことしたら承知しませんわよ!」
「あら、可愛い守り手さんね? なんなら一緒にアルジェントと愉しいことしてもいいのよ?」
「エルシィさん、クズハちゃんに変なことを教えないでください」
「あら、変なことって……アルジェント、なにを想像したのかしら?」
「っ……な、何の用ですか」
クズハちゃんが悪い言葉を聞かないように彼女の耳を塞ぎつつ、僕はエルシィさんに声をかける。
くすくすとこちらを弄ぶように意地悪く微笑んで、エルシィさんは杯を傾ける。彼女はこくこくと喉を鳴らしてグラスの中身を空にすると、唇についた赤色を丁寧に拭って、
「ちょっとね――」
「――無事ですか、アルジェさん!」
エルシィさんが言葉を紡ごうとした瞬間に、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
入ってきた青葉さんは肩で息をしながらも、自らのツタを伸ばしてエルシィさんを縛り上げる。
「はっ……はぁ……その人に妙なことはさせませんからねっ……!」
「あらあら、元気ねえ。もう少しゆっくり水を取りに行っててもいいのに」
焦った様子の青葉さんに対して、エルシィさんは余裕を崩さない。
彼女は薄く微笑んだままで、霧化の技能を使って拘束をするりと抜けてしまう。
歯噛みする青葉さんに対して、エルシィさんはあくまでにこやかに言葉を作った。
「ほら、アルジェントのために持ってきたのでしょう?」
「……少しでもおかしな動きをしたら容赦しませんからね」
エルシィさんを睨みつつ、青葉さんは水の入ったコップを僕に渡してくる。
「あ……ありがとうございます、青葉さん」
「いえいえ、ちょうど手が空いてましたから」
「その子ね、さっきからずうっとあなたのために冷たい水を何度も用意したり、ベッドを整えたりして、心配していたのよ?」
「よ、余計なこと言わないでくださいっ!」
渡されたので素直に受け取って飲むと、ひんやりとした心地良さが喉を通り抜けていく。
意識を失うように眠ったのか、眠るように気絶したのかは分からないけれど、とにかく少しだけ落ち着くことができた。
いることに慣れた部屋の匂いを吸い込んで呼吸を整えてから、僕は改めてエルシィさんの方を見た。
「それで、ええと……何か用ですか?」
「話したいのだけど、ふたりでがいいわねぇ」
「ふざけ――」
「――青葉さん。言うとおりにしてあげてください。ええと……自衛くらいはできますから」
「でも、アルジェさん……この人は危ないですのよ?」
「大丈夫ですから。クズハちゃんもお願いします」
「……なにかあったら、すぐに呼んでくださいね。絶対ですよ」
言われた言葉に素直に頷くと、ふたりは納得のいっていない顔をしつつも出て行ってくれた。
あとには静寂だけが残り、けれど匂いでふたりがすぐ側にいることは察することはできた。なにかあれば、またすぐに来てくれるだろう。
「……話、筒抜けだと思いますよ?」
「構わないわ、気分の問題だから」
その気分を押し通さなくては気が済まないのだから、とんでもなく我儘な人だ。だけどその我儘を押し通すだけの力を、エルシィさんは持っている。
だからこそ、今この場所に彼女がいるのだろう。クズハちゃんも青葉さんも、抑えることができなかったのだ。
今この場で血が流れていないのは、結局のところエルシィさん自身にその気がないからでしかない。だから僕は大丈夫だと判断したのだけど、逆に言えば機嫌を損ねた瞬間になにをされるか分からないということだ。
彼女が危険な存在には変わりないということを強く意識して、僕はベッドから降りて相手と向き合った。




